318.勇者から布教者へ
(とうとう僕も、人を殺してしまったか)
英樹は今まで数えきれないほどの魔物を倒してきたが、人間であるレナを殺したことには、やはり気が滅入った。
(でも僕は殺されるところだったんだ。レナは話が通じる相手じゃなかった)
だから仕方のないことだ、と思うことにした。
しかし聖騎士たちは、そのように割り切って考えることができなかった。彼らは女王に忠誠を誓っているのだ。
「へ、陛下ーーっ!!」
聖騎士の一人が英樹を押しのけるようにしてレナの骸に近寄り。涙を流して主君の死を嘆き悲しんだ。さらに二人目、三人目の聖騎士も後に続いた。
「ヒデキ殿」
ライバーが声をかけてきた。その声と表情には、やりきれない悲しみがこめられている。
「ライバー隊長、僕にはこうするしかなかったんだ」
「はい。もちろんそれはわかっています。この件については、非は間違いなく女王陛下にありました。それでも――」
ライバーは剣を抜き、英樹に向かって構えた。「私は女王陛下に忠誠を捧げた聖騎士として、あなたを討たねばなりません」
他の聖騎士たちも隊長の行動にならって剣を抜き、英樹に向かい合った。
誰もが、怒りではなく悲しみの表情を浮かべている。英樹は共に戦ってきた仲間であり、彼がレナを殺したのは正当な反撃であることは理解している。
それでも主君を殺されたからには、その仇を討たないわけにはいかなかった。それが聖騎士としての、彼らの生き方である。
(つらいものだな、聖騎士というのは)
英樹は彼らの立場を考えると、恨む気にはなれない。
とはいえ、殺されるわけにはいかない。英樹も剣を構えた。
十二人の聖騎士が相手では分が悪いが、彼らは飛び道具を持っていないので、距離をとって魔法で戦えば、なんとか勝負にはなるだろう。
だが、彼らを傷つけたくはない。彼らはレナの企みをまったく知らなかったのだし、知ってからも英樹をかばおうとしてくれたのだから。
(なんとか、戦いを避ける方法があれば……)
英樹が迷っていた時だった。
「みんな、やめてくれ! なぜヒデキ殿と戦う必要があるんだ!」
一人の聖騎士が進み出て、英樹を守るように仲間たちの前に立ちはだかった。
ラトールである。
四年前、政人が英樹と別れて旅立った時に、その護衛をしていた聖騎士の一人だ。
ラトールはその旅の途中で、体調を崩して死にかけたことがあった。政人は機転をきかせ、地図に載っていない村の場所を特定し、医師による治療を受けさせた。
そのおかげで助かった彼は、政人に対する恩義を強く感じた。だからこそ「英樹を助けてやってほしい」という政人の頼みに応えたい気持ちが、人一倍強い。
「もちろん私だって、陛下が死んだことは悲しいさ」
ラトールは仲間たちを説得し始めた。「でも陛下は、ヒデキ殿をだましていた。いや、全世界のメイブランド教徒をだましていたと言ってもいい。闇の神の存在を知っていながら、そのことを隠していたんだ。これは重い罪だと思う」
「だから陛下は殺されても仕方ない、とでも言うのか!」
「隊長、そうではありません。ここで私たちがヒデキ殿を殺せば、陛下の罪がさらに重くなるのです。陛下のためにも、ヒデキ殿を許すべきです」
「隊長、俺もラトールの言うとおりだと思います、ヒデキ殿と戦う気にはなれません」
ピーターズという名の聖騎士が、構えていた剣を下ろした。「それにヒデキ殿を殺せば、マサト殿が黙っていないでしょう。ガロリオン王国軍が復讐のために攻めてきたら、まともな軍隊を持たない我が国には、それを防ぐすべがありません」
(政人がそんな理由で他国に侵攻するとは思えないけど)
そう思ったが、英樹は黙っていた。
「そうですね。そうなれば、マサト殿の妻であるルーチェとも戦うことになります。隊長も、実の娘と戦うことは望まないでしょう?」
続いてハイドホーンという聖騎士が、剣を鞘に収めた。彼も政人の護衛に同行した聖騎士の一人である。
「ルーチェか……」
ライバーは遠い国にいる娘の顔を思い浮かべた。
「確かに、我々のやろうとしていることに正義はないようだ」
ライバーは剣を鞘に収め、英樹に向かって頭を下げた。「ヒデキ殿、あなたに剣を向けた非礼をお詫びいたします」
それを見て、他の聖騎士たちも剣を収めた。
「ありがとう、みんな」
英樹は礼を言い、そして協力を求めた。「こんなことになってしまったけど、どうかこれからも僕に力を貸してくれないかな」
「ヒデキ殿はこれから何をするつもりですか? もう迷宮で戦う意味もなくなったというのに」
「まず、話を聞いてほしい」
英樹は闇の神と交わした会話について、聖騎士たちに説明した。
今後の方針について、彼らが話し合って決めたことは以下の通りだ。
まず、レナの死の真相については、彼女の名誉のためにも厳重に秘匿する。世間に対しては、女王は魔王との戦いで命を落としたと発表するのだ。
そして魔王は英樹が倒したことにする。
