288.凶暴女公vs.狂王
バリアーダ防衛戦が始まってから、すでに一ヶ月が経とうとしていた。
スランジウム火薬を使い果たしたワルブランド軍には、死者の軍団の数を減らす手段がない。
できることはハシゴを登ってくる生ける屍に対し、上から石を落としたり、槍で突いたりして、落下させることぐらいだ。
城壁は十二メートルの高さがあり、さらに八メートルの深さの空堀が周りを囲んでいる。空堀の底には鋭くとがった杭が打ち込まれており、落ちれば全身が串刺しになる。
しかし生ける屍は高所から突き落とされても、串刺しになっても、すぐに復活してハシゴを登ってくる。
そんな常軌を逸した敵が間近にせまってくるのを見ては、いくら勇猛なワルブランド家の兵士といえども、心が恐怖にとらわれてしまうのは仕方がないだろう。
「怖じ気づくな! 戦え!」
ナローラは彼らの後ろから必死に鼓舞する。
「し、しかし閣下、奴らのおぞましい顔を見ると、俺はもう怖くて……」
胸壁のそばで戦っていた兵士の一人が弱音を吐き、へたりこんでしまった。これを放っておくと、全軍に恐怖が伝染してしまうかもしれない。
「怖いのは気のせいだ!」
ナローラはその兵士を怒鳴りつけた。「おまえは戦闘狂だろうが! 狂人が恐怖など感じるわけがない!」
「いえ、戦闘狂なんて呼ばれてはいますが、本当に狂っているわけでは……」
「いいや、おまえはすでに狂っている! なぜなら私が狂っているからだ!!」
「ええっ!? そうなんですか?」
「そうだ! 見ていろ!」
(お兄様、私に勇気を貸してください)
ナローラはへたりこんだ兵士を押しのけ、胸壁の狭間に手をかけてよじ登った。そして胸壁の一番高いところに立って、下を見下ろした。
目がくらむような高さだ。下にはとがった杭が立ち並んでいるのが見える。死は、すぐそこにあった。
さらに生気のない表情の死体が、ハシゴを登って近づいてくる。普通なら、恐怖で立っていられないだろう。
(ワルブランド家の領主が高い所を怖がるはずがない。だから今感じている恐怖は、きっと気のせいだ!)
「閣下、危ないです!! 下りてください!!」
周りにいた兵士たちが悲鳴をあげた。
「私が狂っていることがわかったか!」
「よくわかりました! わかりましたから、下りてください!」
ナローラは胸壁の内側に飛び降りた。
「さあ、これでわかったろう! 私が狂っているから、おまえも狂っているのだ!」
「ど、どうしてそうなるのですか!?」
「まだ疑うのか! ならばもう一度見せてやる!」
ナローラがまた胸壁によじ登ろうとしたので、へたりこんでいた兵士は慌てて立ち上がった。
「ご、ごめんなさい! 勘違いしていました! 私はすでに狂っています!」
そう言って、再び戦いに戻った。
彼にとって、ナローラの方が怖かった。もしまた怖気づく姿を見せれば、何をするかわからない。
「よし、わかったならそれでいい!」
ナローラは再び、兵士たちの後ろから大声で鼓舞を続けた。
「さあ戦闘狂たちよ! 狂え! 狂え! みんなで狂えば怖くない!!」
―――
フレイドは城壁からかなり離れたところで、用心棒のラギと共に戦いの様子を見ている。
生ける屍は疲れを知らないが、フレイドは疲れていた。
死者の軍団を動かし続けるには、わずかではあるが魔力を消費するのだ。
(奴ら、いったいいつまで頑張るつもりだ?)
スランジウム火薬がなくなったので、すぐに落とせると思っていた。城兵がここまで粘り強く抵抗するとは予想外だった。
「いやー、たいしたもんですねえ。死者の軍団を相手にここまで戦った敵は、初めてですよ」
ラギがのん気な声で言った。
(ちっ、他人事のように言ってくれるものだ)
「もう少しだ、もう少しで城壁を越えられる。そうすれば中から門を開け、死者たちは一気に町になだれこむ。住民たちは恐怖の叫びをあげるだろう」
「そうなってほしいもんですね。いいかげん、陛下もしびれを切らしてるでしょうし」
「……そうだな」
ゲロリーのことを言われ、フレイドも気が気ではなかった。
(私のことを、使えない奴と思っているだろうか?)
