32.新聞記者アーガイル・クリッタ
「タロウくんは、ごしゅじんさまに、五十ユールの、おかねをもらって、ノートをかいにいきました。ノートは、一さつ二十八ユールでした。おつりは、いくらもらえば、いいでしょうか?」
「タロウくんは、おかねを百四十ユール、もっていました。でもルーチェさんに、七十七ユール、とられました。そのあと、ごしゅじんさまから、六十三ユールのおこづかいを、もらいました。いまタロウくんは、おかねをいくら、もっていますか?」
タロウはハナコが作った算数の文章問題を、一心不乱に解いている。ハナコはそれを見守っている。
政人もその問題を見せてもらったのだが、なかなかよくできている、と感心した。
タロウの現在の計算能力や、文章力に合わせて作られているのだ。
タロウにとって、自分や身近な人の名前が出てくる問題は、興味をそそられるだろう。
ハナコは算数だけでなく、レンガルド語の問題も作っていた。驚いたことに、問題に使う小説まで自分で書いていた。
その小説は『フライミー』とタイトルがついている。
フライミーとは、主人公であるハトの名前で、彼は仲間たちが皆白い羽なのに、自分だけが黒い羽だった。
ある日、仲間たちはすべて大鷲に食べられてしまい、速く飛ぶことができたフライミーだけが助かった。
フライミーは一羽だけになって世界を旅していたところ、かつての仲間たちと同じ白い羽を持つ、たくさんのハトたちを見つけた。
フライミーは一緒に飛ぼうと誘うのだが、ハトたちは大鷲が怖いからと言って飛ぼうとしない。
そこでフライミーは、皆で集まって飛ぶことで大きな鳥のふりをしようと提案した。そして自分だけが黒い羽なのをうまく利用して、「ぼくが目になろう」と言った。
こうしてハトたちは、大きな鳥の姿に驚いた大鷲を追い出し、自由に空を飛ぶことができるようになった。
この小説を読ませたうえで、読解力を試すための問題を出していた。
「さいしょのなかまたちが、おおわしに食べられたのに、フライミーだけがたすかったのはなぜでしょうか?」
「なぜ、白いハトたちは、こわがってとぼうとしなかったのでしょうか?」
「フライミーが『ぼくが目になろう』と言ったとき、白いハトたちはどうおもったでしょうか? そうぞうしてみましょう」
政人は「ぼくが目になろう」という部分を読んで、どこかで聞いたことがある話のような気がしたが、思い出せなかった。
「どうであるか? 我が作った問題は、よくできているであろう? さあ、我を褒めたたえるがよい」
ハナコが政人に感想を求めてきたので、素直に褒めることにした。
「これは大したものだ。タロウのレベルにちゃんと合わせているし、問題として、とてもよくできている。ハナコが、ここまで高い能力を持っているとは思わなかった。おかげで教科書を買う金を節約できて、とても助かる。ありがとう」
そう言って、頭をなでてやった。
「う、うむ……、と、当然なのである」
ハナコはそう言って顔を赤らめ、金色の尻尾を激しく振っていた。
ヘルン新聞社から、ヴィンスレイジ王領に行っていた記者が帰ってきたとの連絡が届いた。
四人で新聞社に向かうと、社長のセリーからその記者を紹介された。
「ヴィンスレイジ王領担当記者のアーガイル・クリッタだ。彼が君たちをクロアの町まで案内する」
「まったく、帰ってきたと思ったら、また王領に行けだなんて、どんなブラック企業だよ」
男はそうぼやいたが、本気で嫌がっているようには見えなかった。
髪を無造作に伸ばし、あごには無精ひげが生えている。その精悍な顔つきは、新聞記者と言うよりも軍人のようだ。
そう見えるのは上下ともに迷彩柄の服を着ているからかもしれない。歳は二十代後半というところか。
「おまえらが闇の神殿に行きたいなんていう酔狂な輩か」
そう言って苦笑しながら握手を求めてきた。「俺のことはクリッタでいい。ま、大船に乗ったつもりでいろ。危ない目には遭わせねえ」
