340.演説会
王都デセントの王城前の広場は、かつて直接民主制だった時代に政治家が演説を行っていた場所だ。
演説者の周囲はぐるっと半円形の壁で囲まれており、音響効果によって遠くにいる者にまで声が聞こえる設計になっている。
しかし、この5万人を超える群衆を前にしては、さすがに後ろの方までは聞こえないかもしれない。
大統領候補者たちによる公式の演説会が始まっていた。
5人の候補者の内、すでに2人の候補者が演説を終えている。
「今の方は気の毒でしたね。話している最中にあんなにヤジが飛ぶなんて」
英樹と共に演壇の後ろで見物しているメルは、眉をひそめて言った。
たった今演説を終えたのは僧侶の男で、その話の内容はひたすら神の教えを説くものだった。
彼は五神派であり、闇の神の信仰が広まって来た現状を苦々しく思っていたようで、正統な教義についての話を延々と続けていた。おそらく普段から信者たちに対して、そんな話をしているのだろう。
六神派が多数派となった王都の民衆は、五神派の教義をまともに聞く気にはなれなかったようで、演説の途中からさかんにヤジを飛ばしていた。
「政治に関係ない話ばかりをするのも、どうかと思うけどね。でもヤジだけで済んでよかった。この間のような暴動が起きないか、心配しながら聞いてたよ」
「それは大丈夫だと思います」
一緒に見物しているライバーが、英樹を安心させるように言った。「あの時とは雰囲気が明らかに違います。聴衆はこのイベントを祭りのように楽しんでいるようです」
(祭りじゃなく、国の運命を決める重要な演説会なんだけどなあ)
続いて、3人目の候補者の演説が始まった。英樹の友人であるヘンシェンク・ロットである。
ロットは演壇に登ると聴衆に一礼し、自分の主張を語り始めた。
「我々に神など必要ありません!」
いきなり衝撃的な一言だ。
「王の権威は神の加護によって保証されていることになっていますが、それは間違いです。1人の人間が他のすべての人間よりも上位に立つなどということが、あっていいはずがありません。そのようなことを認める神なら、いなくても構いません」
(うーん、これでは民衆の支持を得られないだろうなあ)
民衆は王や教会に不信感を持ってはいるが、神が必要ないなどとは思っていない。
彼らは闇の神の存在を認めてくれる人物に、指導者になってほしいのである。
ロットはもともと信仰心が薄い人間なので、そんな言葉が出たのだろう。しかし宗教の力が強いこの国で、神を信じない者が支持されるはずがない。
もちろんロットも、そんなことはわかっているはずだ。
(これは自分が大統領になったら、宗教を政治に関わらせないという宣言なんだろうな)
英樹も政教分離は必要だと思っている。しかし国民がそのような考え方を受け入れるかどうかは、別の問題だ。
ロットはさらに続ける。
「この大統領選挙の意義をわかっていますか? 私の『人民主権論』を読んだ方なら知っているでしょうが、国家の主権者は王ではなく、あなたたち民衆なのです。ですから、あなたたちは選挙に投票することにより、自ら政治に参加しなければなりません。
でも選挙が終われば政治参加が終わるわけではありません。私が大統領に選ばれたなら、重要な案件は国民投票によって決定します。
国家の最も重要な権力は立法権力ですが、法律もあなたたちがつくるのです。まず私、あるいは皆さんの内の誰かが『こんな法律をつくったほうがいい』と提案します。それに賛成か反対かを、国民投票によって決めるのです」
英樹は、法律は大統領がつくると考えていた。現在通用している法律も、王がつくったものだからだ。
(でも大統領が行政権を持つなら、立法権は国民が持った方がいい。さすがロットだ)
英樹は感心したが、ここからロットの話はよくわからないものになっていった。
「ですが多数決では、少数者の意見が無視されてしまいます。また各人が公共のことを考えずに私利私欲に従って投票すれば、政治は機能しなくなります。
それを防ぐため、国民が共有する意志を普遍意志として統合します。普遍意志は私的な利益ではなく、常に公的な利益を目指しています。だから普遍意志は常に正しいのです」
「ヒデキ様、普遍意志ってなんですか?」
「さあ、『人民主権論』にそんなことが書いてあった気はするけど、僕にはよくわからなかった。政人ならわかるかもしれないけど」
「ロットさんは学者ですからねえ。きっと立派なことを言ってるんでしょうが……」
