284.死者の軍団を超える戦力
「御主人様、やはり助けてあげることはできないのであるか?」
援軍は出せないと言った政人に対し、ハナコが控えめに問いかけてきた。自国を危険にさらすことはできないという道理は理解しつつも、ウェントリー王国に対する同情の気持ちも強いのだ。
「俺もウェントリー王国を助けたいとは思う。だが下手に手を出せば、ゲロリーはガロリオン王国にも侵略してくるだろう。俺は自国を守ることを第一に考えなければならないんだ」
「うむ……その通りであるな」
ハナコは辛そうに視線を落とした。
「ちょ、ちょっと待ってよ! もうちょっとだけ話を聞いて!」
「プートン陛下、お気の毒ですが、何を言われても――」
「オルダ王国軍を撃ち破ってくれたなら、ウェントリー王国は、ガロリオン王国の傘下に入るわ!」
(なるほど……そうきたか)
「陛下、何を言われるのですか!?」
アルベルトが驚きの声をあげた。「オルダ王国に支配されないために協力を得ようとしているのに、代わりにガロリオン王国に支配されるのでは、意味がないではないですか!」
「支配されるわけじゃないわよ。ガロリオン王国を宗主国として認めるというだけで、自治権を持った独立国であることは変わらないわ。つまりローゼンヌ王国と同じ扱いにしてもらうの。それなら充分受け入れられる話よ。領地のほとんどを奪われ、毎年ゲロリーにひざまずくことを考えれば」
(俺たちにとっては、もちろん悪い話ではないが……)
政人はプートンに同情した。王としてこんなことを提案しなければならないほど、追い込まれているのだ。
(しかし、ここで選択を誤れば、ガロリオン王国も同じ道をたどることになる。やはり戦争は避けるべきだ)
政人はどうやってプートンを説得しようかと考えた。すると、この場にそぐわないのんびりした声が聞こえてきた。
「あのう、なんで援軍を出さないんですか?」
誰が発言したかと思えば、司法大臣のリーベルだった。「ゲロリーは侵略者で、悪い奴なんですよね? だったら懲らしめなきゃいけないですよ。それでウェントリー王国を傘下に入れて、領地とお金ももらえるなら、いいことずくめじゃないですか」
リーベルはタンメリー女公の孫で、女公が強引に彼を推薦してきたため、司法大臣の職についている。
一応評議会のメンバーなのでこの場にいるが、誰も彼の意見には期待していなかった。
「貴様は殿下の話を聞いていたのか?」
キモータが、いら立ったように言った。「援軍を出して負ければ、敵は我が国にも攻め入って来るぞ。そうなれば全国民の生命と財産を危険にさらすことになるだろうが」
「いや、そうはなりませんよ」
「なんだと? なぜそんなことが言える?」
「だって、勝つでしょ?」
リーベルは「僕、何か間違ったことを言ってますか?」とでも言いたげな、キョトンとした表情で言った。
彼は自国が勝つことを全く疑っていないようだ。相手が死者の軍団だろうが知ったことか、と言いたげな顔つきだ。
諸侯の家に生まれた彼は、生活で苦労したことも、挫折した経験もない。領地の経営は、やり手の祖母に任せておけばうまくやってくれるので、彼はのんびりと人生を楽しんでいればよかったのだ。
ローゼンヌ王国との戦争も、勝って当然だと思っていた。負けるということが想像できないほど、彼は苦労知らずに育ってきたのである。
そのあまりにも無責任で幼稚な発言に一同は毒気を抜かれ、室内に弛緩した空気が漂った。
「よくもまあ、そんなおめでたい発言ができるものであるな。今は国の存亡に関わることを話し合っているのであるぞ」
ハナコが呆れたように言ったが、それはこの部屋にいる者たちの気持ちを代弁していた。
しかしただ一人、リーベルの発言に感心している者がいた。政人である。
(ここまで空気を読まない発言ができるのは、たいしたものだ)
