33.ヴィンスレイジ・シャラミアの憂鬱
翌日、政人たち四人にクリッタを加えた一行は、ヘルン南西のポルテン村へと馬を走らせていた。
もっとも、馬が一頭足りないため、ハナコはルーチェの前に抱きかかえられるようにして乗っている。
ハナコは政人と一緒に乗りたがったが、政人はまだ自分の馬術に自信がないため、ルーチェの前に乗るようにと命令したのだ。
クリッタが、政人の隣に馬を寄せてきた。
「日が暮れるまでにはポルテン村につくはずだ。今日は村長の家に泊めてもらう。俺が頼めば断らないだろう」
「クリッタはずいぶん顔が広いんだな」
「まあな」
クリッタは誇らしげだ。「もっとも、あの村の奴らは人がいいから、見知らぬ旅人であっても泊めてくれる。みんな貧乏なのにな」
「やはり税の徴収が厳しいのか?」
「ポルテン村はタンメリー女公領だから、そんなに無理な取り立てはない。女公は食えない婆さんだが、バランス感覚に優れた政治家だ。あの村が貧しいのは、土地がやせててろくに作物が育たないからだ。金になるのは、焼き物を作ってヘルンで売ることぐらいだな」
「宿場町にするのはどうだ? 俺たちみたいに、王領と行き来する旅人が泊まる宿があれば、需要はあるんじゃないか」
「あんな険しい山道を通ろうなんて酔狂な旅人は、俺たちくらいだ」
(大丈夫か、おい)
政人たちがポルテン村に着いたとき、まだ日は高かった。
村人たちは、旅人である政人たちに愛想よく挨拶をしてきた。クリッタがいるからだろう。
村長は五人を泊めることを快諾してくれた。
村内を散策していると、粗末な家や村人の服装から、確かに貧しさを感じ取れた。
まだ早い時間なので、皆、農作業や焼き物作りなど、忙しそうに働いている。
と思ったら、働かずに寄り集まって、だべっている男たちがいた。男たちは何やらおかしなことをしていた。
彼らは陶器でできた三十センチくらいの細長い管を持っている。
管の先端からは白い煙が出ており、もう一方の端を口に咥えている。
そして彼らは、その煙を吸って気持ちよさそうな表情をうかべているのだ。
「あれは何をしてるんだ?」
クリッタに聞いてみた。
「あいつらは時々仕事を中断して、さぼっているんだ」
クリッタは苦笑している。
「この村の近くに『チャバコ草』という植物が生えているんだ。チャバコ草は食べると死ぬほどの猛毒をもっているんだが、あるとき誰かが、こいつを乾燥させて火をつけると、かぐわしい匂いのする煙が出ることに気付いた。匂いだけじゃなく、その煙を吸い込むと気分がよくなるらしい。俺も吸わせてもらったことがあるが、イライラしていた気持ちがスーッと落ち着いたよ」
(はあ……この世界にもアレと似たようなものがあったのか)
「俺にも吸わせてもらえるかな」
政人はもちろん喫煙の経験はないのだが、興味を持ったので聞いてみた。
「もちろんだ、俺たちも交ぜてもらおう」
男たちは快くチャバコ草の煙を吸わせてくれた。政人は管をくわえ、ゆっくりと吸い込んだ。
(そんなにうまいとは思えないな……吸い慣れればうまく感じるようになるのかもしれんが。健康のことを考えれば、あまり吸わない方がいい気がする)
「悪くねーな、確かにいい気分になったような気がする」
ルーチェが口から白い煙を吐き出して言った。なぜか様になっている。
「ゲホッ、ゲホゲホッ」
「何であるか、このひどいニオイは!」
タロウとハナコは苦手なようだ。イヌビトには合わないのかもしれない。
政人は男たちに聞いてみる。
「あんたたちは、毎日これを吸ってるのか?」
「ああ、一日に五回ぐらい吸ってるよ。なぜか、やめられないんだよね」
(依存性があるようだな。やはりタバコに似ている)
「これを吸ってるのはこの村の者だけなのかな?」
クリッタに聞いてみた。
「たぶん、そうなんじゃねえかな。チャバコ草はこの辺りにしか生えてないし」
「なるほど」
政人はこの村だけで吸っているというチャバコ草を、いつか何かに活用することができるのではないか、と考えた。
(まったく、毒草に火をつけて煙を吸うだなんて、誰が最初に考えたんだか)
政人はチャバコ草の煙を吸いながら、金の匂いを嗅ぎとっていた。
―――
「火神よ、燃えさかる赤き火にて、人の世の汚れを浄化したまえ
土神よ、母なる豊穣たる大地にて、新しき生命を育みたまえ
