34.『白痴王』ヴィンスレイジ・クオン
ジスタス公の執務室を出たシャラミアは、王の私室へと向かった。
六つ年下の従姉弟であるクオンとは、幼いころからよく一緒に遊んでいた。
シャラミアの趣味に合わせて、おままごとやお人形遊びのような、女の子が好むような遊びばかりしていたのを、今は後悔している。
クオンが王になった今、陶器の人形集めに熱中して国費を浪費しているのは、自分にも責任の一端があるような気がするからだ。
彼が王になった後は、めっきり会う機会も少なくなっている。
部屋の前には騎士が二人立っていた。彼らはシャラミアの姿を見ると、さっと敬礼をした。
「シャラミア様、陛下に御用でしょうか」
「彼と二人だけで話がしたいの」
「わかりました。どうぞ」
「ありがとう、ティナはここで待っていて」
「かしこまりました」
侍女のティナを残して一人で部屋に入った。
八メートル四方の広い部屋は、人形で埋め尽くされていた。
壁際の棚には、さまざまな種類、大きさの人形がずらりと並んでいる。
男性の人形、女性の人形、少年の人形、少女の人形、イヌビトの人形。
年齢も性別もさまざまだ。床にもたくさんの人形が散らばっている。
クオンは部屋の隅っこで一人で遊んでいた。何やら少女の人形に話しかけているようだ。
「……アリサ、ママが最近会いにきてくれないんだ。僕のこと、嫌いになっちゃったのかな?」
人形に向かってそう言った後、今度は女の子のような声を出す。
「そんなはずないでしょ。あなたのママは忙しいから、ここに来る時間もないのよ。でも明日になったら来てくれるんじゃないかしら。『ああ、私のかわいいクオン』って言って、抱きしめてくれるわよ」
どうやら、人形のセリフを自分で言っているようだ。
「そうだよね! きっとそうだよ! ポルックもそう思うよね?」
今度はひげをはやした男の人形に話しかけた後、彼にとっては精一杯の低い声を出す。
『もちろんでございます。今もクオン様のことを、思っておられるでしょう』
シャラミアは、一人で人形と会話をしているクオンを見て、うすら寒くなった。
「クオン、いいかしら」
「うわっ! ……なんだシャラミアか、驚かせないでよ」
一人遊びを見られて、さすがにばつが悪い様子だ。
まだ昼だというのに寝間着を着ている。
その顔は、まるで女の子のように可愛らしい。ほとんど外に出ることがないためか、透き通るような白い肌だ。
ヴィンスレイジ王家の者に特有の赤い髪が、サラサラと肩まで伸びている。
彼は民衆から陰で『白痴王』という、ひどいあだ名で呼ばれている。
シャラミアは、クオンの頭の働きは、白痴と呼ばれるようなひどいものではないと知っている。
だが、口さがない民衆にとっては、子供とはいえ人形に夢中になって全く姿を見せない王を、そう呼びたくなったのだろう。
「ねえクオン、私と一緒に城下に出てみない? きっとみんな、あなたの姿を見たがってると思うの」
「嫌だよ、みんな僕を見て、女の子みたいだって笑うから」
「笑わないわよ。あなたは王なんだから。騎士たちにも一緒に来てもらうから、大丈夫よ」
「だから、嫌だって」
「そう……それじゃ、城下じゃなくて、城内を見て回りましょうか。城内には家臣たちしかいないから、誰もあなたを笑わないわ」
「…………」
「長い間王の姿を見ていないから、みんなあなたが病気ではないかと心配しているわ。元気な姿を見せてあげれば、安心すると思うの。」
「…………」
「たまには部屋の外に出た方がいいわよ。でないと――」
ガシャーンと物が壊れる大きな音が響き渡った。
「嫌だって言ってるだろ!」
クオンは人形を壁に投げつけていた。
音を聞きつけてティナと騎士たちが入ってきた。
騎士たちは慣れているのか、何も言わずに割れた陶器の破片を片付け始めた。
ティナは心配そうに声をかけてきた。
「シャラミア様、大丈夫ですか」
「ええ、私なら大丈夫よ」
(この国は大丈夫ではないけれど)
―――
「御主人様、押すなよ! 絶対に押すではないぞ!」
ハナコは恐怖のためか、妙なことを口走っている。
「押さないから、ちゃんと前を向いて歩け」
政人たちは、山の中腹の崖に棚のように張り出した桟道を歩いている。
桟道は木でできており、幅は一メートルほどだ。崖の下は怖いので見ていない。間違いなく落ちたら死ぬ高さだろう。
先頭をクリッタが歩き、その後をタロウ、ハナコ、政人、ルーチェと続いている。
タロウとハナコは四つん這いで歩いている。二人とも高い所は苦手なようだ。
(犬は猫と違って高い所が苦手だからな)
タロウは泣き言は言わずに、懸命に歯を食いしばって進んでいるのだが、ハナコは恐怖のためか、口数が多くなっている。
もちろん政人も高い所は好きではない。
(こんなところを通ると知っていれば、正規のルートを通ると主張していたのに)
今までも、まともな道はほとんどなかった。
出発してすぐに、木や草が鬱蒼としげる森の中に入り、地面には木の根がむきだしているような場所を歩かされた。
その後も不安定な岩場を歩くことになった。
それでもここまで来ることができたのは、クリッタがうまく誘導してくれたからである。彼は野営できる場所も知っていた。
政人の前を、ハナコが金色の尻尾が揺らしながら這い進んでいる。
「御主人様、もし我が死んでも、我のことを忘れるでないぞ」
「ああ、絶対に忘れない」
「そこは『絶対に死ぬな』と言って欲しかったのである」
ハナコは怖がってはいるが、まだ余裕はありそうだ。
後ろからルーチェの声が聞こえてきた。
「でもマサトは割と平気そうじゃねーか、足取りもしっかりしてるしな」
「それは、俺がバランスを崩したとしても、ルーチェなら助けてくれると信じているからだ」
とは、恥ずかしくて言えない。
代わりに「まあな」と答えておいた。




