303.狂信と理性
「安心してくれ。君を裁判にかけるつもりはない。そんな権利は俺たちにはない。その代わり、俺に従ってほしい」
政人は強圧的にならぬように気を付けて言った。
「俺は王だ。王を従わせることは、誰にもできん」
「その王位を、剥奪することもできるんだぞ?」
「ちっ」
ゲロリーは舌打ちをした。「だったら、やはり殺せ。そしてグルースを王にするがいい。オルダ王国を滅ぼしたいのならな」
「グルースが王になれば、オルダ王国は滅びるのか?」
「あんな周りが見えてない奴に、国の統治ができるもんか」
「同感だ」
政人がそう言うと、ゲロリーは意外そうな顔をした。
「あのガキを王にするつもりじゃないのか?」
「グルースにはまだまだ、勉強しなければならないことがある。いや、その前に心のケアが必要だ。誰かさんの残酷な所業のせいで、心に傷を負っているからな。しかし、今どこにいるのかわからない」
「奴を野放しにしたのか?」
「ああ。こちらに不手際があった」
政人は面目なさそうに言った。「それに、グルースを君に会わせる必要もなかったな。おかげでフレイドを殺されてしまった」
フレイドの名前を出すと、ゲロリーは苦々しい表情でワインを口に流し込んだ。
「クソッ、あの女、なめたマネをしやがって! このままでは済まさん!」
「あの女とは、レナのことだな?」
「そうだ。神聖女王は暗殺者を送り込み、俺の配下のフレイドを殺しやがった! 奴を殺したからといって、闇の神の存在をなかったことにはできんというのにだ! 神聖国に攻め込み、捕らえて犬の餌にしてやる!」
「暴力に訴える前に、まず抗議の使者を送ってはどうだ?」
「話が通じる相手なら、それもいいだろう。だが狂信者には、何を言っても無駄だ」
(狂信者か、確かにそうかもな)
レナが自分の非を認めることは絶対にないだろう。彼女は預言者メイブランドの血を引く聖王であり、神々の意志の代弁者とされている。だから彼女が行うことはすべて正しいのである。
神に対しては、人間の理屈は通用しない。
「しかし君は、話が通じるはずのウェントリー王国に対しても、武力による侵攻を行ったじゃないか。グルースや義勇軍の問題は、時間をかければ外交で解決することも可能だったはずだ。それなのに君は、戦争によって問題を解決しようとした」
「何か問題があるか?」
「……ないな」
この世界においては、侵略戦争は悪ではない。
「だが戦争だからといって、何をやっても許されるわけじゃない。守るべきルールはある」
政人は断固たる意志をこめて言った。「たとえ明文化された法律はなくても、非道な行為は非難されるべきだ。たとえば、民間人の殺害や略奪などがそうだ。君が非道な行いをしていた場合、俺はそれを裁くことはできないが、非難することはできる」
「やってみろ。言葉による非難など、俺には痛くもかゆくもない」
「わかった。これから君がやったことを挙げていくから、事実と違うところがあれば、遠慮なく言ってくれ」
「いいだろう」
政人は、タロウがきちんと記録をとっているのを確認してから、話し始めた。
「まず第一に、他国に侵攻する際には事前通告が必要だ。これは条約によって国際的な合意がなされており、オルダ王国も条約に批准している。もっとも、罰則がないから実効性はあやしいがな。
この条約を――君は守っている。一ヶ月以上前に使者を送り、『グルースの身柄を引き渡さなければ武力を行使する』と最後通牒を突きつけているからな。その警告があったからこそ、ウェントリー王国はすぐに七万もの大軍を集めることができた。事前通告なしに攻め込めば不意をつけたのに、ルールを守っている」
「非難するんじゃなかったのか?」
「まずは事実を確認している。――次に、君は遠征軍を編成するに際し、国民から強制徴募は行わなかった。すべて常備軍と志願兵だ」
「よく調べてあるな」
「事実だろう?」
「事実だが、俺のことを慈悲深い王などとは言うな。農繫期の農民を徴集すれば、収穫が減る。そもそも無理矢理集めた兵士など、士気も練度も低くて使い物にならん。それに死者の軍団を忘れるな。あれは貴様らにとって、忌まわしい軍隊なんだろ?」
「君にとってはどうだ?」
「なに?」
「死体を冒涜することを不快に感じる者は多い。一方で、死体をモノとしか考えない者もいる。どちらの感覚が正しいかは、多数決で決められるような簡単なことじゃない。
死者を戦わせるなんて前例のないことだから、それが非人道的行為だと一方的に決めつけることはできない。
俺は不快ではあるが、生きている人間が死ぬよりは死体を戦わせた方がいいという考えは、ある意味合理的かもしれない。