自分だけが他人と違う意見を言うのは、勇気がいるものである。
(いや、評議会のメンバーの中では、無邪気に勝利を信じているのはリーベルだけだが、ひょっとすると大多数の国民は、彼と同じように思っているのかもしれない)
責任のある立場の人間は最悪の事態を想定し、どうしても慎重になる。たとえ見返りが大きいとしても、リスクは冒せない。
しかし勝利を信じられる者にとっては、ここで援軍を出すことは利益が大きく、倫理的にも正しいのだ。
(俺は侵略されることを恐れるあまり、思考が守りに入りすぎていたかもしれない。もっとリーベルのように、信じてもいいのかもしれない)
彼女は政人に忠誠を誓った時に、言ったではないか。「どんな強大な敵であろうとも、撃ち破ってみせる」と。
「いや、リーベルの言うことには一理ある。オルダ王国がウェントリー王国を征服してしまったら、我が国にとっても脅威だ。ゲロリーがこのまま拡張路線を続けるなら、どのみち次の標的はガロリオン王国ということになるからな。ならば、ワルブランド家が敵を食い止めている今のうちに、叩いておくべきだ」
政人がそう言うと、当のリーベル以外は意外そうな顔をした。
「このバカの発言に理があると、本気でおっしゃっているのですか?」
キモータが問い詰めてきた。
「俺の元いた世界には、こんな事を言った人がいた。『智者にも千慮に一失あり、愚者にも千慮の一得あり』と。
つまり、賢い者でも千回に一回は間違った判断をするし、バカでも千回に一回ぐらいは良いことを言うんだ。
バカはバカなことしか言わないと、決めつけてはいけない。バカの口から名言が飛び出すこともあるんだ」
「あのう……本人の前で何度もバカと繰り返すのはいかがなものでしょうか……。僕だって傷つくというか……」
「さっきのこいつの言葉が、バカの口から出た千回に一回の名言だとおっしゃるのですか?」
「そうだ。俺たちは負けた場合のことを考え、消極的になりすぎていた。しかし短期的にはそれで平和を保てても、将来の安全までは保障できない。国家には攻勢に出なければならない時がある。今がそうだ」
「勝てますか?」
「勝てる。確かに死者の軍団は怖ろしい敵だが、俺たちはそれを超える強力な戦力を持っていることを思い出せ」
「強力な戦力?」
「この世界の歴史上、最も優れた軍事指揮官だ」
政人はそう言うと、近くにいた親衛隊員に命じた。
「パージェニーを呼べ」
「マサト殿。パージェニーというのは、戦術の天才と呼ばれる女性のことよね?」
パージェニーが来るのを待つ間、プートンがたずねた。
「そうです。実は以前から彼女には、オルダ王国軍との戦いに備えておくように命じてあります。彼女が勝てると判断するならば、援軍を出しても構いません」
「おお! なんだかんだ言っても、戦う準備をしてたんじゃないの。さすがはマサト殿ね」
プートンの顔には喜色が浮かんでいる。
「もちろんパージェニーが勝てないと言うならば、援軍は出せませんが」
(彼女なら、大言壮語をせずに正確な判断をしてくれるはずだ)
「元帥殿をお連れしました」
そんな話をしているうちに、パージェニーがやってきた。
親衛隊員に続いて貴賓室に足を踏み入れた彼女は、そのまま政人の元へと歩を進めた。その歩き方は、軍人らしく隙がない。
パージェニーは政人の横に立つと、ビシッと敬礼をした。
「ミランディッシュ・パージェニー、マサト様がお呼びと聞き、参上致しました!」
「ご苦労、そこへ掛けてくれ」
「はっ」
政人はプートンたちにパージェニーを紹介した。
「まさか噂の元帥殿が、こんなにきれいなお嬢さんだとは思わなかったわ」
「恐縮です」
彼女は頬を赤らめることもなく、平然と答えた。
「それでは、君を呼んだ理由を説明する」
