59.ルーチェは力の片鱗を見せる
ルーチェと二人でハルナケア山地を越えて王領に入り、宿場町ガレンに到着した。
政人は、町が異様な雰囲気に包まれているのに気付いた。
広場に人が集まっている。五百人はいるだろうか。
人々の前には文官風の服装の男が立っていて、何やら原稿を読み上げている。
男の隣では、兵士が大きな旗を掲げている。
その旗には『てんとう虫』をモチーフにした絵が描かれている。アクティーヌ家の家紋である。
「憂国の士に告ぐ!
ガロリオン王国の命運は、まさに尽きんとしている。王が幼少なのをいいことに、君側の奸が国政を牛耳っているためだ。
摂政のジスタス公は、己の意に沿う者だけを高位につけ、従わぬ者は閑職に追いやっている。
王太后は己の贅沢のために国費を浪費し、離宮には愛人を囲い、風紀を乱している。
その悪政の結果、無辜の民は重税に苦しんでいる。飢えに苦しむ者は野草を食べて命をつなぎ、病に苦しむ者は薬を買う金もない。生まれ育った土地や家を手放す者は後を絶たない。
こんなひどい状態に置かれながらも沈黙を守る者たちよ、怒りの声を上げよ!」
文官風の男は声を張り上げて演説をしている。
(これは……民衆の蜂起を促しているのか!?)
「我らアクティーヌ家は国を守るため、そして民を守るため、王家に対し反旗を翻すことを宣言する。諸君、我らに続き、今こそ立ち上がれ!」
演説が終わると、集まった人々はざわつき始めた。
そこへ、ガレンに駐留している王家の兵士たちがやって来た。
「貴様ら、何をしている! 即刻解散せよ! 王家に対する反逆は死罪だぞ」
隊長らしき兵士はそう言って、演説をしていた男に近づいた。「その男を捕らえよ、怪しげな言説で民を扇動する反逆者め!」
アクティーヌ家の扇動者は言い返す。
「諸君、そいつらこそが王の権力を振りかざす国の害虫だ。我らの怒りをぶつけてやれ!」
男が兵士たちを指さしてそう言うと、広場に集まった人々は口々に叫んだ。
「そうだ! もうおまえらの思い通りにはならねえぞ!」
「何が王家だ、なめんじゃないわよ!」
「そいつらを袋叩きにしろ!」
(まずいな……人々の感情が暴走して、自制できなくなっている)
「みんな、落ち着いてくれ! ここで王家の兵士を袋叩きにしても問題は解決しないぞ!」
政人は声を張り上げたが、五百人の暴徒が発する怒声にかき消され、彼らの耳には全く届かない。
いよいよ狂気と暴力が場を支配しようか、という時だった。
「黙りやがれっ! このクソ虫どもがっ!!」
たった一人の声が、五百人の声を圧倒した。
ルーチェの声を聞いた人々は、ある者は魂が抜けたように放心し、ある者は足に力が入らなくなったのか、腰から砕けて尻もちをついた。
辺りは静寂に包まれた。
(前にも冒険者ギルドで、こんなことがあったな……。ルーチェの『声』に力があるのか?)
政人はリンチを受けそうになっていた隊長のところへ歩いて行った。なんとなく顔に見覚えがあるのは、以前に検問をされたときに見かけていたからだろう。
「大丈夫か、あんた」
「あ、ああ。よくわからんが、助かった。殺されるかと思ったよ。あんたのおかげなのかな、ありがとう」
「俺じゃなくて、彼女だよ」
政人はルーチェを示し、それからアクティーヌ家の扇動者たちを指さして言った。「それより、あいつらを逮捕した方がいいんじゃないか?」
「そうだな」
隊長は部下たちに命令した。
「あいつらを捕まえろ!」
扇動者たちは慌てて逃げようとしたが、すぐに捕まった。
そして政人は、彼らが連行されていくのを見届けながら、ルーチェに聞いた。
「なあ、ルーチェ。さっきは何をしたんだ? 君の声を聞いたとたんに、皆、気を呑まれたようになったが」
「いや、わかんねー。アタシはただ、ムカついたので怒鳴りつけてやっただけなんだよ」
「なんにせよ、助かったよ。あのままじゃ、大変なことになってた」
「じゃあ、アタシの頭も撫でてくれるか?」
ルーチェはからかうように言った。「なんてな、アタシはイヌビトじゃねーし。でもまあ、役に立てたならよかったよ。最近あんまり政人の力になれてなかったからな」
(そんなことを気にしてたのか)
政人はルーチェを頼りにしている。戦闘に関してもそうだが、タロウやハナコと違い、対等な立場で話せるのがありがたいのだ。
知らない世界を旅するのは、どうしても不安なものだ。政人はリーダーとして振舞っているが、責任の重さに押しつぶされそうになるときがある。
そんなとき、ルーチェが隣にいると不思議な安心感があるのだ。
ピンチに陥った時でも、彼女が動じる姿を見たことはない。弱音を吐く姿などは想像することさえできない。
彼女の前向きさは、政人にとって救いだった。
そんな気持ちをルーチェに伝えてみようかとも思うのだが、どうしても気恥ずかしさが勝ってしまう。
政人は元々、女性に対して積極的なほうではない。ハナコに対しては特に抵抗もなくハグができるが、それは彼女がペットだからだ。
「いや、ルーチェは十分役に立ってくれてるよ」
政人が言えるのはこれが限度だった。
広場に集まっていた人たちは、気が抜けたように普通の生活に戻って行った。
政人たちは兵士たちの詰め所に行ってみた。兵士は政人たちの顔を見ると、中に入れてくれた。
「ああ、あんたたちは……、さっきは本当に助かったよ」
「いいんだ。それより、あいつらは何者だ? アクティーヌ家がどうとか言っていたが」
「あいつらを尋問したところによると、どうやら、アクティーヌ公が、王家に対し兵を挙げたようなんだ。それで各地の町や村に人を派遣し、呼応して立ち上がるよう檄を飛ばしているらしい」
「それは……大変なことになったな」
(ついに、戦争が始まってしまったか。しかも、民衆を巻き込む最悪の形で)
この町はルーチェのおかげで民衆の蜂起には至らなかったが、他の町では扇動に成功しているところもあるだろう。
「ルーチェ、急ごう」
詰め所を出た政人たちは、そのまま町を出て、クロアへと向かった。




