328.永遠平和のために
ロンセルは説明を始めた。
「ご存じだと思いますが、我が国はスランジウム王国を潜在的な敵国として見ています」
50年以上前、ローゼンヌ王国はスランジウム王国に侵攻したことがあった。
しかしサーレイン女王の魔法によって洪水を起こされ、当時の王を含めて多くの兵士が戦死し、大敗を喫した。それ以来、国交はない。
「しかしサーレインは暗殺されました。そこでグルフォード陛下は、この機会にスランジウム王国と国交を回復しようと考えました」
「賛成です。それは良いことだと思います」
政人がそう答えると、ロンセルはホッとした表情を見せた。他国と国交を結ぶのにガロリオン王国の許可が必要なわけではないが、宗主国の同意を得ておいた方がよいのは確かだ。
「そう言っていただけて安心しました。ですがあの国は今、それどころではありません。まだ次の王が決まらず、国が分裂しかかっているのです」
「はい。そこまでは我々も情報をつかんでいます。最新の情勢について詳しいことをご存じなら、お聞かせください」
ローゼンヌ王国にとってスランジウム王国は潜在的な敵国なので、当然多くの諜報員を送り込んでいる。しかも隣国なので、早く情報を得ることができるのである。
「わかりました。まずブラン系のアムリーヒト王子ですが、自分の領地をペトランテ王国に差し出そうとしています」
「え!? なぜそんなことを?」
驚きの声を上げたのは、クオンだ。
「侵攻される前に降伏した方が、有利な立場を得られると考えたのでしょう。あの御仁は保身のことしか考えていませんから」
「うーん、わからなくもないけど……王族なのに無責任な人だなあ」
「もちろんそんな男には、王になる資格はありません。残るのはローゼンガー系のシュルーク王子とフィロシア系のリアンナ王女ですが、どちらも自分が王位を継ぐことを主張して譲らないのです」
「だから内戦になる恐れがある、ということだね」
「ええ。ですがそんなことになればペトランテ王国を利するだけだということは、二人ともわかっています。だからお互いに、にらみ合っている状態ですね」
(それでもいつかは衝突する。リアンナが強引に即位するようなことがあれば、シュルークは兵を挙げるだろう)
この状況はランジェットの目論見通りなのかもしれない、と政人は思った。
「シュルークとリアンナの、どちらが王にふさわしいと思われますか?」
政人がそう問いかけると、ロンセルは少し考えてから答えた。
「どちらも性格的に問題がありそうです。シュルークは狷介で敵をつくりやすく、リアンナは信仰心が強すぎて独善的です。まあどちらがマシかといえば、シュルークの方が害は少ないのではないでしょうか」
「そうですね。それにシュルークにはヴィスラインという優秀な部下がいるので、主君の欠点を補ってくれるでしょう」
「なるほど、貴国もしっかり調査をしておられるようですね」
「はい。ウチには優秀な諜報員たちがいますから」
薬の行商人に扮して情報を集めている、マローリンの部下たちのことだ。
「御主人様、それでは我らが介入して、シュルーク王子を即位させてはどうであるか?」
「そうだな」
ハナコの言っていることは、以前にルーチェやタロウとも話していたことだ。
「いっそのことスランジウム王国に侵攻し、降伏させてはどうでしょうか? もちろん我が国も援軍を出します」
ロンセルはさらに過激なことを言った。「そしてマッケンスノー王家を取り潰し、植民地として完全に支配下に置くのです」
(そうすればローゼンヌ王国にとっての脅威がなくなる、ということか)
政人はうなずかなかった。
「スランジウム王国を勢力下に加えることは、考慮に値します。ですがその場合でも、統治は王に任せた方がよいと思います」
「なるほど。我が国のように従属国として扱い、主権は認めるということですか」
ロンセルは考え込んでいる。「実はマサト殿下におたずねしたかったことがあります。ガロリオン王国は炎斧戦争でローゼンヌ王国に勝ち、無条件降伏させました。その時にローゼンヌ王国を滅ぼし、領土の一部とすることができたはずです」
「そうですね。やろうと思えばできました」
「なぜ、そうしなかったのですか?」
「そんな広すぎる領土を治める自信はありませんから」
「そうでしょうか? マサト殿下の統治能力なら、レンガルド全土に目を届かせることができると思いますが」
「れ、レンガルド全土!?」
政人は驚いて、むせそうになった。
「あり得ないことではないでしょう。ガロリオン王国ならば、すべての国を武力で制圧して、レンガルドを統一することは可能だと思います。パージェニー元帥やルーチェ殿のような天才的な軍人、強力な海軍、そして忠誠心の高い諸侯たちを抱えているのですから」
「それにマサトもいるからね」
ロンセルとクオンが無茶なことを言うので、政人は慌てて否定する。
「いやいや、理由なく侵略戦争を仕掛けるわけにはいきません」
「レンガルドに平和をもたらすため、という理由ではどうですか?」
「平和を?」
「はい。現在はガロリオン王国が各国と個別に条約を結ぶ形で、いわば『ガロリオン同盟』が結成されています。これは一見、平和な体制が築かれているようにも見えますが、実は将来の戦争の可能性は残っています」
「そうですね。それはその通りです」
条約には有効期間があるし、もしガロリオン王国の力が衰えれば、各国はいつまでも従属国の立場に甘んじてはいないだろう。武力によって現状を打破しようと考えるかもしれない。
「ですが一つの国家がレンガルドを統一し、世界国家を樹立すれば、戦争がなくなるとは考えられませんか?」
「確かにそうだね。一つの国しか存在しなければ、戦争は起こりようがない。いつまでも平和が続くことになる」
クオンはロンセルの意見に賛成のようだ。「僕はそう思うんだけど、マサトはどう思う?」
(さて、どうだろう?)