政人はここで話し合った内容について説明した。パージェニーは時おり質問をはさみながら、真剣な表情で聞いている。
「君に聞きたいのは、現在バリアーダを攻撃中のオルダ王国軍に勝てるかどうかだ。もちろん正確な敵の戦力はわからないし、戦いでは何が起きるかわからないので断言はできないだろうが、君の率直な意見を聞かせてくれ」
「勝てます」
即答だった。
「まさか」
アルベルトが反論した。「あなたは死者の軍団を見たことがないから、そのように言えるのです。そんな簡単に勝てるなどと――」
「お黙りっ!」
プートンが叱りつけた。「パージェニー殿は彼我の戦力を分析した上で言ってるのよ。余計な口をはさまないで!」
「いえ、アルベルト殿の言われることはもっともです。確かに私は死者の軍団を見たことがありません。ですが、死者たちを率いているのは人間です。同じ人間を相手にして、勝てないはずがありません」
「いえ、フレイドはただの人間ではなく、魔法使いで――」
「黙らっしゃい!」
アルベルトはまだ反論しようとしたが、プートンに怒られて口を閉ざした。しかし、やはり不安そうな様子だ。
「どれほどの兵力が必要だ? 諸侯たちやローゼンヌ王国にも、軍を動かすように命令することができるが」
政人が問いかけた。
「不要です。バリアーダの救援には、私が王家の軍だけを率いて向かいます。
諸侯に対しては、いつでも出陣できるよう、準備だけはさせておきましょう。
またソームズ公領には、デルタドールが率いる一万二千人の軍団が駐留しており、ガンフェランの関にはサニードが率いる六千人がいます。彼らは私が命令すれば、いつでも動ける状態にあります」
パージェニーの言葉に対し、同じく軍人のアルベルトが意見を述べる。
「それだけの兵力があるなら、全て集めて大軍を編成するべきではないですか? 軍書にも、戦力の逐次投入は避けるべきと書いてありますが」
「軍書には原則が書かれているだけで、実際の戦いでは臨機応変な用兵が必要になります。今はスピードを重視するべき時です。大軍を集めるのには時間がかかるし、動きが鈍くなります。すぐに動かせる王家の軍団だけで出陣します」
「すぐに動ける軍団は、どれだけいるの?」
今度はクオンがたずねた。
「ここを空にするわけにはいきませんし、すぐに動かせる兵士は二万というところでしょう。それとルーチェの遊撃隊は領内を巡回中ですが、狼煙で合図を出せばすぐに戻ってきます。合わせて二万三千の兵力です」
「え? ちょっと少なすぎないかしら」
プートンは不安そうに言った。「敵は死者の軍団を合わせて八万人以上いるそうよ。やっぱり時間はかかっても、味方が集まるのを待ってから攻めた方が……」
しかしパージェニーはきっぱりと答える。
「二万三千人もいれば、十分です。それにもたもたしていると、バリアーダが陥落してしまいます」
「そ、そうよね! 確かにそのとおりだわ。どうかワルブランド家の者たちを助けてちょうだい」
「最善を尽くします」
パージェニーはそう答えるにとどめた。バリアーダが持ちこたえるかどうかはワルブランド家の頑張り次第なので、絶対に助けるとは答えられない。
「パージェニー、君に作戦と戦術の全てを任せる。好きなように戦うがいい」
政人はパージェニーを信じると決めた。ならば戦いに関して、余計な口を出すべきではない。
「ありがとうございます、マサト様」
「それではパージェニー、改めて命じる」
パージェニーは居住まいを正した。
「はっ、何なりとお申し付けください」
「バリアーダを攻撃中のオルダ王国軍を撃破せよ」
「承知しました」
「そして可能ならば――」
政人は続けた。「ゲロリーを捕らえて、俺の前に連れてこい」
難しい任務を言い渡されたパージェニーは、まるで野良猫を捕まえてこいと言われたかのように、全く気負った様子もなく答えた。
「お任せください」