君は生きている人間に対しては、節度を守っていた。フレイドが生ける屍の素材にするため降伏した者を殺そうとした時は、怒ってやめさせている。死者の軍団に加えたのは、戦死した敵兵の死体だけだ」
「おい、いつになったら俺を非難するんだ!」
「そう焦るな。――そして君は王でありながら、自ら戦場に出てきた」
「なるほど、王が国を放り出したことを非難するわけか」
「いや、それを言うなら今の俺も国を出てきている。クオンやキモータなど、信頼できる者たちに後を託してきたから、何も心配はいらない。オルダ王国も、王が不在の間は宰相のヌルッポ氏がいるから、何も問題はない」
「ふん。ヌルッポ先生にすべて任せておけば、なんとかしてくれるからな」
(信頼できる部下に仕事を丸投げして安心していられるのは、俺と同じだな)
「王が自ら軍を率いたのは、正しい選択だったと思う。君がいなければフレイドを制御できないし、グレッセン公はともかく、ライス公とデンブロッシュ公はまともに戦わなかっただろう。とりわけライス公は、占領した町で勝手に略奪を行っていた可能性が高い」
「よくわかってるな。略奪はライス家の伝統らしい。王都ダルジアンの陥落時にも勝手に町に火をつけ、略奪を行った。後で弁償させたがな」
「しかし今回の遠征では、君が率いるオルダ王国軍は一度も略奪を行っていないな」
「その必要がなかったからだ。兵站は万全だった」
「初めから敵地で略奪を行うことをあてにして、補給のことなど考えずに進軍する例は多いぞ。俺が元いた世界でも――」
「貴様のいた世界など知ったことか! この国はいずれ俺のものになるんだから、わざわざ民衆の支持を失うようなことをするのは、バカのやることだ!」
「民衆の支持か。なるほど、為政者として立派な心掛けだ」
政人はニヤリと笑って言った。「君の口からそんな言葉が出たと知れば、驚く奴は多いと思うぞ。『狂王』は民衆のことなど考えず、自分の好きなように振舞っていると思われてるからな」
「間違ってはいないな。俺は俺の好きなように生きている」
「ふふっ、そうか」
(まるで、不良になりたい少年が無理をして悪ぶっているかのようだな。褒められた経験がないから、賛辞を素直に受け入れられないのかもしれない)
政人の目には、ゲロリーの態度が微笑ましく見えた。
「おい、さっきから何をニヤニヤしている!」
ゲロリーは大声をあげ、凄んで見せた。普通の人間なら震え上がるであろう迫力だ。
「まあ、そう熱くなるな。酒でも飲んで落ち着け」
政人は楽しそうにそう言って、ゲロリーのグラスにワインを注いでやった。
「クソッ、なら貴様ももっと飲め! そして俺の前で情けない酔態をさらして見せろ!」
ゲロリーも政人のグラスに、ワインを注ぎ足した。
二人は同時にグラスを傾け、ほどよい苦味のワインを飲み込んだ。
「残念ながら、俺は人前では酔えない人間だ。君もそうだろう? 君が他人の前で酔ったことがないのは知っている。弱みを見せたくないからだ。俺たちはよく似てるのかもな」
「貴様と俺が似ているだと!? じゃあ貴様も狂っているのか?」
「俺も君も狂ってなどいない。どんな時でも合理的にしか動けない人間だ。
戦争では普通の人間でも狂気に陥ることがあるが、君は常に理性を保っていた。その証拠に、民間人を一人も殺していない。
君とアルダンが王位を争った内戦の話をしようか。王都ダルジアンを攻めた時、投石機で生ける屍を町に投げ入れ、内部から東の城門を攻撃させたことがあったな。
しかし生ける屍は、住民を襲うことはなかった。攻撃された相手に反撃しただけだ。
フレイドに命じて、城門を攻撃する以外の行動はさせないようにしたんだろう?」
「知能のない生ける屍は、単調な行動しかできんからだ。住民を襲いながら東の城門に移動するような複雑な指示を出しても、奴らは理解できん。だから城門を攻撃することに集中させた」
「住民を襲うことに集中させてもよかったんじゃないか? そうすればアルダンは、住民を守るために降伏したかもしれないぞ」
「アルダンはそんなことでは降伏せん。それに、これから支配することになる町の住民を、なんで殺さなきゃならんのだ」
「バリアーダ攻防戦の時も、君は徹底して民間人への攻撃は避けていた。
先日ナローラに会ったが、彼女は驚いたそうだ。オルダ王国軍に都市の内部に攻め込まれた時、ズィーガー城塞に避難できなかった住民は殺されたと思って悲しんでいたが、みんな無事に脱出していたとわかったからだ。君は城門を開けておいて、外へ逃げる住民を見逃したんだ。