メルや英樹だけではなく、聴衆の頭の上にも「?」マークが浮かんでいるのが見えそうな気がした。
「そこで私はまず、普遍意志に基づいて憲法を作成します。皆さんは憲法に従って法律をつくっていくのです」
「ヒデキ様、憲法ってわかりますか?」
「ああ、それなら知ってるよ。憲法は普通の法律より上位にあるものなんだ。法律は国民を縛るのに対し、憲法は国家権力を縛るものだ」
「へえ、さすがヒデキ様、よくご存じですねえ」
「メルが知らないのは当然だよ。だって憲法は、政人がこの世界に持ち込んだものなんだから。ロットはガロリオン王国にいたから知ってるんだろうけど」
「それでは、ここにいる者たちのほとんどは、何の話だかわからないでしょうな。もちろん私もです」
ライバーが渋面をつくって言った。「あのロットという男は説明不足です。聞き手のことを考慮していないのでしょう」
ロットはそれから規定時間を大幅に超えてしゃべり続けた。演説を終えた時は拍手も起きなかった。聴衆はよくわからない話を長々と聞かされ、退屈していた。
(これでは当選は難しいだろうなあ。ロットは外見はいいんだから、わかりやすい話をすれば支持を得られたはずなのに)
不本意そうなロットに代わって、4人目の候補者が演壇に登った。ワイマン・ギースという名の、35歳の官僚の男だ。
「あ、あの、こんなに大勢の人の前でしゃべったことがないので、とても緊張しています」
ギースが話し始めると、群衆の間から軽い笑いが起こった。
緊張しているのは見ただけでわかる。あたりをキョロキョロと見回し、しきりに首をひねったり、ずり落ちそうになったメガネを直したり、とにかく落ち着きがない。
外見もロットと違って野暮ったいので、彼が大統領になって人々を指導する姿というのは想像しにくい。
「ええと、僕はまず、この国を連邦制にしようと思います」
それでも彼は原稿を読みながら話し始めた。
「官僚としての経験から気付いたのですが、王都にいると地方の様子がまったくわかりません。そこで全国を14の州に分け、各州に州知事を置いて独自に行政を担当させます」
(なるほど、さすがに官僚だけあって現実的だな)
ちゃんと地方にも目を向けていることに英樹は感心した。現状では地方の町に対しては、税を徴収する以外のことはほとんどしていない。外国との玄関口になっている港町ゾエでさえも、ゴドフレイの私兵が治安を守っている状態だ。
「そして王都には中央議会を置き、法律をつくったり予算を決めたりします。議会というのは、国民の代表である議員たちが集まった組織のことです。議員は各州から人口に応じた人数を選挙で選びます。大統領は行政を担当し、中央議会は立法を担当します」
(なるほど、立法は議会が行うというのは正しいことだ。ロット以外にも、立法権と行政権を分けることを考える人がいたのか)
それは大統領の権力の一部を、別個の機関にゆだねるということだ。大統領自らが、自分の権力を制限すると言っていることになる。
英樹はこのギースという男に興味を持った。
ギースはその後も、税制や社会保障、軍事や外交などについて具体的に語っていった。
彼の話は教育を受けていない人にも配慮されていて、わかりやすい。ロットの話とは違い、多くの人が理解できただろう。
そして彼は演説を、こんな言葉で締めくくった。
「現在王都では、宗派の違いによって分断が生まれています。ですが五神派も六神派も同じメイブランド教徒であり、神聖国メイブランドの国民です。みんなで力を合わせて、新しい国をつくっていきましょう」
大きな拍手が起こった。
「悪くないですな。彼ならこの国を変えてくれそうな気がします」
ライバーはギースを気に入ったようだ。
「そうですかね。私はもっと大きな声で、堂々とした態度で語ってほしかったです。原稿を読んでいるのも気に入りません」
メルはやや不満そうだ。話の内容よりも、話す態度が頼りないと感じているのである。また声量が不足しているので、遠くにいる者には聞こえなかっただろう。
「そうだね。でもロットより現実が見えているようだし、僕は彼を支持したいな」
次はいよいよ最後の候補者が登壇した。
ゲルター・ブリッツという名の42歳の男で、定職にはついていないらしい。体格は小柄なのに対し、顔が大きい。お世辞にも美男子とは言えないが、どことなく愛嬌がある。
「メイブランド教会は、つぶさねばならない!!」
