298.尋問
フレイドは死んだ。軍医は懸命の治療を施したが、どうにもならなかった。
パージェニーにとって、痛恨の事態である。
(殺されたのがゲロリーではなかったので、最悪の結果は避けられたと言えるが……。それでもマサト様に対して申し訳が立たない)
政人はフレイドの生死については問わなかったが、生かしておけば使い道があったかもしれない。なんといっても、レンガルドに四人しかいない魔法使いの一人だったのだ。
(ギラタンたちにも詫びねばならないな)
死者の軍団に守られたフレイドを捕らえることができたのは、ギラタンの知恵と、ディライドら決死隊の勇気のおかげだった。
しかし、いつまでも悔やんでいるわけにはいかない。なぜこんなことになったのか、原因を突き止める必要がある。
殺害の実行犯はチャロだ。イヌビトは飼い主の命令に従うので、普通に考えればグルースが命令したと考えるところだが、どうやら違うらしい。
グルースはチャロに対し、ゲロリーを殺すように命令してあったのだそうだ。それはもちろん許されないことだが、フレイドの殺害には直接の関係はないことになる。
パージェニーはルーチェと共に、チャロを尋問することにした。
チャロの身柄は、さっきまでフレイドが入っていた牢に移した。なぜそこに入れたかといえば、対面の部屋にいるゲロリーが、自分も尋問に参加させろと要求したからだ。
「そいつにも話を聞かせていいの?」
ルーチェは鉄格子の向こうのゲロリーに目を向け、パージェニーに問いかけた。
「真実を明らかにするのが最優先だからな。フレイドについて詳しく知っているのは、彼だけだ」
「ふん、フレイドが殺されたのは貴様らの失態だぞ。こんなガキどもを俺に会わせようとするとは、つまらん情に流されたか」
「黙れ! おまえらだって、何人もの罪なき人を殺してるだろうが!」
グルースがゲロリーを怒鳴りつけた。彼にも詳しい事情を聞かねばならないので、尋問に同席させている。
「グルース、黙るのは君もだ。君がゲロリーを殺そうと企んだことに、私は怒っているのだぞ。いかなる理由があろうと、暗殺は許されないことだ。冷静に話ができないのなら、君にも牢に入ってもらう」
「……はい、すいません」
グルースはおとなしくなった。その表情から、かなりショックを受けていることがうかがえる。
(無理もない。絶対に信頼できるはずのイヌビトに裏切られたのだからな)
「グルース様は悪くない。悪いのは、全部私」
チャロが初めて口を開いた。今は神妙な顔つきで、鉄格子の向こうで正座をしている。
グルースは、訴えるように問いかけた。
「チャロ……なんでだ? なんでフレイドを殺したんだ? 俺はゲロリーを殺すように命令したはずだぞ?」
「初めは、グルース様の命令に従うつもりだった。でも、ここにはフレイドもいることがわかった。ナイフは一本しかないから、どちらかしか殺せない。
だからフレイドを殺した。それが、私に課せられた使命だったから」
「何を言ってる? 俺はそんな命令を出した覚えはないぞ」
「まだわからんのか」
ゲロリーが言った。「そのイヌビトは、おまえのペットではない。別に飼い主がいるんだ」
「何を言うんだ! チャロは俺のペットだ! 元の飼い主に捨てられ、一人で王都までやってきたのを俺が拾ってやったんだ! チャロという名前をつけたのも俺だ!」
「ごめんなさい、グルース様」
チャロは顔を伏せて言った。「私はチャロじゃない。女神様につけてもらった本当の名前は、ロズフィーヌ」
「ハッ、女神様ときたか」
ゲロリーがあざけるように言った。「なるほどな、おまえはあの女を女神と呼んでるのか。イヌビトを使って暗殺とは、ずいぶん俗っぽい女神だな」
ゲロリーにはチャロの本当の飼い主が誰か、見当がついているようだ。
ルーチェは首をかしげてたずねた。
「えーと、女神様っていうと……光の女神?」
「んなわけがあるか。神聖国メイブランドの女王、メイブランド・レナだ」
「まさか、神聖女王が!?」
意外な大物の名前を聞き、パージェニーは衝撃を受けた。
レナは神聖国メイブランドの女王であると同時に、メイブランド教会の最高位の聖王でもある。
(そして、マサト様をこの世界に召喚した人物だったな)
「この世で最も、フレイドの存在を消し去りたいと思ってるのは誰かと考えれば、自ずと結論は出る」