また、指揮官は都市を落とした後に、兵士たちに略奪を認めることも多い。しかしバリアーダでは略奪が起きなかった。君は兵士たちを都市の外に移動させ、遠距離から投石機で攻撃することしかさせなかったからだ。住民のいない町に兵士を置いておくと、どうしても略奪をする奴が出てくるからな」
「兵士を外に出したのは、死者の軍団だけでズィーガー城塞を落とせると思ったからだ。それに民間人を一人も殺してないわけじゃない。投石機の攻撃で壁が崩れ、子供が一人死んだだろうが」
「知ってたのか。ひょっとして、気にしていたのか?」
「くっ…………」
ゲロリーの表情が、悔しげにゆがんだ。
「君は今まで、血のつながった家族も含めて、多くの人間を殺した。誰もが唖然とするような、ぶっ飛んだ方法で殺したこともある」
政人はたたみかけた。「しかし殺した相手は、自分に敵対した王族や貴族、社会的地位の高い者に限られていた。犯罪を犯していない民間人を殺したことは一度もない。粛清の嵐など、庶民にとっては遠い世界の出来事だった。内乱で傷ついていた民衆は、君が即位してからは平和で安定した生活を送っていた」
「…………」
ゲロリーは、何も答えなかった。
「そして敵対した身分の高い者であっても、十五歳以下の子供の命は助けた」
政人はその事実を知った時に、ゲロリーという人間を見直す気になった。偽悪的に振舞ってはいても、必ず節度を守っているのだ。
「……当たり前だ。子供を殺す理由などない。ナローラは無事でよかった」
ようやく言葉を発したが、その声には荒々しさがなくなっていた。メモを取っていたタロウは、ゲロリーの雰囲気が変わったことに気付き、驚いて顔を上げた。
そこにいるのは『狂王』ではなく、誰よりも理性的な青年だった。
「そのように考えない者も、世間には多いんだ。以前にガロリオン王国で起きた内戦では、十一歳のクオンが殺されそうになったことがある。俺がやめさせなければ、どうなっていたかわからない」
「シャラミアが殺すよう命じたのか?」
「いや、シャラミアはそんなことはしない。彼女は優しく、高潔な人間だった」
「だが、『残虐女王』なのだろう?」
「その異名を考えたのは俺だ。国内に反シャラミアの気運を高めるためだった。だが、彼女は決して残虐な人間じゃなかった。彼女には、もっとふさわしい異名があった」
「なんだ?」
「『狂信女王』だ。狂信は視野を狭くさせ、寛容さを失わせる。彼女は六神派はこの世から消えるべきと本気で信じ、クロアの大虐殺を行ってしまった」
「狂信か。自分は正しいと思っているから、ただ残虐な人間よりも始末に負えんな」
「狂信を打ち負かすための人間の武器が、理性なんだと思う。シャラミアにも理性は確かに存在していた。だが彼女の理性は、狂信に負けてしまった」
「いくら酒を飲んでも理性を手放せない俺たちには、どうしても狂信者の心理が理解できんのだろうな」
「それでも、理解する努力はしなければならないはずだ。でも俺には、五神派がなぜ六神派を差別するのかがわからないんだ。彼らの多くは、狂信者ではないはずなのに」
「なら俺が教えてやろう。それは共感できんからだ。人は自分が共感できないものに対しては、どうしても不寛容になる」
「ああ、それは理解できる。世の中には様々な考え方や嗜好の持ち主がいるが、共感できる相手とだけ付き合っている方が、楽で気持ちがいいからな」
「自分たちが共感できんものは嘲笑し、憎悪の対象とする。そして自分たちが正しいと思い込む」
「だが共感できないとしても、寛容であることはできるはずだ。闇の神を信じることが不快であっても、他人が闇の神を信じる自由は認めてやるべきだ」
「それができるのは、感情ではなく理性で行動する人間だけだ。俺たちのようにな」
(俺たちか……。やはりゲロリーと俺は相性がいいのかもしれないな。ここまで話が合う相手は初めてだ)
政人はこの会談を始める前から、今後もゲロリーを王とする方がよいだろうと思っていた。今はその気持ちが、さらに強くなっている。
感情よりも理性を重んじる人間こそ、上に立つべきだ。
「理性が強すぎるのも考えものだぞ。俺は子供の頃から感情を表に出すのが苦手だったせいで、冷たい人間と思われていたんだ」
「冷たい人間なら、まだマシだ。俺は実の親から、『おまえは人間じゃない』と言われて育った」
「……そりゃひどいな。嫌じゃなければ、詳しく聞かせてくれ」
政人はゲロリーのグラスにワインを注いだ。
「いいだろう。貴様になら話してやる」
ゲロリーは政人のグラスにワインを注ぎ返した。
二人ともかなり早いペースで飲んでいるが、まったく酔わなかった。
いや、酔えなかった。