しかし愛嬌のある外見とは裏腹に、過激な言葉が飛び出した。驚くほど声が大きい。5万人の聴衆の耳にもはっきりと届いているだろう。
英樹としては、あまり過激なことを言う人間は好きにはなれないが。
「なぜなら教会は闇の神の存在を否定し続け、私たちに嘘をついていたからだ!」
ブリッツは大きな身振り手振りと共に、並外れた声量で人々に語りかけている。
「教祖様は闇の神を信じておられた! それを後世になって恥知らずのクソどもが教えをねじまげてしまった! クソどもは闇の神の存在をなかったことにし、それに反対する者たちを残酷なやり方で殺したのだ! クソどもは今ごろ、地獄の業火に焼かれているだろう!」
教祖メイブランドの時代は、闇の神も他の五柱の神と同様に信じられていた。それは事実なので、ブリッツの言うことは間違ってはいない。だが言葉が下品なのが英樹は気に入らない。
しかし聴衆を見ると、満足そうな顔の者が多い。自分たちの言いたかったことを言ってくれているからだろう。
このような発言は以前なら決して許されなかったものであり、それを堂々と口にする男の姿に、人々は「強さ」を感じていた。
「そして五神派の連中は、社会を自分たちの都合のいいようにつくりかえてしまった! すべての権力は五神派が握り、六神派が存在することを許さなかった! だから私は幼い頃からずっと、闇の神への信仰を隠してきたのだ!」
それを聞いたライバーは、不審そうに言った。
「あの男はヒデキ殿が布教をする前から、闇の神を信じていたのでしょうか?」
「どうかな? 言うだけならなんとでも言えるからね」
神聖国の王都で六神派が信仰を隠して生活していたとは、正直信じられない。
「王族や教会の関係者たちだけが豊かな暮らしをして、私たち庶民は貧しさに苦しんでいる!
五神派の王たちは自分勝手に振舞うだけで、国のためになることは何もしてこなかったのだ! レナやブリューデンスが死んだのは、天罰が下ったのだ!」
「なんだか、心に訴えかけてくるような力強い言葉です。今までの人の話はピンときませんでしたが、この方の言っていることはよく理解できます」
英樹やライバーとは違い、メルは感動しているようだ。
確かにブリッツは原稿を読んでいないし、言葉には感情がこもっている。マイクなしで5万人が聞き取れる声量を出せるのもすごい。
そして、わかりやすい言葉しか使っていない。
(地球にいた頃も、人気がある政治家というのは、わかりやすい言葉で語る政治家だったな)
テーマを「五神派の悪口」だけにしぼっていることも、大衆の心をつかむのに効果があるだろう。
それは政治や法律の話よりもおもしろく、共感できるからである。
「このような社会を変えるため、私たちは一つになろう! 五神派と六神派が争うようなことは、神々も望むはずがない!」
(へえ、まともなことも言うじゃないか。確かに社会の分断はよくないことだ)
英樹は少しブリッツを見直したが、その後の言葉には血の気が引いた。
「だから五神派は存在してはならない! 正しい教えは一つしかないからだ! すべての国民が六柱の神を信じるべきだ!」
「そのとおりだ!!」
「五神派は異端だ!!」
「異端者は出て行け!!」
人々は口々にブリッツに賛同する声をあげた。少し前まで、自分も五神派だったことを忘れているのだろうか。
彼らは一体感に酔っていた。大衆にとって、自分がみんなと同じであるということは快感なのである。
もちろんこの中には五神派の人間もいるのだが、この状況では口を閉ざすしかない。
「怖いです。なんなんでしょうか、あの人たちは」
さっきまでブリッツを評価していたメルも、これには嫌悪感を隠さなかった。
ブリッツは聴衆を見渡して満足そうに笑みを浮かべ、右手の拳を天に突きあげた。
「五神派は敵だ!」
そしてついに、闇の神を信じない人間を敵と認定してしまった。
これにはさすがに六神派であっても、眉をひそめる者もいる。しかし宗教の問題では、穏健は過激に対して分が悪い。
多くの者たちがブリッツに続いて唱和した。
「五神派は敵だ!!」
「五神派は敵だ!!」
「五神派は敵だ!!」
広場は熱狂の渦につつまれた。
ロットやギースが何を語っていたか、すでに彼らは覚えていないだろう。
一週間後の投票の結果、ブリッツが大差で当選した。
神聖国メイブランドの初代大統領には、英樹の理想から大きくかけ離れた人物が就任したのである。




