307.道具は金づちだけではない
ガロリオン王国軍は王都ダルジアンに向かって進軍中だ。
来る途中でバリアーダに寄り、ギラタンたちとも合流している。オルダ王国軍の捕虜は、講和が成立した後で解放することになる。
重傷を負っていたグレッセン公はワルブランド家による手厚い治療を受け、杖をついて歩けるほどに回復していた。特に後遺症もなく、もうしばらくバリアーダで治療を続けてから帰国する予定だ。
それを知ったゲロリーは心から安堵した様子だった。グレッセン公は妻エメラルダの父親であり、唯一の信頼できる諸侯だからだ。
政人はタロウ、ハナコ、クリッタらと共に、騎乗で軍に同行している。馬車を使ってもよかったが、たまには馬に乗りたかったのだ。
義兄弟となったゲロリーも、政人の隣で馬を進めている。
「やはり自分の国はいいもんだな。空気が俺の体になじむようだ」
ゲロリーは辺りの景色を見回し、感慨深げだ。すでにオルダ王国領内に入っている。
「我にはよくわからぬのである」
ハナコが言った。「それに、ずいぶんさびれているようであるな。王都に続く街道なのに、旅人がいないのである」
「ガロリオン王国では庶民が気軽に旅をするらしいが、この国には観光旅行をするような酔狂な奴はおらん。行商人ならいるが、盗賊に備えて多くの護衛を雇う必要があるから、よっぽど大規模にやらねば採算が取れん」
「なるほど、オルダ王国は治安が悪いのであるな」
ゲロリーともすっかりなじんだハナコは、遠慮がなくなっている。
「ふん、この辺りは辺境だからな。王都の周辺なら、かなり治安がよくなってるぞ」
「確か王都は内戦の後、大規模に改修したんだよな」
政人は取りなすように話題を変えた。
「ああ。市域の多くが焼けてしまったから、王城を含めて一から造り直した。新しい街並みを、早く兄上に見せてやりたいもんだ」
「それは楽しみだ。君の家族にも早く会いたいな」
「噂では、エメラルダ王妃は絶世の美女らしいですね」
クリッタが口をはさんできた。これも取材の一環なのかもしれない。
「絶世の美女は言い過ぎだが、まあ客観的に見れば、100点満点で90点というところだろう」
「ははっ、ずいぶん高評価じゃないか」
「では参考までに聞くが、兄上はルーチェの容姿にどれだけの点数をつける?」
ゲロリーが微妙なことを聞いてきた。
「女性の容姿に点数をつけるなんて、品のないことだ」
「そうだな、悪かった。俺がエメラルダに90点もつけてしまったから、ルーチェの点数は言いたくないよな」
(こいつ、何を言いやがる)
「それなら言ってやる。95点だ」
カチンときた政人は、意地になって言い返した。
「なに?」
ゲロリーは怪訝な顔になった。「兄上、それは身びいきが過ぎるんじゃないか? ルーチェがその点数なら、間違いなくエメラルダは絶世の美女だ」
「君は荒々しいルーチェしか知らないんだろう。笑顔の彼女を見たことがあれば、95点でも納得できるはずだ」
「いや、あの鬼女のごときルーチェが笑っても、そんな高い点数は――」
「アタシがどうかしたの?」
「げえっ、ルーチェ!」
いつの間にかルーチェが近くに来ていたので、ゲロリーは驚いた。「なぜ貴様がここにいる? 遊撃隊と一緒にいたんじゃないのか」
「遊撃隊なら、向こうにいるわ」
ルーチェは本隊と並行して進んでいる騎馬軍団を指差した。「さっきまでアイツらと一緒にいたんだけど、あなたとマサトが楽しそうにおしゃべりしてるのを見て、気になって様子を見に来たの」
「おい兄上、これは遊撃隊隊長としての職務放棄じゃないのか?」
「軍はパージェニーの管轄だから、俺にはなんとも」
「問題ないわ。特別な指示がない限り、アタシと遊撃隊は自由な行動を認められてるの。――それでマサト、ゲロリーとどんな話をしてたの?」
「ええと……男同士の話だ」
政人は答えをはぐらかした。
「そうだぞルーチェ。男同士の話は、たとえ妻が相手でも言えないもんだ」
ゲロリーも政人に同調した。
「はあ……ずいぶん仲がいいのね。さすがに義兄弟になるだけのことはあるわ」
「君も驚いただろうな」
「そうでもないわ。ゲロリーを殺さずに捕えろという命令を聞いた時に、マサトはゲロリーと仲良くなるつもりなんだと思ってた」
「そうなのか?」
「うん、前にもこんなことがあったから。――以前一緒に旅をしていたころ、神聖国メイブランドのゾエの町で、ゴドフレイ一家と敵対したことがあったでしょ?」
「ずいぶん古い話を出してきたな」
「オレが御主人様に飼われる、少し前の話ですね?」
