64.政人の理想の国
王太后テラルディアは塔の展望台から、王都郊外に集まっている反乱軍の群れを眺めた。
(五万とは、よくもまあ集まったものね)
その大半はろくに統制も取れない民兵なのだが、その中に一部、きっちりと陣形を組んだ軍がいる。
その軍の先頭に高々と翻っている旗には、アクティーヌ家の家紋である、『てんとう虫』をモチーフにした絵が描かれている。
(アクティーヌ家は、とっとと潰しておくべきだったのよ)
といっても、二千人のアクティーヌ軍は遠くから矢を射かけてくるだけで、攻めてくるのはもっぱら民兵だ。アクティーヌ家は自軍の損害を出したくないのだろう。
反乱軍は力攻めを繰り返すだけで、王都の守りは彼らに付け入る隙を与えていない。
ジスタス公は王家の兵の指揮権を完全にブラント将軍に委譲し、自分はジスタス家の三千の兵の指揮に専念する、という英断を下した。それがここまでの安定した戦いぶりにつながっている。
ジスタス公もこの非常事態に接し、権力にこだわるよりも勝つことの方が大事だと悟ったようである。
そのとき、背後から扉が開く音が聞こえた。振り返ると、意外な人物が立っていた。
「ママ……」
「クオン!? どうしてここに?」
クオンが自室から出ることはほとんどない。展望台までやってきたのは初めてのことだろう。
クオンの後ろには気まずそうな顔をした騎士がいた。
「申し訳ございません。陛下がどうしても、母君に会いたいとおっしゃるもので……」
「ママ、戦争なんでしょ? 怖いよ、僕……」
「クオン……」
クオンの女の子のようにきれいな顔は、不安で泣きそうになっている。
普段はほとんど息子にかまってやらないテラルディアだが、その顔を見ると、この時ばかりは母性を取り戻した。
彼女は息子を抱きしめ、安心させるように頭を撫でた。
「大丈夫よ、クオン。今、おじいちゃんが頑張って戦ってくれてて、敵は手も足も出ないの。それに、もうすぐ援軍がやってきて、外にいる奴らを蹴散らしてくれるわ」
他の諸侯に対し、反乱軍を討つように命令を出してはいるが、応じる諸侯がいるかは心許ない。人質を出すように求めたのは悪手だったと、今にして理解していた。
だが、少なくともジスタス家が援軍を出すことだけは確実なので、それに期待をしている。
「それに万が一敵がここまで攻めてきたとしても、あなたに危害を加えることだけは絶対にないわ。だって敵の総大将は、あのシャラミアですもの」
(シャラミアはクオンはともかく、私のことは許さないでしょうけどね)
―――
ソームズ公に会うため、公都ホークランに向けて移動を続けていた政人たちだったが、ソームズ公領に入る街道上には砦が設けられていた。
さらに、領境に沿って柵が作られ、王領からソームズ公領に入れなくなっている。
「なんだこりゃ、通れねーじゃねーか」
「兵士がたくさんいるみたいですよ」
「どうやら関所らしいな。行ってみよう」
関所に近づくと、まだ建てたばかりなのか、木材の香りが匂い立っていた。
門の前では検問が行われている。
「いかなる用があって、ソームズ公領へ参られたか」
(ソームズ家の兵士か。これは正直に言った方がいいな)
「シャラミア様からの命令を受けて、ソームズ公閣下に会いに来ました。俺は閣下とは知り合いのフジイ・マサトです」
そう言って政人は、シャラミアから預かった書状と、以前にソームズ公からもらった感状を見せた。
「これは失礼しました。どうぞお通り下さい」
「なぜ、ここで検問をしているのですか?」
「王領から逃げ込んでくる難民が後を絶たないので、やむなく領境を封鎖することにしたのです。ソームズ公領は豊かとはいえ、大量の難民を養う余裕はありませんので」
「そうですか、お役目ご苦労様です」
(いよいよ切羽詰まってきたな)
政人たちは、ソームズ公領の公都ホークランへとやって来た。
周囲が高い壁に囲まれているのは王都と同じだが、ここはさらに水堀で囲まれている。
そして城壁の要所ごとには塔が建っている。この都市を攻め落とすのは至難の業だろう。
(またここに来ることになるとはな)
以前ここに来た理由は、ゴルグ石の横流し業者の摘発に功があったということで、その褒賞を受けるためだった。
今回は王都攻撃のための援軍を要請に来ている。なんとしても援軍を出してもらわねばならない。
門の前では中に入ろうとする者に対して、厳重な取り調べが行われていた。
王領からの難民を公都に入れないためだろう。
政人は門番に、シャラミアからソームズ公に宛てた書状を見せた。