英樹の全身に広がる黒い紋様については、魔王を倒した際に呪いを受けたということにした。その呪いのせいで、地球に帰れなかったという設定だ。
真相については、その場にいなかった聖騎士たちと、メイドのメルには伝える。もちろん、堅く口止めをすることは言うまでもない。
そしてもう一人、真相を話しておかねばならない人物がいた。
メイブランド・ブリューデンス聖教皇である。
メイブランド教会の序列については、「聖王」が最高位であり、「聖教皇」はそれに次ぐ地位だ。さらにその後には、各国の王が任命した「聖司教」が続く。
ブリューデンスは四十二歳で、レナの叔父である。
レナには子供がいないので、聖王の座はブリューデンスが継ぐのが順当であろう。そして聖王は、神聖国メイブランドの国王も兼ねることになる。
英樹にとって、今後の活動のためにはブリューデンスの協力が必要だった。
英樹たちは転移魔法陣を使って王城に戻った。術者であるレナは死んだが、魔法陣は消えなかったようだ。
すぐに英樹とライバーの二人で聖教皇の部屋を訪問し、事情を説明した。
「ほう、レナは闇の神を滅ぼすのに失敗して、ヒデキ殿に返り討ちにされたのか。どうもあいつは、自分の力を過信しすぎるところがあるからな」
ブリューデンスはきれいに剃り上げた頭をなでながら、驚いた様子も悲しむ様子もなく、淡々と答えた。
「猊下はレナの企みについて、知っていたのですか?」
「まあな」
英樹の問いかけに対し、ブリューデンスは悪びれる様子もなく答えた。
「では、闇の神が実在することも、知っておられたのですか?」
というライバーの問いにも、
「それは半信半疑だったな」
椅子の上で肥えた体を窮屈そうに揺らしながら、さして興味もなさそうに答えた。「まあ五柱の神が六柱になったからといって、何が変わるわけでもない」
(なんだってレナは、こんな男を聖教皇に任命したんだろう?)
彼は教会のナンバー2でありながら、宗教的な情熱がとぼしいようだ。とはいえ狂信者だったレナと比べれば、扱いやすい人物なのは間違いない。
「あなたはレナの後を継いで聖王に、そして神聖国メイブランドの国王になってください。レナは死の間際にあなたを後継者に指名した、ということにしますので」
英樹がそう言うと、ブリューデンスは満足そうに微笑んだ。権力には興味があるようだ。
「さあ、私のような非才の身に、そんな大役が務まるかどうか」
一応謙虚なことを言ってみせたが、その気になっているのは明らかだ。英樹とライバーが改めて頼むと、仕方がないといった顔でうなずいた。
(まあ、こんな人が王でもなんとかなるだろう。どうせ国の経営は官僚任せなんだから)
レナがそうだった。彼女は英樹と共に迷宮に潜ったり、宗教者として活動したりはしていたが、行政については官僚たちに任せきっていた。
とはいえ、その官僚も人手不足で、広い国土の隅々まで適切に管理できていたとは言い難い。彼らの目が届くのは王都デセントの周辺ぐらいで、他の町や村は、その正確な人口すら把握できていなかった。
「ただし、お願いがあります」
「ほう、何かな?」
「僕が城下で、闇の神の布教をすることを認めてください。そして、六神派信徒を処罰しないことを約束してください」
英樹はこれから闇の神が存在することを人々に伝え、布教をするつもりでいる。
闇の神が力を取り戻せば、英樹は地球に帰ることができる。そのためには闇の神の信者を増やす必要があるのだ。
聖騎士たちは立場があるので布教の手伝いはできないが、英樹の布教については認めてくれた。
王にも認めてもらわねばならない。
「さあ……それはどうだろうか。六神派を異端とすることは公会議で決められたことだからな。いくら聖王といえども、教義を変えることは難しいと思うが」
「教義を変えることまでは望みません。公認はできなくとも、黙認してほしいんです。教義について、あまり厳格ではない態度をとってほしいのです」
信仰心が薄いブリューデンスなら、これを受け入れてくれる可能性が高い。そう判断したからこそ、英樹たちは彼を王位につけることにしたのだ。
「私からもお願いします」
ライバーも続けた。「それを認めてくだされば、聖騎士たちは新王に忠誠を誓いましょう」
つまり、この条件を呑まなければ、聖騎士たちは新王に従わないということだ。
ブリューデンスは渋々といった様子でうなずいた。
「……よいだろう。ただしヒデキ殿は、王都からは出ないでもらいたい」
(自分の目の届かないところで布教をされるのは、さすがに不安なんだろうな)
「はい、わかりました」
王都デセントの住民たちは、勇者である英樹に対して敬意を払ってくれているので、ちゃんと話を聞いてもらえるだろう。
こうして、英樹の布教の日々が始まった。
ラトールを覚えている方はあまりいないと思いますが、6話、7話、19話で登場しています。