タロウが興味深そうに言った。
「そう。あの時アタシは、まず大将のゴドフレイを殺そうとしたの。それが勝つための最善の方法だと疑わなかった。
でもマサトは止めた。『敵のリーダーは殺すべき存在ではなく、話し合うべき存在だ』って言ってね。
それを聞いて目からウロコが落ちたわ。確かにリーダーを殺してしまったら、争いの終了を決定できる人間がいなくなるから、いつまでも不毛な争いが続くことになるもんね。
政人はゴドフレイと話し合って、互いに信頼し合う仲になった」
(そういえば、そんなこともあったな。遠い昔の話のような気がする)
あの頃は地球に帰るのが目標で、この世界で政治家になるなど考えもしていなかった。
「面白そうな話だな。兄上、詳しく聞かせてくれ」
ゲロリーが真剣な表情で言った。タロウやハナコも詳しい話は知らないので、聞きたそうな様子だ。
「いいだろう」
政人はゴドフレイ一家との抗争を収めた時の話を、聞かせてやった。
「なるほど、暴力だけでは問題は解決できないということか」
話を聞き終えたゲロリーは、感心した様子だ。
(いい機会だから、兄としてゲロリーに忠告しておくか)
「そうだ。為政者ならば、暴力よりも交渉が重要だと心得ておくべきだ。君はウェントリー王国に対して、グルースを引き渡すよう一方的に要求しただけで、じっくりと話し合おうとはしなかった。
死者の軍団の戦力をあてにして、初めから戦争をする腹だったんじゃないか?」
「そうだ。死者の軍団がいれば、人間の兵士が傷つくことはないからな」
「俺の元いた世界には、『金づちしか持っていなければ、すべての問題が釘に見える』という言葉がある。問題を解決するにはいくつもの手段があるのに、一つの手段に固執してしまう状態を戒める言葉だ。
戦争は金がかかりすぎるし、リスクが大きい。視野を広げれば、戦争以外の方法があることに気付けたはずだ。外交交渉という方法が」
「それは、そうかもしれんが……、話し合いで問題を解決できたかどうかはわからんぞ。プートンは無駄に慈悲深いから、殺されるとわかっていてグルースを引き渡すことはせんだろう」
「グルースを殺すかどうかについても、話し合う余地があったと思う」
「俺の王位を脅かす危険のある奴を、生かしておくのか?」
「グルースにそんな器量はない。君が善政を続けているうちは、付け入る隙はなかったはずだ。
グルースを殺しても、彼を支持していた者たちがいなくなるわけじゃない。殺されたグルースは悲劇の王子として人々の記憶の中で美化され、君の治世には反乱の芽が残り続けることになる」
「奴を殺すべきじゃないというのか」
「グルースとは話し合うべきだった。いや、今からでも遅くはない。グルースに会ったら話し合え。俺が仲介してやる」
「奴と和解しろと?」
「もちろん和解できればいいが、グルースの気持ちを考えれば難しいだろうな。だが和解だけが問題解決の方法じゃない。彼を大人として扱えば、政治的な取り決めを交わすことができるはずだ」
ゲロリーは政人の言葉を聞き、じっと考え込んでいる。やがて――、
「わかった。グルースが応じるなら、話し合ってもいい」
はっきりと、そう答えた。
そんな話をしていた翌日、予想もしないことが起こった。
王都ダルジアンを脱出したエメラルダとユーサー、そしてヌルッポがやってきたのだ。彼らを連れてきたのはティナである。
エメラルダとユーサーはゲロリーの姿を見ると、涙を流して再会を喜んだ。
政人たちはティナから、詳しい事情を聞くことにした。
「グルースがそんなことを……」
ティナの話を聞き終えた政人は、予想外のグルースの行動に驚いていた。
(二歳の子供まで殺そうとするとは……。ゲロリーへの憎しみで、感情を制御できなくなっているのかもしれない。こうなったからには、グルースとゲロリーを会わせるのはやめた方がいいな。もはや話し合いでは解決できないだろう)
政人はあっさりと方針を転換した。状況が変わればやり方を変えるのが、優れた政治家の条件だ。一度決めたことだからと古い案に固執していては、新しい事態に対処できない。
(グルースは、根は善良な青年だったはずだ。なんとか止められないだろうか。もう二度と、シャラミアの時のような悲劇を繰り返したくはない)
「マサト殿下、申し訳ございません。私は諜報員の任務を放棄し、独断でヌルッポさんたちを助けました」
ティナは深々と頭を下げた。政人は気を取り直し、彼女を褒めたたえた。
