73.炎
政人とタロウは、再び領境の検問所にやってきた。
検問所の兵士は、政人たちのことを覚えていた。
「ああ、閣下のお知り合いのマサトさんでしたね。王領へ行かれるのですか?」
「はい」
「今はちょっと危険かもしれませんよ」
「何かあったんですか?」
「王都からクロアという町へ、女王が出兵したそうなんですよ。なんでもそこに王太后が潜伏してるんだとか」
「なんだって!?」
政人は兵士に詰め寄った。「なぜ女王自らが? 兵は何人ほどですか?」
「さあ、私は旅人から話を聞いただけなので……」
政人の嫌な予感が膨れ上がった。
「タロウ、王都ではなく、直接クロアへ行くぞ」
「御主人様、危険なのでは」
「危険は承知の上だ。急げ!」
―――
「お願いします、王太后を引き渡してください」
ここは闇の神殿の祈りの間である。
ティナがケンブローズ聖司教に必死に懇願している。彼女は説得役をシャラミアに志願し、許されたのだ。
「陛下は一万の兵で、この町を囲んでいます。王太后を引き渡さなければ、町に火をつけると言っています」
「あのシャラミアさんがそんなことを? 信じがたい事です」
「陛下は女王になられて、変わってしまいました。ジスタス公に取り立てられて要職に就いた者や、王太后の恋人であったと疑いのある者たちを、次々と処刑しているのです。ろくに取り調べもせずにです」
「かわいそうに……私に恋人などいなかったのに」
そう言って柱の陰から現れたのは、王太后だ。その顔には精気がない。隠れたまま生き続けることは、もう不可能だと悟ったようだ。
「テラルディアさん、出てきては――」
「聖司教、もうここまでのようです。シャラミアは、私を決して逃がさない」
王太后はティナに向き直った。「ティナ、ひとつ聞かせてください。クオンは無事ですか?」
「はい、ソームズ公が保護しておられます。マサトさんという方が、そばで世話をしておられるはずです」
「マサト? 誰ですかそれは?」
「陛下の仲間だった方です。ダンリー公子がクオン様を処刑しようとしたとき、それを止めたのはマサト様だそうです」
「マサトさんなら、私も知っています」
聖司教が言った。「とても才知にたけ、そして心優しき若者です。彼が近くにいるのなら、きっと大丈夫です」
「聖司教がそう言われるのであれば、私も安心して死んでゆけます」
「お力になれず、申し訳ありません」
聖司教はつらそうに頭を下げた。
王太后はティナに近づき、命令する。
「さあ、私をシャラミアの元へ連れて行きなさい」
―――
クロアの町を囲むように、一万人の兵士が配置されている。
この町は壁に囲まれてはいないし、武器を持った戦士もいない。一万の軍に攻められれば、抵抗する術はないだろう。
軍勢は周囲を完全に包囲しているため、逃げ出すことも無理である。
すでに辺りはすっかり日が落ち、方々で燃える松明の明かりのみが、視界を照らしている。
それでも、異変を察知した住民が動揺する気配は伝わってくる。
シャラミアは軍の後方でティナが戻るのを待ちながら、この町のことを考えていた。
綺麗な町並み、豊富な娯楽施設、笑顔で通りを行き交う人々。
荒れ果てた王領の中で、ここだけは別天地のように平和な光景が広がっていた。
異端者たちの住む町でありながら――。
シャラミアの父のセイクーンは、六神派の信徒は不義、無道の者ゆえ、決して幸せにはなれないと言っていたのだが。
(そんなの、絶対に間違っている。神々が許すはずがないわ)
「ティナは王太后を連れてくるでしょうか」
ネフが心配そうに、言った。
「まあ、連れてこなければ、焼き討ちするだけのことさ」
「ダンリー公子、軽々しく言わないで頂きたい。この人数をそろえたのは、あくまでも威嚇のためです。そうですよね? 陛下」
シャラミアはネフの問いに、何も答えない。
「陛下、あれを」
ギラタンが指差す方を見ると、ティナが王太后を伴って歩いてくるのが見えた。
「どうやら、成功したようですね」
ギラタンは安堵したような声を出した。
ティナがシャラミアの前にたどり着いた。
「陛下、王太后を連れてきました」
「ご苦労でした」
シャラミアは王太后を見た。その顔からは怯えの色は読み取れない。どうやら、覚悟を決めているようだ。
王太后は周囲の軍勢を見回してため息をついた。
「私一人のために、ずいぶん兵を集めたものね」
「ええ、あなたが逃げずに死んでくれていたら、こんな無駄な手をかけずにすんだのに。どうやってここまで逃げてきたの?」
「秘密の脱出経路があったのよ」
「そう、そんなところだろうと思っていたわ」
「聞きたくないの? どこに抜け口があるか」
「私には異端者の町に続く抜け道など必要ないわ。あなたのように、死を恐れて逃げ回ることなどないもの」
王太后はふふっと声をもらした。
「なるほど、確かにあなた変わったわね」
「ええ、女王たるもの、強くあらねばなりませんから」
「そう、じゃあ、さっさと終わらせてくれるかしら、女王様。もう覚悟はできてるから」
「死ぬ前に、あるべき世界の姿を見ておきなさい」
「……? 何を言ってるの?」
王太后はシャラミアの顔を覗き込んで、背筋が凍りついた。その口元に浮かぶ笑みは、常人のものではない。これではまるで――悪魔。
「ダンリー」
「はっ」
「町に火をつけ、すべてを焼き尽くしなさい」
その言葉を聞いた一同は、息をするのも忘れて硬直した。ダンリーを除いて。
「ご命令のままに」
兵士たちに号令をかけようとするダンリーを、ギラタンが慌てて止めた。
「お、おい、待て!」
「その手を放せ! 陛下の命令だぞ!」
「陛下、取り消してください! このような命令は、間違っています!」
「陛下はこのような事をなさる方ではないはずです!」
ネフとティナが必死に諫言するが、シャラミアは微動だにしない。
ダンリーはギラタンの手を振り払った。
「突入せよ! 家々に火を放て! 出てきたものは斬り捨てろ!」
ダンリーの号令に従い、兵士たちは町になだれ込んだ。
「異端者には当然の報いよ」
シャラミアの言葉を聞いたティナはショックのあまり、へたりこんだ。
既にあちこちから火の手が上がっているのが見える。泣き叫ぶ人々の声も、彼らの耳に届いてきた。まさに地獄絵図である。
王太后は放心したように燃える町を見ていたが、やがて、汚いものを見るような目つきで、シャラミアを睨みつけて言った。
「先に地獄で待ってるわ」
この夜のシャラミア女王の悪行は、「クロアの大虐殺」と呼ばれ、歴史に大きく名を残すことになる。




