289.ワルブランド家の領主
夜が明けた。
フレイドはラギと共に、大きく開け放たれた城門から公都バリアーダに入った。
地面には敵兵の死体が散乱しているが、住民の姿は見えない。
フレイドは都市の北西に立つ、無骨な造りの城塞をながめた。
ワルブランド家の領主の居城であり、バリアーダの最後の砦であるズィーガー城塞だ。
「ワルブランド家はあそこで最後の抵抗をするみたいですよ。住民たちも避難しているそうです」
ラギがズィーガー城塞を見上げて言った。
オルダ王国軍は都市を囲む城壁を突破したが、城塞に敵が残っているならば、バリアーダを完全制圧したとは言えない。
「ふん、あの程度の城塞なら、死者の軍団だけで落としてみせる」
「おやおや、最後のいいところを人間の軍団にかっさらわれたのが、よっぽど悔しかったみたいですね」
「うるさい」
フレイドたちは、オルダ王国軍が臨時の本部として使っている教会に向かった。
教会は都市の中心部にある荘厳な建物だ。中に入ると兵士が、会議室として使っている部屋まで案内してくれた。
フレイドはラギを外に残し、会議室に入った。
「おお、来たなフレイド。目は覚めているか?」
ゲロリーが声をかけてきた。さすがに上機嫌な様子だ。
グレッセン公とデンブロッシュ公も同席している。フレイドはその隣に着席した。
「はい。今からでも死者の軍団を動かし、ズィーガー城塞を攻撃することができます」
「ハッハッ、そうこなくてはな」
「そのことですが陛下」
グレッセン公が提案した。「ワルブランド家の残党など無視して、このまま王都へ進軍するべきではないでしょうか。もう奴らには何もできないでしょうから」
「確かにそれも一つの選択肢だ。俺たちはここに一ヶ月も釘付けにされてしまったからな。さっさと王都を落として、戦争を終結させるべきなんだろう」
「では――」
「いや、それでも俺はズィーガー城塞を落とし、ワルブランド家を完全に滅ぼす」
「なぜですか?」
「前にも言ったが、俺は俺に逆らった奴を見逃すことはできん。十二歳のガキになめられたまま通り過ぎることは、俺の流儀ではない」
グレッセン公はそれを聞き、眉間にしわを寄せた。納得していないようだ。
「私は陛下の意見に賛成です」
フレイドは迷わず答えた。「今度こそ、死者の軍団の恐ろしさを奴らに思い知らせてやります」
それを聞いたゲロリーが満足そうにうなずいたのを見て、グレッセン公は諦めたように首を振った。
デンブロッシュ公は何も言わなかった。以前にゲロリーから手ひどい暴行を受けたので、余計なことは言わないようにしているのだろう。
「決まったな。フレイド、貴様の働きに期待しているぞ。俺たちは陣地に引き揚げる」
「えっ? せっかく占領したのに、バリアーダを出て行くのですか?」
「町に兵士たちを置いておけば、勝手に略奪を始めるかもしれんからな。それにズィーガー城塞が残っているうちは、占領したとは言えん。ここにいる間に敵の援軍がやってくれば、城塞にこもる敵と挟撃されることになる」
「援軍が……来るでしょうか?」
「可能性は低いが、その想定はしておかなきゃならん。まあ、貴様は城塞を落とすことだけを考えていればいい」
ゲロリーは言った。「俺たちは出ていくが、援護射撃ぐらいはしてやろう」
―――
約二万人いた住民のうち、一万二千人ほどがズィーガー城塞に避難することができた。
ナローラは住民たちを大広間に集め、彼らの前で頭を下げた。
「おまえたちを守ってみせると言っていたのに、こんなことになってしまった! ごめんなさい!!」
ナローラが謝ると、住民たちは口々に声をあげた。
「謝らないでください! 私たちは、閣下や兵士の皆さんがいかに勇敢に戦っていたかを見ていました!」
「こうなったからには俺たちも、命ある限り戦います! どうか武器を貸してください!」
「戦えない者も、自分にできることで防衛戦に協力します! どうか命令してください!」
(みんな……こんなひどい状況でも、まだ絶望していないんだ)
ナローラは住民たちの力強い言葉に、目をうるませた。
彼らもまた、ワルブランド家の一員なのだ。
町に敵の侵入を許してしまったとはいえ、彼らは戦意を失っていない。軍民一体となって、最後まで戦う覚悟でいた。
「ワルブランド家は盾なり! 千の敵から王家を守る盾なり!」
誰かがワルブランド家の標語を叫んだ。それだけで、誰の心にも勇気が湧いてきた。
「ワルブランド家は盾なり!! 千の敵から王家を守る盾なり!!」
続けて全員が声を合わせた。一体感がさらに高まった。