「謝る必要はない。君のおかげで最悪の事態を避けられたんだ。よくやった」
「はっ、光栄でございます!」
「おまえの顔は見たことがある。ヌルッポ先生の家でメイドをしていた女だな」
ゲロリーはそう言うと、ティナの前で片ひざをついた。「感謝する。この恩は忘れない。俺はおまえになら、何をされても構わない」
「ええっ!? そ、そんな、私なんかに頭を下げなくてもいいですよ」
ゲロリーの意外な態度に、ティナはとまどっていた。
また、ゲロリーは馬車を貸してくれたカジムに対しても、厚い恩賞を与えることを約束した。
「それにしてもグルースが王都を占領していたなんて……。やはり、戦いになるんでしょうか?」
タロウが深刻な顔で言った。
「いや、そうはならないと思います」
ヌルッポがタロウの問いに答えた。
「どういうことですか? ヌルッポさん」
「あくまでも僕の予想ですが――」
ヌルッポは確信のありそうな口調で言った。「こちらから攻撃するまでもなく、グルースたちは自滅します」
―――
「王妃とユーサーが逃げただと!? 警備は何をしていたんだ!」
執務室で兵士から報告を受けたグルースは、厳しく問いただした。
「牢獄塔の警備を担当していた義勇軍の兵士は、全員が何者かに殺されています。隊長のロンディ殿もです」
「ロンディが殺されただと!?」
(なんてことだ……。これじゃあ義勇軍が、ますます制御できなくなるぞ)
「グルース、すぐに別の人物を隊長に任命した方がいい」
隣にいたブルダウンが言った。「指揮する者がいないと、城下で好き勝手なことを始めるかもしれんからな」
「そうだな」
(だが、誰が隊長に向いてるかなんて、俺にはわからない)
「失礼します」
続いて執務室に入ってきたのは、王家の軍団を指揮するディグレ将軍だ。
ディグレはゲロリーから五千五百人の兵士の指揮を任され、王都の防衛を命じられていた男だ。
しかし民衆の裏切りにより城門が開けられたため、やむを得ず降伏することになった。
今はグルースに従っているものの、油断ならない人物と言える。
「どうした? ディグレ将軍」
「ご報告します。ライス家の兵士が勝手に城門で検問を行い、通行料を取っているとの通報を受けたため、私が兵を率いて現場に向かいました。すると事実であることが確認できたため、百二十五人の兵士を現行犯で逮捕しました」
「なんだって!?」
ブルダウンが驚きの声を上げた。
「まさか、ライス公の命令ではないでしょうな?」
「そんなはずがあるか! 俺も知らなかったことだ!」
「そうでしょうな。ですが、知らなかったで済まされることではありません。ライス家の兵士は先日も略奪を行っているのです。どのように責任を取るおつもりか」
「ぐっ……!」
ブルダウンは悔しそうに顔をしかめた。「確かにこれは、領主である俺の責任だ。こうなったからには――」
「待て」
グルースはブルダウンの言葉をさえぎった。「事実関係がはっきりするまで、ライス公の責任を問うことはできない。それが本当にライス家の兵士だったかもわからないしな」
「グルース様は、私が嘘をついているとお思いですか?」
(なぜ俺を『陛下』と呼ばないんだ、こいつは)
グルースは懸命に怒りをこらえた。ここでディグレを敵に回すわけにはいかない。
「そうは思っていないが、まずその兵士たちを尋問するのが先だ。ライス公への処分はその後だ」
「そうですか。では、厳正なる処分をお待ちしております」
ディグレはそれだけ言うと、執務室を出ていった。
「グルース、おそらくディグレ将軍の言ったことは本当だと思う。ウチの兵士なら勝手に通行料を取るぐらいは、やりかねない」
ブルダウンは、彼らしくない暗い顔で言った。
「だからといって、責任を取ってやめるなんて言わないでくれよ。おまえがいなくなったら、俺はどうすればいいんだ。義勇軍は使い物にならないし、デンブロッシュ公も形勢が悪くなれば裏切るだろう。ライス家だけが頼りなんだ」
現在王都にある兵力は、義勇軍が二千人、ライス家が五千人、デンブロッシュ家が二千八百人、そして王家が五千五百人だ。
王家の兵士は心からグルースに服しているわけではないと考えれば、現在のグルースの立場はかなり危うい。
「グルース、提案があるんだが――」
ブルダウンは真剣な表情で言った。「一度住民たちを集めて、しっかり話をしよう。俺は略奪や不法行為があったことについて、素直に謝ろうと思う。おまえも一緒に謝ってくれ」
「俺が何を謝るんだ?」
「王妃とユーサーを殺そうとしたことだ。あれでかなり住民の反感を買ったと思う」
