30.尊大なイヌビト
その少女は、歳は政人よりも一つか二つぐらい下に見えた。
金色の髪をストレートに伸ばし、頭からは垂れた耳がのぞいている。
ゴスロリ風の黒いドレスを着ていて、お尻からは、髪と同じ金色の尻尾が、ふっさりと垂れていた。
顔つきはかわいらしいが、負けん気の強さも感じ取れた。
政人は、突然上から目線で「御主人様にしてやる」などと言われて、意味がわからず戸惑った。
(関わらない方がいい)
そう判断し、少女を無視して歩き出した。
「お、おい、我を無視するでない!」
なおも声をかけてくる。政人は職員に尋ねた。
「アレ、どうしたらいい?」
「相手をしてやってもらえませんか?」
職員は、かわいそうなものを見るような目で少女を見て、言った。
「元々はペットショップにいたんですが、飼い主が見つからないので、ウチにきたんです。好みのタイプの男性を見かけると、こうして声をかけるんですが、イヌビトのくせに性格が尊大で生意気なので、すぐに逃げられちゃうんですよ。その態度を直さない限り、一生飼い主は見つからないぞ、と注意はしてるんですが」
「なるほど、イヌビトの中にもおかしなのがいるんだな」
「貴様ら、陰口は本人のいないところで言わぬか」
政人はこのおかしな少女を観察した。性格に多少難があるとしても、強いのであれば飼う価値はあると思った。イヌビトが飼い主に逆らうことはないので、尊大な性格でも問題はない。
だが、目の前の少女は小柄な体格で、どう見ても強そうには見えない。
「なあ、こう見えてこいつは、訓練を積んでて強かったりするのか?」
「いえ、彼女は戦闘職ではなく、事務職のイヌビトなので……」
(いらんな)
と思ったが、そう言ってバッサリ切り捨てるのも、気が引けた。
少女の境遇に同情する気持ちがどこかにある。尊大だから避けられる、というのは政人も身に覚えがあるのだ。
政人はよく人から「おまえと話してると見下されているような気がする」と、批判されて傷ついたことがあった。
でもそれは、全くいわれのないことでもない。確かに政人は内心で人を見下すことが多い。
しかし、心の中で思ってしまうことはどうしようもない。問題はそれが態度に出てしまうということであり、それは政人のコミュニケーション能力が低いためであった。
それでも政人は人間なので、多少コミュニケーションが苦手であっても、社会で生きていくことはできる。
この少女も人間として生まれていれば、尊大で生意気であっても、それは「個性」としてある程度許容されていただろう。
だが、イヌビトはどうしても飼い主を必要とする生き物だ。
本来、従順な性格であるべきイヌビトが、尊大な性格に生まれついてしまっては、飼い主が見つからない。そこに、この少女の不幸がある。
政人は少女の頭を優しくポンとたたいてから、告げた。
「残念ながら、君を飼うことはできない。それは君が尊大だからじゃない。俺が求めているのは戦闘職のイヌビトだからだ」
まだ言い足りない気がしたので、少女と目の高さを合わせて、諭すように言う。
「性格はそんなに簡単に直せるものじゃないから、今のままでいい。君は事務職だそうだから、そのスキルをさらに磨くんだ。スキルは武器だ。たとえ尊大でも飼い主がきっと現れる。俺は戦闘スキルに秀でたイヌビトであれば、性格に難があろうとも飼うつもりだったんだから」
(そして値段が安ければな)
少女の様子を見ると、呆気にとられて何も言えないようだった。
(伝わらなかったかな? 偉そうに説教じみたことを言ったので、また見下したように思われてしまったかもしれない)
これ以上言うこともないので、踵を返し立ち去ろうとした。
「待てい」
少女はそう言って、政人のシャツのすそを引っ張った。
「どうした?」
「行くな」
「そう言われても、君を飼うことはできないんだ」
「我はもう、拒絶されるのは嫌なのである」