その大音量は、外にいるオルダ王国軍にも聞こえているだろう。
ズィーガー城塞に舞台を移し、再び死者の軍団との攻防戦が始まった。
三千人いた兵士は二千人ほどに減っているが、守るべき拠点が少なくなったため、少ない兵士でも戦いやすくはなっている。
死者の軍団の攻め方は以前と同じだ。壁にハシゴをかけて、ひたすら登ってくるだけだ。
「奴らはあれしかできないのでしょう」
ドリアーが蔑むように言った。「城門を集中的に攻撃されるよりは、こちらとしても戦いようがあります」
「そうなのか」
ナローラは戦いのことはわからないので、任せるしかない。
敵がハシゴ登りをしてくるなら、こちらの守り方も変わらない。上から石を落とし、登ってきた敵を槍やハンマーで叩き落とすだけだ。
「今だ! 石を落とせ!」
「はっ!」
指揮官の命令に答え、兵士たちは登ってくる生ける屍に向かって石を落とす。もう怖気づく兵士はいなかった。
「安心しろ、おまえたちは狂っている!」
ナローラは今回も、兵士たちを後ろから鼓舞していた。
「落下物を持ってきました!」
住民たちが、タンスを胸壁の上まで運んできた。
「よし、そこに置いておいてくれ!」
「はい!」
落とす物体は石でなくても、重量のある物ならなんでもいい。そこで住民たちがタンス、机、椅子、寝台など、落とせそうな物を胸壁の上まで運んできてくれているのだ。
その中には光の女神の石像もあった。罰当たりなどと言う者は誰もいない。もはや神頼みなどしている状況ではないのである。
体力のない女、子供、老人なども、食事を用意したり、負傷した兵士の看病をしたり、様々な雑用をして手伝っていた。なまけている者は一人もいなかった。
オルダ王国軍は、今回は攻城塔を使ってこない。街路が狭いため、巨大な攻城塔をズィーガー城塞の近くまで移動させることができないのだろう。
その代わり、敵は新たな兵器を使ってきた。
トレビュシェットと呼ばれる平衡錘式投石機を城外に設置し、遠くから石球を飛ばしてきたのだ。
ドゴォン!
ものすごい轟音が響いた。
外壁に石球がぶつかり、胸壁の上が激しく揺れた。
「キャアッ!」
ナローラは思わず悲鳴をあげてかがみこんだ。そしてすぐに、そんな自分を殴りつけてやりたくなった。
(ワルブランド家の領主が、こんな悲鳴をあげるはずがない! お兄様なら、こんな情けない声は絶対に出さない!)
ナローラはすぐに立ち上がり、兵士たちに声をかけた。
「大丈夫か!」
「兵士に被害はありません! ですが危険ですので、閣下は城内に入っていてください!」
「そんなことができるか! 私はワルブランド女公だ!!」
ナローラは有無を言わさぬ口調で答えた。
それを聞いた指揮官のドリアーは、諦めの表情とともに口を閉ざした。諌めても無駄なことがわかっていた。
夜になると、死者の軍団は引き揚げていった。
しかし、投石機の攻撃はやまなかった。
外壁に石球がぶつかるたびに、ドゴォンとすごい音がして城内が揺れる。ナローラは悲鳴をあげそうになるのを、懸命にこらえていた。
「外壁を壊すのが目的でしょうが、我々の士気を下げる狙いもありそうです」
ドリアーが言った。「これじゃあ眠れませんからね。住民たちはおびえているでしょう。特に子供は泣き叫んでいるかもしれません」
「せめて子供だけでも、事前に王都に避難させておくべきだった」
ナローラは責任を感じていた。
「今から言っても仕方ありません。勝つことで彼らに報いてやりましょう」
「そうだな」
ドリアーと別れたナローラは、多くの住民たちが集められている大広間に向かった。
せめて自分が直接声をかけ、彼らをはげましてやろうと思った。
ナローラが大広間に顔を出すと、大きな歓声が上がった。十二歳の領主の人気は絶大だった。泣き叫ぶ子供はいなかった。
(みんな、まだ元気そうだな。よかった)
大広間の四隅と中央で篝火が焚かれていて、暖かい光が人々の顔を照らしていた。
彼らは家族ごとにまとまり、床に毛布を敷いて休んでいた。食糧と水の配給は充分に行われており、体調をくずした者はいなかった。
ナローラは彼らの中に入っていき、一人ずつ声をかけていった。
「昼間はよく頑張ってくれたな。ゆっくりと休んでくれ」
「ありがとうございます、閣下」
「おまえは顔色が悪いな。ちゃんと眠れているか?」
「大丈夫です。気合でなんとかします」
「おまえはずいぶんやせているな。もっと食え。男は太っていた方がかっこいいぞ」
「も、申し訳ありません」
ナローラに声をかけられた者は、心からの感謝の言葉を返してきた。中には、感極まって泣き出す者もいた。
(……ん?)