「そんなことで王が民衆に頭を下げると言うのか!? それじゃあ王の威厳はどうなる!」
「もう、そんなことを言ってられる状況じゃない。王妃たちが王都を脱出できたのも、住民の協力があったからかもしれない。これ以上、民衆を失望させるわけにはいかないんだ」
「くっ……そうだな。俺たちの強みは、民衆に支持されていることだからな」
すでに民衆から見放されていることを、彼らはまだ気付いていなかった。
王城前の広場に、二万人を超える民衆が集まった。本来なら、王妃とユーサーの公開処刑が行われていたはずの広場である。
そこには、二メートルの高さの壇が設えてあった。
グルースとブルダウンはその壇に上り、民衆の前に姿を見せた。
「兵士たちが略奪や通行料の徴収を行ったのは、領主である俺の責任だ! すまなかった! 奪ったものは、これからきちんと返していくことを約束する!」
まずブルダウンが大声で謝った。
「俺も王として責任を感じている。また、王妃とユーサーを処刑することはやめようと思う」
グルースはそれだけを言うにとどめた。王は常に正しいのであり、民衆に対して謝ってはならないと思っているからだ。
絶対的な権力を握っている王なら、それでよかっただろう。
しかしグルースはそうではない。群衆がざわつき出した。
「処刑をやめたんじゃなく、逃げられただけだろ!」
「そもそもおまえは王じゃない! 降神の儀で失敗したって聞いてるぞ!」
群衆からヤジが飛んできた。
怒ったグルースは、ブルダウンが止めるのも構わず、激しく言い返す。
「無礼なことを言った奴は誰だ! 出てこい! 王に対する暴言は死罪に値するぞ!」
「ああ、出て行ってやるさ!」
いかつい顔付きの中年男が、人の群れをかきわけて前に出てきた。「言ったのは俺だ! 何度でも言ってやる! おまえは王じゃない!」
王に対して堂々と逆らう人間を、グルースは見たことがなかった。父のアルダンの時代には考えられなかったことだ。
公衆の面前で侮辱されたままでは、王の権威は地に落ちる。そう判断したグルースは、兵士に命じた。
「おい、その男を殺せ!」
「ふざけたことを言わないでください!」
別の若い女が声を上げた。「たとえ王であっても、勝手に私たちを殺すことはできません! 罰するには、裁判を行わなければならないはずです!」
「そんなことはない! 父上は無礼を働いた民を、自らの判断で殺していた!」
「アルダンの時代はそうだった! でも今は違う!」
さらに別の男が声を上げた。「宰相のヌルッポ殿は、法によって治める国をつくってくれたんだ! 誰にだって裁判を受ける権利があるんだ!」
「アルダンだと!? 王を呼び捨てにするような無礼な奴は――」
「グルース、ここは一旦引き下がろう」
「何を言うんだブルダウン! 民衆にここまで言われて、黙って引き下がれるか!」
「すまん、またしても俺は読み違えた。ここまで民衆の反感を買っていたとは、思わなかったんだ」
ブルダウンはグルースの肩に手を置いた。「まずは頭を冷やそう。おまえは冷静な判断ができなくなってる」
「く……」
グルースはブルダウンの必死な表情を見て、なんとか怒りを静めようとした。
だが――、
「アルダンは暴君だった! ゲロリー陛下の方がはるかに素晴らしい王様だ!」
グルースにとって、絶対に認められない言葉が聞こえた。
(ゲロリーが、父上よりも上だと……!)
「ふざけるな!!」
グルースは激怒した。もう、気持ちを抑えられなかった。「兵士たちよ! あの無礼者たちを全員殺せ!」
「それは、できません」
ディグレ将軍が登壇し、グルースと向かい合うように立った。「我々の任務は国民を守ることです。国民に剣を向けることはできません」
「王の命令だぞ!」
「国民を殺そうとする者が、王であるはずがない!」
ディグレは部下たちに命じた。「王の名を騙る者を、捕らえよ!」
すぐさま王家の兵士たちが登壇し、グルースとブルダウンを取り押さえた。
これがクーデターだとは、彼らは思わなかった。グルースは元より王ではないからだ。
主君の身柄を押さえられ、ライス家と義勇軍の兵士たちは動けなかった。
デンブロッシュ公は自家の兵士と共に、すでに王都を逃げ出していた。
すいません、長くなりました。
二話に分けようかとも思いましたが、ここまでは書いておきたかったのです。
「金づちしか持っていなければ~」はアメリカのことわざですが、元々はアメリカの心理学者アブラハム・マズローの言葉だと言われています。