彼女は偉そうな態度を崩さず、続ける。「おぬしでよい。我の御主人様となれ。さすれば、一生世話をしてやろう」
どうしたらいいかわからず、職員を見た。
「ここまで食い下がることは、今までなかったんですが……」
職員も戸惑っているようだ。彼は少女に言い聞かせた。「諦めなさい。この方には縁がなかったんだ」
職員が政人たちに「行ってください」と声をかけたのを機に、今度こそ帰ろうと歩き出した。
三十メートルほど進んだころだろうか。
また、甲高い少女の声が聞こえた。しかしその声には、今までとは異なる必死さが込められていた。
「行かないでください……お願いします」
政人が振り返ると、そこにはさっきまでの傲慢さが嘘のように、うずくまって泣きそうな顔をしている少女の姿があった。
「おぬしのように、本気で我のことを考えて諭してくれた人間は、初めてなのである。そして、もうそんな奴は二度と現れることはないであろう。今まで声をかけた人間は皆、我を不審な者を見るような目付きで眺め、何も言わずに去っていったのである。もちろん、我の態度に問題があったのであろう。でも、どうしようもないのである。我は傲岸不遜な、駄目なイヌビトなのであるから」
政人には「子供に甘い」という短所(もしくは長所)がある。
同世代以上の者に対しては、自分と対等であることを期待するため、そうではなかった場合に見下してしまうことがある。
だが子供については元より庇護の対象として見ているため、何か欠点があったとしても、つい助けてやりたくなるのだ。
今、政人に対して「行かないで」と懇願している少女は、見た目よりも中身は幼いように見えた。
つかつかと少女に歩み寄った。
そして少女の目の前に来ると、しゃがみこみ、その顔をのぞきこんだ。
(まるで捨てられた子犬の目だな……こいつは一人では生きていけない奴だ)
「あの、御主人様。差し出がましいようですが、その子を助けてあげていただけませんか」
いつの間にかタロウが近くにきていた。「オレ、その子の気持ちよくわかるんです。この人なら、と期待した飼い主に逃げられ続けていると、自分が信じられなくなるんです。だって自分が悪いに違いないんですから」
政人はもう一度少女を見た。
さっきまでの傲慢さは影を潜め、不安そうに政人を上目遣いで見上げてくる。
(その表情は反則だ)
政人は自分が敗北したことを悟った。
職員に聞いた。「こいつはいくらだ?」
そう言った瞬間、少女は大きく目を見開き、「ウッ」と声にならない声が唇から漏れた。タロウは嬉しそうな表情をしている。
「五万四千ユールです」
(痛い出費だな。でも仕方がない)
財布を取り出そうとしたところ、職員が意外なことを言った。
「お代は結構です。どうか、その子の御主人になってあげてください」
「えっ? ……いいのか?」
「はい、私もその子が苦しんでいるのをずっと見てきました。でも、私の力では助けてあげられなくて……」
「そうか、助かる」
すると、今まで傍観していたルーチェがニヤニヤしながら言う。
「やっぱりマサトは優しい奴だなあ」
「優しい? 俺が?」
(生まれて初めて言われたぞ。まあ、ルーチェは俺を過大評価しているところがあるからな)
「ああ、優しいと思うぞ。ところでソイツの名前はどうするんだ?」
「名前か……」
職員の方を見たが、予想通り「御主人がつけてあげてください」という言葉が返ってきた。
(俺は時間をかけて考えても、センスのいい名前は思いつかないからな。直感で決めよう)
「では、お前の名前はハナコだ。わかったな」
そう言うと少女は、不安そうな顔から一転、顔をほころばせた。
「う、うむ、ハナコか。我にふさわしい雅な名前であるな」
そしてまた尊大さを取り戻して言った。「これから、我は御主人様に飼われてやるのである。ありがたく思うがよい」
ま、いいか、と政人は思った。




