56.タンメリー女公の慧眼
「死亡保険と医療保険――ですか?」
タンメリー女公はピンとこないようだ。
レンガルドでは、商船の船主たちが金を出し合って、嵐や海賊による海難事故で船や積荷に損害が出た場合に、その船主に金銭を給付するという、海上保険のような事が行われた例はあった。
だが、死亡保険や医療保険が制度として行われたことはない。
「死亡保険は冒険者が迷宮内で死んだ場合、残された家族に金銭を支払う制度です。医療保険は、冒険者が迷宮内で怪我をした場合、冒険者本人に医療費を支給する制度です。冒険者の保険なので、どちらも『迷宮内で』という条件を付けます」
「そのお金は冒険者が出すということですか」
「そうです。冒険者がギルドに保険料を納め、その資金によって、受給者に金銭を給付します。死亡保険料は家族がいる冒険者が、医療保険料は全ての冒険者が払います」
「保険への加入は強制ですか? 強さに自信がある冒険者は、自分には必要ない、と思うかもしれませんよ」
「そういう冒険者が真っ先に死ぬでしょうね」
政人がそう言うと、女公は微笑んだ。
「そうですね。強制にすべきです」
女公は続けて言った。「でも、それでは不公平が生じます。慎重な性格の冒険者は、死んだり怪我をしたりしないので給付を受けられず、無鉄砲で命知らずな冒険者ばかりが給付を受けることになるでしょう。そうなると、慎重な冒険者は不満に感じるはずです」
(確かにそうだろうが、全員が保険料を納めないと、制度が成り立たなくなる)
「金銭を受け取れなくても、『安心』を得ることができます。慎重な冒険者ほど、それを喜ぶのではないでしょうか」
それを聞いた女公は、あまり納得したようには見えなかった。
「政治の要諦は、正しい者が報われる仕組みを作ることにあります。命を大切にする者こそが、利益を受けられるようにするべきではないでしょうか」
「それは……その通りです」
(命を大切にする者は、そもそも冒険者にならないだろうけど、ここでそれを言ってもしょうがないな)
「こうしてはどうでありますか?」
ハナコが提案した。「ギルドの会員証に等級をつけるのであります。A、B、C、D、Eという等級をつけ、等級が上になるほど、素材を高く買い取ってもらえるなどの特典を受けられるようにするのであります。また、優越感を得ることもできるであります。そして等級が上がる条件には、怪我をせずに冒険を続けている事、というのを入れるのであります」
「なるほど、それはいい考えです」
(よし、後でハナコを褒めてやろう)
女公はしばし考える様子を見せた後に言った。
「死亡保険と医療保険のこと、前向きに検討しましょう。会議の議題に入れるので、後で企画書を書いておきなさい。あなたたちにも会議に出席してもらいます。会議は三日後の午後三時から行います。時間は厳守するように。受付で名乗れば会議室まで案内します。企画書については書き終わり次第、持ってくること」
「わかりました」
(面倒なことになった)
「それでは、次は新規事業への資金援助についての話を聞かせてもらいましょう」
「はい、私はポルテン村で、ある嗜好品を好んで吸っている男たちを見ました。ポルテン村の近郊に生えている『チャバコ草』という植物の葉を乾燥させて、火をつけ、その煙を吸っているのです」
「ポルテン村にそのようなものがありましたか」
「ここに持ってきています。閣下に試しに吸ってみて頂きたいのです」
そして政人は、パイプに葉を詰めた。
「まず、私が吸って見せます。こうやって、吸いながらマッチで点火します」
そして政人は、ゆったりと煙をくゆらせた。部屋にチャバコ草の香りが漂っていく。
「なるほど、今まで嗅いだことのない、不思議な匂いですね」
「はい、吸っていると、とてもリラックスできます」
「私にも吸わせてもらえますか」
「はい、別のパイプを用意します」
そして政人は、女公にパイプを差し出した。
「閣下、まず私が」
隣にいた騎士が毒見をしようとしたが、女公は手を振って下がらせた。
女公はゆっくりと吸いながら火をつけ、煙を口に含んだ。むせることもなく、吸っては吹くを繰り返している。
次第にうっとりとした表情になってきた。
「これをポルテン村だけで吸っていたとは――もったいない話ですね」
「まったくです。これを広めれば、皆、こぞって求めるでしょう。莫大な収益を生む事業になります」
「あなたはチャバコ草の生産、販売の事業を起こしたいのですね。それで、私に資金援助をして欲しいと」
「その通りです」
女公はさらに紫煙をくゆらせてから、言った。
「マサトさん」
「はい」
「事業ごと、タンメリー家に譲ってください」
(おいセリー、聞いていた話と違うぞ!)
「それは」
「五千万ユール出しましょう」
政人は言葉を失った。
「もちろん、正確な金額は実地調査をしてからになりますが、少なくともそのぐらいの価値はあるでしょう。タンメリー家で独占することになりますから」
「…………」
「チャバコ草が出回れば、他領が、いえ、他国も自分たちで栽培しようとします。そしてポルテン村を突き止め、チャバコ草の自生種を盗み出すでしょう。そうなれば独占が崩れ、利益が失われます」
「…………」
「機密の漏洩を防ぐには、徹底的な管理が必要となります。私はタンメリー家の軍を動員して、ポルテン村周辺を完全に封鎖するつもりです。それは、あなたにはできないことです」
「わ、わかりました。お譲りします」
政人はようやく言葉をしぼり出した。否やはなかった。
(五千万ユールだって!? 今はまだ、ポルテン村の風習を紹介したに過ぎないのに)
政人は、タンメリー女公の慧眼に恐れ入った。
「チャバコ草についても、会議の議題に入れます。あなた達にももちろん、出席してもらいます。企画書を書いておきなさい」
「わかりました」
有無を言わせぬ口調だった。うなずくしかなかった。
「最後に――いいかしら」
「なんでしょうか」
「あなた、私に仕えるつもりはありませんか? 一等事務官として迎えましょう。ハナコさんも一緒にね。年俸は三百万ユールでどうかしら」
(それもありかもな)
と、一瞬思ってしまったが、そういうわけにもいかない。
「過分な評価をして頂き、痛み入りますが、私たちには他にやるべき事がありますので」
「そうですか、残念です」
女公は隣にいる騎士に声をかけた。「ベネット、お送りしなさい」
そして政人たちは謁見室を出た。