大広間の隅っこの篝火の下で、一人でうずくまっている少年がいるのに気付いた。ナローラはその少年に近付いていった。
どうやら少年は、明かりの下で算数の問題集を広げ、勉強をしているようだ。
「こんな時にも勉強とは、感心だ」
「あっ、ナローラ様!」
少年は顔を上げた。「ごめんなさい、夢中になってて気付きませんでした」
(この状況で勉強に夢中になれるとは、ただものではない)
「おまえ一人か? 家族はどこにいる?」
「……わかりません」
少年は、泣き顔になって言った。「避難する途中で、パパやママやお姉ちゃんとはぐれちゃったんです。この城のどこかにいるかと思って探したけど、見つからなくて……」
(逃げ遅れたのか……)
ズィーガー城塞にいないということは、避難に失敗したのだろう。敵の手に落ちて、無事でいるとは思えない。だが、そんなことを言うわけにはいかない。
「大丈夫だ。おまえの家族はきっと無事だ」
「はい……」
「おまえの名はなんという? 歳はいくつだ?」
「僕はマルトといいます。十歳です」
「私より年下ではないか」
いつも大人を相手にしているナローラにとって、自分より年下の人間に接した経験はほとんどない。独りになった彼を、なんとしても守ってやらなければならないと思った。
「申し訳ない」
ナローラはマルトに謝った。「子供をこんな戦いに巻き込んでしまったのは、私の責任だ。許してくれ」
「謝らないでください。ナローラ様は、僕のあこがれなんです」
「あこがれ? 私が?」
「十二歳なのに、大人たちを指揮して戦っていて、すごいなあって思います。だから僕はたくさん勉強して、早く大人になってワルブランド家に仕え、ナローラ様を助けたいんです」
ナローラは胸が熱くなった。
「勉強しているのはそのためか?」
「はい。僕は運動は苦手だけど、勉強は得意なんです」
「それは頼もしいぞ。ワルブランド家の家臣はケダモノのように気性が荒い奴ばかりで、頭を使うのが得意な文官は少ないのだ。いつか、おまえのような家臣が加わってくれれば、私は――」
激しい揺れが起こった。
すさまじい轟音とともに、今までで最大の衝撃が襲ってきた。大広間の壁に、石球が直撃したのだ。
崩れた壁が、ナローラの頭上に落ちてきた。
「ナローラ様、危ない!!」
「きゃあっ!」
ナローラはマルトに突き飛ばされ、床を転がった。その直後、大量の瓦礫が床に降りそそいだ。
(うう……)
ナローラはなんとか体を起こした。
「ナローラ様!」
「御無事ですか!?」
ナローラを心配する人々が近寄ってきた。
ナローラはすぐに起き上がり、マルトに駆け寄った。
「マルト! マルト!」
マルトは瓦礫の下敷きになっていた。口からは大量の血を吐いている。
(そんな……。 私をかばって……)
「誰か助けて! マルトを助けて! お願い!!」
その場にいた人々は、懸命に瓦礫をどけようとした。しかしマルトの顔色はどんどん悪くなり、その目から光が消えていった。
「マルト! しっかりして!」
(こんなのイヤだよ! なんで私より年下の子が、死ななきゃならないの!)
大人の死は何度も見てきたナローラだが、自分よりも幼い子供の死には耐えられなかった。
マルトは笑っているように見えた。ナローラを守った自分を、誇らしく思っているのかもしれない。
彼は口をぱくぱく動かし始めた。何かを言おうとしていた。
「しゃべらないでマルト! 今助けるから!」
ナローラがそう言ったにもかかわらず、マルトは最期の力をふりしぼって言葉を発した。
その言葉は、ナローラの耳にはっきりと聞こえた。
「ワル……ブランド家は……盾……なり……」
いつもナローラはこの標語を聞くと、誇らしく思ったものだ。
しかし今は、悔しさしか感じなかった。
盾であらねばならないのは、領主や兵士たちなのだ。住民の子供にこれを言わせてしまっては、ワルブランド家の領主として失格だ。
「千の敵……から……王家を守る……盾……」
(もう……言わないで……お願い……)
マルトの手を、両手で包み込むように握った。その手からは、まったく力を感じ取れなかった。
ナローラは、泣き崩れた。