風神よ、吹き過ぎゆく風にて、あまねく恵みを運びたまえ
水神よ、永遠に流れたゆたう水にて、生命の渇きをいやしたまえ
死にゆく定めの人間は、暗さに迷う者なれば
光の女神よ、闇を打ち払い、人の心を明るく照らしたまえ」
ここはガロリオン王国の王都ヴィンスレイジア、その中心部にそびえ立つ大聖堂の祈りの間。
メイブランド教の最高神たる光の女神の石像の前に、ひざまずく女性の姿があった。
純白のワンピースドレスに身を包み、小柄な体で一心に祈りをささげている。
腰まで届く燃えるような赤い髪が、白いドレスに映えている。
その女性は、祈りが終わった後もしばらく瞑想を続けていたが、やがて眼を開け立ち上がると、ささやくように言った。
「光の女神よ、ガロリオンをお救いください」
彼女はヴィンスレイジ・シャラミア。現在十七歳。
彼女の父親は先王ヴィンスレイジ・アイオンの弟で、今は亡きヴィンスレイジ・セイクーンである。
シャラミアは現在の王ヴィンスレイジ・クオンにとっては、従姉弟にあたる。
「それでは、行きましょうか、ティナ」
「はい、シャラミア様」
侍女に声をかけ、歩き出す。
その表情は不安に陰っているように見えるものの、大きな目からは意志の強さも、微かに感じさせる。
彼女は王国の未来を憂えていた。
十一歳のクオン王は人形遊びに夢中で、人前に姿を現すことはほどんどない。
甘やかされて育ったため、わがままが強く、廷臣の諌めの言葉には、耳を貸そうとしないのだ。
王太后のテラルディアは、そんな息子を放っておいて、遊び続けている。
彼女は自分のために王都内に建てさせた宮殿――テラルディア宮と名付けたらしい――にこもって、贅沢三昧の日々を送っていた。
時々、領内に造らせた三ヶ所の離宮にも羽を伸ばしているらしい。
少年王に代わって政務をとっている王太后の父親、摂政であるジスタス・バート公は、民から富を搾り取るだけで、なんら効果的な政策をとらない。
人心は離れる一方である。
シャラミアは王城へと向かった。無駄とはわかっているが、言うべきことは言わねばならない。
玉座の間に人の姿はなかった。玉座の上方に、ヴィンスレイジ家の家紋である「揺らめく炎」が描かれた掛軸が、空しく掛けられている。
王は自室にいるのだろう。まずシャラミアは、摂政の執務室へと向かった。
ドアの前に立っている兵士に声をかける。
「摂政殿はいるかしら?」
「はっ。現在殿下は休息中にて、誰も通すなと申し付かっており――」
「無礼者っ! この方はシャラミア様であるぞっ! すぐにジスタス公に取り次げっ!」
「は、はいっ!」
侍女のティナに一喝され、慌てて兵士は部屋の中に駆け込んだ。
しばらくしてドアが開き、兵士が「どうぞお入りください」と声をかけてきた。
中に入ると酒の匂いが漂っており、シャラミアは顔をしかめた。
(まだ日が高いうちから……)
ジスタス公はでっぷりと太った体に椅子をきしませながら、シャラミアに体を向けた。
「これはこれはシャラミア様、ようこそいらっしゃいました」
赤ら顔でだらしない笑顔を浮かべながら、挨拶をしてきた。
「こんな時間から飲んでいるのですか?」
「いやあ、私は少し飲んだ方が頭が働くものですから」
(お父様だったら、怒鳴りつけていたでしょうね。私にもお父様のような勇気があれば……)
シャラミアは気を取り直してジスタス公を説得する。
「摂政殿、民はもう限界です。自分の土地を捨ててまで逃げ出す者が、後を絶ちません。どうか税率を下げていただけませんか?」
「私も民の暮らしを考えると心苦しいのですが、それでは予算が足りなくなります」
「王太后陛下の離宮建築をやめさせれば、かなりの費用が浮くと思うのですが」
王太后は領内に三つの離宮を建てさせたが、新たに四つ目の離宮を建てようとしているらしい。
「娘には私も困っているのですが、なかなか言うことを聞きませんで」
「摂政殿は国の最高権力者でしょう。なぜ王太后陛下に命令できないのですか?」
「シャラミア様」
ジスタス公は表情を引き締めて言った。「私は父の後を継いでより三十年以上、領内を治めてきた経験があります。シャラミア様は聡明でいらっしゃるが、政治については素人です。私のやり方には口を出さないでいただきたい」
シャラミアは怒りを覚えた。
ジスタス公への怒りではなく、何も言い返せない自分の弱さに対する怒りだった。