政人は握手を返した。
「フジイ・マサトだ。マサトで構わない。よろしく頼む」
クリッタは政人たちを値踏みするようにじろじろ眺めてから、ルーチェを指差した。
「その嬢ちゃんは、かなり使えそうだな」
「オッ、わかるのか?」
ルーチェは嬉しそうだ。
「ああ、俺は見ただけで、相手の強さがある程度わかる。危険地帯で生き延びるには、重要な能力だろ?」
政人は、この男を頼もしく感じた。
こちらの紹介が終わると、打ち合わせをするために会議室に移動した。
まず、ルートの確認をする。
ヘルンからヴィンスレイジ王領に行くには、間にあるハルナケア山地を越えて行かねばならない。
そのための山道が整備されており、通常旅人はそこを通っていくのだが、クリッタは別のルートを提案した。
「まず、ここから南西のポルテン村に行く」
クリッタは地図を指差して説明した。「この村の背後にある山間の道を通って王領に抜ける。そうすりゃ、かなり日数を短縮できるんだ」
「そんな道があるのか? 地図には描いてないが」
「ああ、かなり険しい道で、馬は通れない。馬はポルテン村に預けていく」
「我は体力がないので、そのような険しい道は通りたくないのである」
ハナコが不満を口にした。
(たしかに、無理はさせないほうがいいな)
「わかった、ハナコはここで待っていろ。ハナコ一人なら新聞社で面倒を見てもらえるだろう」
ハナコは悲鳴をあげた。
「御主人様は鬼であるか!? 我を残していくとはひどすぎるのである!」
クリッタが呆れたように政人に言う。
「マサト、イヌビトにとって、飼い主と長い間会えないのは酷な話だぜ」
「そんなものかな」
「御主人様、いざとなったら、オレがハナコを背負っていきますから」
タロウがそういうので、ハナコも連れていくことになった。
「この道なら山賊が出る心配はない。クマは出るかもしれないが、俺が退治してやるから大丈夫だ」
「そういえば、クリッタはどんな武器を使うんだ?」
今は丸腰のようなので、気になって聞いてみる。
すると彼はニヤリと笑い、握った右手を突き出して答えた。
「俺に武器は必要ない。この拳があればな」
「素手でクマと戦うのか!?」
政人は信じられないというように彼を見たが、冗談を言っている風ではなかった。
(まあ、魔法が使う人間が存在する世界だからな、クマを素手で倒す人間がいてもおかしくないか)
その後も打ち合わせを続け、闇の神殿があるというクロアの町の話になった。
「山地を抜けてから十日ぐらい歩けば、クロアの町に着く。人口は四万人ほどで、ほとんどが六神派の信徒だ」
「五神派に敵意を持っていると聞いたことがあるんだが、襲われたりはしないか?」
「そんなわけはないさ。五神派だからって危害を加えていたら、王宮内の狂信的な連中に、六神派排斥の口実を与えることになる」
そしてクリッタは言い聞かせるように続けた。「あいつらは俺たちと同じメイブランド教徒であり、みんな親切で気のいい奴らなんだよ。まあ、異端でありマイノリティだから、多少の警戒心はあるけどな」
(俺はメイブランド教徒ではないがな)
「最高指導者のケンブローズ聖司教には、すぐに会えるか?」
「俺が頼めば、まず断られないさ。温厚で紳士的な老人だよ。誠実に接すればきっと力になってくれる」
「あんたの書いたインタビュー記事を読んだんだが、闇の勇者の話を聞いて、どう思った?」
「勇者だの魔王だの、すぐに信じられる話じゃないが、俺は聖司教が嘘をついているとは思わない」
クリッタは居住まいを正して、政人に言った。「社長に聞いたんだが、君は光の勇者に会ったことがあるとか」
「そのとおりだ。魔法を使うのを見せてもらったこともある」
政人はクリッタの反応を確かめるように言った。「信じるか?」
「信じよう」
そして彼は言う。「俺は目を見ればそいつが嘘をついているかどうかわかる。記者には重要な能力だろ?」