ゲロリーが説明した。「これは宗教の問題だ。フレイドは常にラギという用心棒をそばに置いていた。なぜ用心棒が必要だったかと言えば、奴は敬虔な――いや、狂信的なメイブランド教徒に命を狙われる恐れがあったからだ」
「なぜ狂信的なメイブランド教徒に、命を狙われるのだ?」
「フレイドが使った死者を操る魔法は、闇属性の魔法だからだ」
「どういうことだ?」
パージェニーには理解できなかった。
「貴様は軍事においては天才で、理系の学問にも秀でているようだが、政治や宗教には疎いようだな」
ゲロリーは呆れたように言った。「闇属性の魔法があるということは、闇の神も存在するということだろうが。それは五神派の信徒にとっては、絶対に認められんことだ」
「闇の神が存在するだって!? ば、ばかな、あり得ない!」
グルースが驚きの声をあげた。
この世界に存在する神は、光、火、土、風、水の五柱の神々である。
はるか昔は闇の神も信じられていたが、千年以上前のテドラエ公会議によって、その存在は否定された。
それ以来、闇の神も信じる者は六神派と呼ばれ、異端者とみなされている。
少数の異端者は差別され、弾圧されるのが常だ。特にオルダ王国では、六神派だと判明しただけで火刑に処される。
オルダ王国は他国に比べて信仰心に篤い者が多く、闇の神を信じる六神派への差別感情も強い。
先王アルダンや、その妻のラレンタは特にそうだった。だからグルースは幼い頃から、六神派信徒は地獄に落ちると聞かされて育ってきたのだ。
「おまえが信じようが信じまいが、それが事実だ」
(ゲロリーの言うとおり闇の神が存在するなら、大変なことだ。世界がひっくり返るぞ)
宗教に詳しくないパージェニーでも、それぐらいはわかった。
もし闇の神が存在し、六神派の方が正しかったとなれば、世界は大混乱に陥るだろう。
天動説から地動説に変化するような、パラダイムシフトだ。
「だから神聖女王はフレイドを殺し、闇の神が存在する証拠を消し去ろうとしたわけか」
「そうだ。メイブランド教会は千年以上にわたって、嘘の教義を信じさせてたことになるからな。それを知った信者たちの怒りはメイブランド教会に向けられ、下手すりゃ宗教革命が起きる」
「でもフレイドが死んでも、もう死者の軍団の存在は知れ渡ってるでしょ? 今さら闇の神の存在を隠そうとしても、無理なんじゃない?」
そう問いかけたのはルーチェだ。彼女はもともと宗教には興味がなかったので、特にショックを受けた様子はない。
「死者を操る魔法は、闇の神とは関係ないと言い張るつもりだろう。フレイドは闇の神から啓示を受けて魔法が使えるようになったと言っていたが、死人に口なしだ」
「しかし魔法とは、神の力が現世に顕現したものなのだろう? だからすべての魔法には、神と同じく属性があるはずだ」
パージェニーが言った。「死者を動かすような忌まわしい魔法は、光、火、土、風、水のどの神にもそぐわない。ならば闇の神に属すると考えるのが、自然だと思うが」
「凡愚な大衆は、そんなふうに合理的に考えることができん。人は、自分が信じたいことしか信じない。
オルダ王国の聖司教であるレーヴェンスでさえ、フレイドの存在を無視することにした。まあ奴は元々俗物だからな。
しかし、レナの立場ではそうも言ってられん。教義の正統性を守るため、フレイドを殺さねばならなかったんだ」
「嘘だと言ってくれ、チャロ」
グルースが懇願するように言った。「確かに君は、神聖国の王都デセントの出身だと言っていた。でも、本当の飼い主が神聖女王だなんて、嘘だろ? 闇の神が存在するなんて、嘘だよな?」
「……闇の神なんて存在しない。だって女神様がそう言っていたから」
チャロはそう答えたが、自分の飼い主がレナであることは否定しなかった。
グルースは力が抜けたように、その場にへたり込んだ。
「でも、おかしいわ」
ルーチェが言った。「私はデセントで生まれ育ったけど、レナがイヌビトを飼ってるなんて話は聞いたことがないわ。それどころか、彼女はイヌビトを嫌ってるはずよ。デセントでは、イヌビトを飼うことを禁止してたぐらいだから」
「女神様がイヌビトを嫌ってるのは本当」
チャロが答えた。「なぜなら、イヌビトは五柱の神を信じないから。イヌビトにとっては、飼い主こそが神」
「そういえば、タロウとハナコもそんなことを言ってたわね」