ゲロリーは何も言ってこないが、このままじっと時が過ぎるのを待っているとは思えない。
「まあ、焦らずにいきましょうよ。そろそろ日が暮れてきたから、今日はここまでにして陣地に戻りましょう」
「そうするか」
フレイドは死者の軍団を引き揚げさせることにした。早く横になって眠りたかった。
―――
(ふう、今日もなんとか無事だった)
死者の軍団が引き揚げていくのを見て、ナローラは安堵の息をついた。
「今日の被害の程度はどうだった?」
ナローラはドリアーにたずねた。
「死者はゼロです。軽傷者が二人いますが、たいしたことはありません」
「そうか、よかった」
生ける屍は愚直にハシゴを登ってくるだけで、地上の射手からの援護射撃もないので、胸壁を越えさせなければ危険はなかった。
「では、後は任せた」
「はい。ごゆっくりお休みください。閣下の鼓舞には、本当に助けられています」
十二歳の少女がけなげに頑張っている姿を見れば、兵士たちは怖気づいているわけにはいかない。士気は高く保たれていた。
(私でも、役に立てるんだ)
一日の仕事をやり終えたという達成感があった。
心地よい疲れを覚えながら、領主の居城であるズィーガー城塞に戻った。
従者に鎧を脱がせてもらうと、体が軽くなった。腕を大きく上げて体を伸ばすと、気持ちよかった。
それから風呂に入って一日の汗を流し、食事をとった。
その後は寝るだけだ。スッキリした気分でベッドに体を横たえる。
先のことを考えると、不安でたまらなくなる。だから考えないことにしていた。
目を閉じて、楽しいことだけを考える。
(お兄様は私の頑張っている姿を、天界から見てくれてるかな)
つい、兄のムリースのことを考えてしまった。悲しくなるかと思ったが、不思議と気持ちが安らいだ。
そのまま安らかな気分で、眠りについた。
「閣下、起きてください!!」
激しく扉を叩く音と、男の大声で目が覚めた。
窓の外を見ると、まだ真っ暗だ。
(まだ夜じゃないか。何だか外が騒がしいが)
ナローラはベッドから出ると、眠い目をこすりながら入り口まで歩き、扉を開けた。
ランタンを持った騎士が、蒼白な顔で立っていた。その表情から察するに、あまり良い知らせではなさそうだ。
「何があった? こんな時間に」
「敵の夜襲です!」
夜襲、という言葉の意味がすぐには飲み込めなかった。
「どういうこと?」
「北側から死者の軍団が、そして東と西から人間の軍団が攻めてきています! 現在迎撃中ですが、敵の数が多く、味方の兵力は分散されるため、苦戦しているようです!」
「人間が攻めてきたのか!?」
今まで一度もなかったことである。
「はい! しかも巨大な攻城塔が城壁に接近してきました! 攻城塔は城壁を越える高さがあり、胸壁の上で戦う味方が弓矢で攻撃を受けています!」
死者の軍団は、飛び道具を使ってくることはなかった。だから今までは、さほど危険はなかったのだが。
「す、すぐに私も兵士たちのところへ――」
「いいえ!」
騎士は、ナローラの言葉をさえぎって言った。「もう敵に侵入されるのは時間の問題です! 閣下はすぐに、住民たちを避難させてください!」
―――
フレイドは眠い目をこすりながら、いつものように死者の軍団が城壁を登っていくのを見ている。
暗いので、どうなっているかはよくわからないが、それで問題はない。
死者の軍団は牽制であって、今ごろゲロリーとグレッセン公が東と西から攻撃しているはずだ。
「ふわあ」
ラギが大きなあくびをした。「まったく、こんな時間に働かされるなんて。深夜残業手当を出してもらわないと」
「眠いのは私も同じだ」
あの後、陣地に帰ったフレイドは、すぐに休むつもりだった。
しかしゲロリーに呼び出され、もう一度死者の軍団を動かすよう命令されたのである。
「へ? 夜襲……ですか?」
その時のフレイドは思いもよらない言葉を聞いたことで、間の抜けた声を出した。
「そうだ。敵が寝静まった頃合いを見計らい、夜襲をかける。死者の軍団はいつものように北から攻撃しろ。俺とブルーノは東と西から攻める」
「人間の兵士も攻撃に参加するのですか!?」
「もちろんだ。あいつらはそのためにいるんだからな。意外か?」
「はい、城攻めは死者の軍団だけで行うものと思っていました。人間の兵士を温存するために」
「貴様がそう思っていたように、敵もそう思っているはずだ」
ゲロリーは説明した。
「この一ヶ月の間、死者の軍団が北側から城壁を攻撃し、夜になると引き揚げるというのがお決まりのパターンになっていた。
人は同じことを毎日続けていると、それに慣れてしまう。そのため敵は死者の軍団が引き揚げたことで、今日はもう大丈夫だと油断しているだろう。
だからこそ初めて行う夜襲では、不意をつくことができる。さらに東と西から攻撃されるのも初めてなので、対応が遅れる」
「なるほど」
フレイドは納得した。彼もまた、この一ヶ月の行動が日課になっていた。だから今日はもう眠るつもりでいたのである。敵も同様だろう。
「兵士たちは死者の軍団が城を攻めてる間、遊んでたわけじゃないぞ。城壁の高さに合わせて攻城塔を造ってたんだ」
「あの櫓みたいなやつですね」
ラギが向こうにある建造物を指差して言った。
「そうだ。敵は死者の軍団にかかりきりになっていたから、その裏で俺たちがあんなものを造ってたとは知らん。だから初めて目にする攻城兵器に混乱する」
初めての夜襲、初めての人間の兵士、初めての方向からの攻撃、そして初めて見る攻城兵器。
今までずっと単調な攻めを続けていたからこそ、初めて起きる事態に敵は対応できない。
(だから今までずっと、ワンパターンの攻撃を続けていたのか)
フレイドは、たまには違う方向から攻撃してはと提案したことがあるが、ゲロリーは頑なに北側からの攻撃を続けさせた。
夜更かしをしてもいいと言ったこともあるが、必ず日が暮れると引き揚げさせた。
すべては、この時のためである。
同じことを続けていると慣れてしまう、人間の習性を利用した奇襲だ。
「攻城塔から胸壁に渡し板をかけようとしてます! 今から乗り込むみたいですよ!」
ラギが興奮した声で言った。フレイドよりも夜目が効くようだ。
「陛下は初めから、死者の軍団ではなく、人間の軍団でバリアーダを落とすことを考えていたんだな」
どこか釈然としない思いもある。今夜の夜襲のことは、フレイドさえ知らされていなかったのである。
「まあまあ、敵をだますにはまず味方からって言いますからね。フレイドさんが知らなかったからこそ、敵も単調な攻撃を不審に思わなかったんでしょう」
「かもな」
(ゲロリーという男は、ただの狂人ではないな)
「あっ、ついに一人が胸壁を越えました! すごいすごい! 後に続いて、どんどん兵士たちが中に入っていきますよ!」
「そうか、ついにこの都市も陥落したか」
フレイドも興奮していた。もう眠気は感じなかった。