ロンセルがこんなことを言いだしたのは、政人を試すためかもしれない。だがクオンは本気でそう思っているようだ。政人は慎重に答えることにした。
「世界から国境線がなくなれば平和な世界になる。そんなふうに考えていた時期が俺にもあった」
「今はそうじゃないってこと?」
「武力によって支配しようとすれば当然相手は抵抗し、それによって戦争が起きる。戦争をなくすために戦争をするというのは、正当化できることじゃない」
「でもマサトなら、軍事力を使わずに降伏させられるよね」
(どうもクオンは俺のことを過大評価してる気がするな)
「世界国家は理想的な国家のように思えるが、そうではないかもしれない。俺の元いた世界に、カントという偉大な哲学者がいた」
18世紀ドイツの哲学者、イマヌエル・カント(1724-1804)のことだ。
「カントは戦争の絶えなかった時代に『永遠平和のために』という本を書いた。その本の中でカントは、諸国家が平和のための連合をつくることを提案した」
カントのこの提案は、後に国際連盟となって実現している。
「それは諸国家が存続した状態での連合組織だ。しかし、より理想的に思える単一の世界国家をつくることについては、カントは否定した」
「どうして?」
「国家の主権は尊重されなければならないからだ。どんな小さな国家でも、自分の国のことは自分の国で決める権利がある。もしその権利を犯そうとすれば、それは内政干渉になる。だから諸国家が自主的に連合に参加しなければならないんだ」
世界国家が樹立されれば、確かに形式上は国家間の戦争がなくなる。しかし強制的に世界国家に組み入れようとすれば、それが嫌な国家は抵抗して戦うことになる。
だから強制ではなく、自主的に連合に参加する形でなければならないのだ。
しかし自主的に参加したとしても、主権が侵害された状態では国民が不満を持つようになる。
EU(欧州連合)は世界国家とまでは言えないが、ヨーロッパという地域で国境をなくすことを目指した共同体であり、それはかなりうまくいっていると思われていた。
しかしイギリスのEU離脱により、そうでもないことが明らかになった。
EUに加盟していれば、EUが定めた規則に従わねばならず、移民政策や医療保険制度などを勝手に変えることができない。イギリスの国民はそのことに強い不満を感じたのである。
イギリスの選択が正しかったかどうかは、わからない。しかし国家にとっての主権とは、それほど重要なものなのだろう。
世界国家とは、単一の価値観や理念によって、国内全体を統制しようとするものだ。だがどんなに立派な価値観や理念であっても、強制されれば自由を奪われたことになる。反発が起きるのは当然だ。
「付け加えると、さまざまな国家が存在し、互いに競い合うことによって、経済や技術、文化というものは発展していくんだと思う。いろんな国があった方がいいんだ」
「うん、確かにそうだね。一つしか国がないなんて、つまらない世界だ」
クオンは納得の表情だ。タロウとロンセルも、政人の言葉に感銘を受けているように見える。
しかしハナコは反論してきた。
「でも平和のための連合をつくっても、永遠平和は実現できなかったのであろう? 以前ランジェット王妃がこの国に来た時、御主人様は言っていたではないか。『国際連合』ができたのに戦争はなくならなかったと」
(痛いところをついてきたな)
だから政人はハナコが好きなのである。
「その通りだ。諸国家の平和連合をつくっただけで戦争がなくなるとは、カントも言っていない。カントによれば、国家にとっての自然状態は戦争状態ということになる。なぜなら、人間の本性は悪だからだ」
「そうなのであるか?」
「ああ、カントはただの理想主義者じゃない。人間は自分勝手な生き物であることを、よく理解していた。だからこそ、法やルールによって平和を創り出す必要があるんだ」
「国際連合のルールには問題があるから、戦争が起きるのであるな」
「まあ、そういうことなんだろう」
「差し当たって、スランジウム王国をどうするかです」
ロンセルが話を戻した。「マサト殿下は侵攻するつもりはないとおっしゃいましたが、内戦が起きないように混乱を収める必要はあるでしょう」
「その通りです。そのためにはアムリーヒト、シュルーク、そしてリアンナの三人を集めて、誰が王になるかを話し合う必要があります。もちろん彼らだけで結論が出るはずがないので、俺たちが間に入ります」
「さっき内政干渉はよくないと言っていたではないか」
「ハナコ、もちろんその通りだ。でも内戦が起きたり、ペトランテ王国に侵略されたりすれば、傷つくのはスランジウム王国の国民だ。彼らに罪はない」
専制的な体制の国では、どのみち国民は自分の国のことを自分で決められない。
カントは永遠平和のための条件として、どの国も共和的な体制であることを挙げている。
「まあ、それも介入を正当化するための言い訳かもしれないが、俺にはそれ以外のうまいやり方が思いつかないんだ」
「倫理的に正しくないとしても、やらなければならないのですよね」
タロウが応じた。「でも、どうすれば三人を話し合いのテーブルにつけることができるでしょうか?」
「さっきの話と矛盾するかもしれないが――」
そう言い訳をしながらも、政人は自信を持って答えた。
「軍事力を見せつけるしかない」