「そう。だから女神様はイヌビトを飼うことを禁止した。神聖な都であるデセントに、神を信じない者が住むのは不愉快だから」
「じゃあ、なんであなたは飼われていたの?」
「……女神様はイヌビトが嫌いだけど、手駒として優秀なことは知っていた。絶対に裏切らないから」
チャロは淡々と言った。「私は血統的に、暗殺者の素質があった。だから女神様は子供だった私を手に入れ、一部の人間以外には知らせずに飼っていた。暗殺者として育て、今回のような時に役立てるために」
「暗殺者にするために、嫌いなイヌビトを育てたって言うの!?」
ルーチェは怒りの声を上げた。「ひどい飼い主だわ! イヌビトには愛情を与えなければならないはずよ。マサトがそう言ってた。それに、長い間飼い主と離れて仕事をさせるのもよくないわ。まだ子供なのに」
「イヌビトは社会性を持つ生き物だ。こっそり飼うようなペットではない」
パージェニーも眉をひそめて言った。「飼い主以外にも、多くの人間やイヌビトと触れ合って成長しなければならない。そうしなければ、コミュニケーション能力が身につかない」
チャロは表情を変えずに反論する。
「そんなことない。女神様はちゃんと私に愛情を与えてくれた。私は独りの任務でも我慢できる。……コミュニケーションは確かに苦手だけど」
チャロは初対面の相手や目上の人間に対しても、敬語をつかえない。自分の感情を表現することも不得手だ。狭い人間関係の中で育ったので、対人能力が低いままなのだ。
グルースはそれを彼女の個性だと思っていたが、問題はその生い立ちにあったのである。
「それでチャロは……なんで俺のところに来たんだ? フレイドを殺すように命令されてたんだろ?」
グルースは憔悴した様子でたずねた。
「私はフレイドを殺すつもりでオルダ王国にやってきた。そしてフレイドの居場所を突き止めることもできた。でも奴の近くにはラギとかいう用心棒がいて、手が出せなかった。ラギは私よりはるかに強いことが、匂いでわかった」
「それで、どうしたんだ?」
「王都に行くことにした。ゲロリーと戦っているアルダン王の手助けをすれば、フレイドを殺すチャンスがあると思った。でも、さすがに王様と会うのは難しかった」
「だから、代わりに俺のところに来たのか……」
「だましていてごめんなさい。グルース様には恩義を感じている。チャロという名前も嫌いではなかった。なんとか助けてあげたいと思った。
それでも、私の本当の飼い主が女神様であることは、どうしようもない事実。だから結局は裏切ってしまった。本当にごめんなさい」
感情を表すのが苦手なチャロだが、心の底から申し訳ないと思っていることが、この場にいる者たちには伝わった。
しかしゲロリーは、そんなことは意に介さない。
「ハッ、本当の飼い主がレナだと言いながら、レナにとって不利な話を、ずいぶんベラベラとしゃべるじゃないか。
俺はかなり頭にきているぞ。オルダ王国に暗殺者を送り込み、俺の配下の魔法使いを殺すとは、完全な敵対行為だ。こんなことなら、ウェントリー王国ではなく神聖国を攻めるべきだった」
「黙れ」
チャロは冷たい声で言い返した。「負け犬の分際で、女神様の悪口を言うな。私はただ、グルース様にこれ以上の隠し事はしたくなかっただけ」
「チャロ……」
グルースは悲しそうに顔を伏せた。
パージェニーも、さすがに気の毒になった。家族を殺され、ルイザも殺され、唯一残されたペットにも裏切られた。彼の孤独を想像すると、かける言葉もない。
(それにしても、まさか神聖女王が他国に暗殺者を送り込むとは……。ゲロリーが怒るのは当然だな。それに私も、自軍の管理下にあった捕虜を殺されては、面目が立たない)
とはいえ他国の元首を罪に問うことは、残念ながらできない。
(差し当たって、チャロの処分をどうするかだな)
軍営内で起きた犯罪事件については、軍が裁くことになる。だからパージェニーにはチャロの処分を決める権限があるのだが、ことが外交問題におよぶようであれば、軽々には判断できない。
そこでチャロはこのまま監禁しておき、政人に判断をゆだねることにした。
イヌビトにとって飼い主が神であることは、「40.六神派の史劇」でタロウが説明しています。
チャロが神聖国メイブランドの出身であることは、「257.永の別れと王都脱出」で語られていますが、チャロの説明には嘘が混じっていました(泳いでオルダ王国に来たのは本当ですが)。