それを見た門番はすぐに政人たちを都市に入れ、ソームズ公の居城まで案内してくれた。そしてソームズ公に取り次いでくれた。
待合室で待っていると、ソームズ公の秘書がやって来た。
「フジイ・マサト様ですね? 書状を預からせて頂いてもよろしいですか?」
(できれば直接渡したかったが、まあ仕方ないな)
政人は書状を預けた。
「ところで、一等事務官のバーラさんはいるかな?」
「今は貿易のため、神聖国メイブランドに行っております」
相変わらず貿易の仕事をしているようだ。
それから、あまり待たされることもなく、ソームズ公の執務室に案内された。
「フジイ様たちをお連れしました」
「入れ」
ソームズ公の眉間のしわは、相変わらず深く刻まれていた。産まれてから一度も笑ったことがないのでは、と思わせる顔だ。
「書状は読ませてもらった」
ソームズ公は挨拶もなく、単刀直入に切り出した。「シャラミアは、私に援軍を出すように求めてきている。そして、もし自分が王になったら、私を宰相に任命すると書いている」
「シャラミア様には政治経験がありませんので、補佐が必要でしょう。閣下ならば、誰もが納得すると思います」
「私には、そのような大任は務まらぬ。いや、誰であっても今の王国を立て直すのは難しかろう」
「でも、誰かがやらねばなりません。閣下は、シャラミア様が最も信頼している方です」
「シャラミアは、王になった後の方針を持っているのか?」
ソームズ公は、政人の目を見つめて言った。「王を倒し、自分が女王になるというのなら、その後のことを考えていなければ無責任だ。民衆は国の力そのものであり、無駄に死なせていいものではない。ウェントリーとの国境にあるガンフェランの関を攻め落とすなどという行為は、王国の統治者としては失格だろう」
どうやら、すでに反乱軍の情報を手に入れているようだ。
政人は、ソームズ公にごまかしは通用しないと思った。
「今回の乱を引き起こしたのは、アクティーヌ公とその息子のダンリーであり、シャラミア様は意図せず祭り上げられてしまっただけです。
ですから、確かに王としての覚悟は、まだ足りないかもしれません。
でも、国と民を思う心は本物です。
彼女に足りないものは『力』です。
彼女はまだ十七歳であり、後ろ盾もありません。力がないから、ダンリー公子に利用されるしかないのです」
政人はソームズ公の反応を気にしながら続けた。
「だからこそ、力を持つ者は彼女を助けなければなりません。彼女を助けることは、国を助けることと同義であり、それは力を持つ者の責任です」
「君はどうなんだ?」
(ん?)
「どういう意味でしょうか」
「君はシャラミアを助け、王位につけるために動いているのだろう? シャラミアはそう書いてきている。ならば今後の方針を持っているはずだ。君はこの国をどんな国にしたいのか、聞かせてくれ」
(どう答えれば、援軍を出してもらえるだろうか? ……いや、きっとこの人は上辺だけの言葉では説得できない)
政人は、ソームズ公がどんな答えを求めているかではなく、自分が思っていることを正直に言うことにした。
「私はこの国で、嫌なものをたくさん見てきました。
貧しさのため、生まれ育った土地と家を捨て、盗賊にならざるを得なかった者たちを見ました。
ケモノビトであるために差別され、軽い罪で死刑になりそうになった子供を見ました。
両親を失い、体を売ろうとしている少女を見ました。
彼らは努力しなかったから、不幸になったわけではありません。
自分の力ではどうしようもないところで、不幸になっているのです。
私はそのような者たちがいなくなるようにしたい。
『弱い者でも、幸せに生きることができる国』にしたいのです」
「…………」
沈黙が場を支配した。
ソームズ公はじっと政人を見つめ、考え込んでいる。
そして、ようやく口を開いた。
「言葉というものは、重くも軽くもなる。『言うは易く行うは難し』だ。――君の言葉は言葉だけではないことを信じよう」
「それでは、援軍を出していただけますか?」
「元より、そのつもりだが」
「えっ!?」
「シャラミアに言われなくても、そうするつもりだったさ。国の危機をこれ以上傍観しているわけにはいかんからな。もう出陣の準備はできている」
唖然とする政人に、ソームズ公は言った。「だから、ここでの会話は単なる雑談だと思ってくれ。いや、いい話を聞かせてもらった」
ソームズ公はそう言って、口角を上げて見せた。
本人は笑っているつもりなのだろうが、全くそうは見えなかった。




