269.開戦
義勇軍の本部となっている建物は、王城のすぐ近くにある。
グルースたちが本部を訪れると、義勇兵たちの間からワアッという歓声が上がった。
「……うるさい」
騒音が苦手なチャロが顔をしかめている。
「おいおまえら、近所迷惑だからでかい声を出すな!」
ブルダウンが怒鳴りつけると一瞬静かになったが、すぐにまたざわつき始めた。彼らは兵士としての訓練は受けておらず、出自もバラバラな者たちなので、統制はとれていない。
(前に来た時より、さらに人数が増えているみたいだな。俺のために集まってくれたんだから、ありがたい話ではあるけど)
グルースは喜ばしいと同時に、申し訳ない気持ちにもなる。
ここは本部といっても、廃墟となっていた建物を勝手に拠点にしているだけで、不法占拠と言われても仕方がない状態だ。
プートンやその家臣、さらには住民たちも、快くは思っていないだろう。
義勇軍の隊長であるロンディがグルースたちに近づき、気安い調子で声をかけてきた。
「へっへっ、すいませんね。こいつらは全員でかい声を出すだけが取り柄の田舎者で、王族の方への接し方なんか知らねえんすよ」
(おまえもな)
ロンディは義勇軍の結成者であり、今も隊長として実質的に義勇軍の指揮をとっている。グルースは名目上のリーダーに過ぎない。
(俺には七千人も指揮する自信はないし、義勇軍をつくったのはロンディなんだから、彼が指揮をとるので問題ないとは思うが……)
グルースはロンディという男を、どうしても好きになれなかった。
彼は義勇軍を結成する前は盗賊だったらしいが、それもなるほどと思えるほど人相が悪い。さらに知性も品位も感じられない。
たまたま時流に乗って今の地位を得たが、本来なら犯罪者として処刑されていたはずの男だ。
もちろん彼のおかげで兵力を手に入れることができたのだから、感謝はしなければならないが。
「さあさあ、こいつらの相手はあっしに任せておいて、グルース様は部屋で休んでいてくださいや。偉い人が頻繁に顔を出すと、威厳がなくなりますからね」
「そうだろうか」
確かにここにいても何ができるわけでもないので、グルースたちは王城に戻ることにした。
「私はあの男、どうも気に入りません」
建物を出たところで、ルイザがロンディを批判した。「あんなゴロツキに隊長を任せていては、殿下の品位に傷がつきます」
「あの男はグルースを利用して成り上がりたいだけに思えるな」
ブルダウンも気に入らないようだ。
「まあいいさ。たとえ成り上がりのゴロツキだとしても、ゲロリーを倒すための力になってくれるなら、俺はロンディを隊長として認めるよ」
「おまえがその覚悟なら、俺もこれ以上は言わんが――」
「グルース王子、こちらにおられましたか!」
グルースらの姿を認めた衛兵が、声をかけてきた。「至急、玉座の間へお越しください!」
「何かあったんですか?」
衛兵のただならぬ様子に、グルースは不安になった。
「ゲロリーが率いる軍勢が我が国の領土へ侵攻してきたのです! 現在陛下が家臣たちを集めて御前会議を開き、対応を協議しておられます。グルース王子にも来るようにとのことです!」
―――
プートンは騎士たちに介助をさせ、その巨体を玉座に乗せた。
すでに玉座の間には主だった者たちが集まっている。誰もが深刻な顔をしていた。
「陛下、さっそく始めましょう」
玉座の背もたれに体を預け、ふうっと息をついたところでグレドが言った。
「まだグルース王子が来てないようだけど」
「いなくても構いません。これはウェントリー王国の問題です。それにグルースが何を言うかは、わかりきっています。『義勇軍はウェントリー王国と共にゲロリーと戦う』と主張するでしょう」
(きっとそう言うでしょうね)
グルースにとっては、ゲロリーがウェントリーに攻めてきたことは好都合なのである。ウェントリー王国軍がゲロリーと戦うことになるからだ。
「で、あなたはそれに反対なのね?」
「当然です。我が国にはグルースのために戦う義理はありません。戦いたいなら義勇軍だけで勝手に戦えばよいのです」
「それでも、敵はウェントリー領内に攻めこんできたんだから、そうも言ってられないでしょ」
「残念ながら、そのとおりですな」
グレドは苦々しげに言った。普段冷静な男も、さすがに余裕がなさそうだ。
「グルースを捕えて、その身柄をゲロリーに送りつけてやればどうでしょうか? そうすれば軍を引き揚げるのでは?」
そう発言したのは、この国の諸侯の一人であるローウェン公だ。たまたま王都に滞在していたので、この御前会議に参加している。
「そんなことをしたら、義勇軍が暴れ出すわよ」
「所詮奴らは雑兵の群れです。死者の軍団を相手にするよりはマシでしょう」
「ローウェン公よ、それはゲロリーに屈服するということだぞ」
厳しい声でそう問いつめたのは、プートンの弟であり、王太子でもあるランティクル・ランスターだ。
年齢は三十五歳。兄とは違い、その体は筋肉に覆われ、固く引き締まっている。
目元が涼やかな美男子で、口ひげがトレードマークだ。プートンの弟とは信じられないほどの立派な外見である。
幼いころから柔弱だったプートンに対し、ランスターは強健な体に剛毅な性格、そして英明な頭脳によって人々の期待を集めていた。
誰もがランスターの方が王にふさわしいと思ったが、プートンが兄である以上は、継承順位をまげることはできない。
多くの者はランスターに期待し、こう思っていた。
「プートン王はあの太り方ではきっと長生きはできない。彼は所詮、弟が即位するまでのつなぎに過ぎない」と。
「ランスター殿下、私とてゲロリーに屈するのは悔しいですが、戦争を避けるためには仕方がありません」
「これは意外なことを言われるものだ。我々が国民の税金で軍隊をつくりあげたのは何のためだ? このようなときに国を守らずして、国家の義務が果たせようか。我が国にも強力な軍があることを、狂王に教えてやるべきだ」
(ランスターならそう言うとは思ってたけど……)
プートンは戦争はしたくない。なんとか話し合いで解決できないかと思っている。
「ランスター。いくら勇ましいことを言っても、負けたらどうなるかわかってるでしょ? ゲロリーのことだから、きっと余を残酷なやり方で殺すわ。『ハッハッハッ、豚の丸焼きだ』とか言いながら、余を直火で焼き殺すかもしれないわね」
「あの狂王が、そんなひねりのない殺し方をするでしょうか?」
グレドが口をはさんだ。「奴は死を芸術だとかぬかしておるそうですが、豚の丸焼きでは芸術には程遠いですな」
(なんで余は、こんな奴を宰相に任命しちゃったのかしら)
「お黙りっ! あなただってただじゃすまないわよ! 余はローウェン公の言うとおりだと思うわ。グルース王子には申し訳ないけど、こうなったからには彼を引き渡すしか――」
「兄上、いまさらグルース王子を引き渡したところで、ゲロリーが軍を引き揚げることはありません」
ランスターが断言した。
「なんでそう思うの?」
「考えてみてください。グルースの引き渡し要求に対し、我々はまだ正式な回答をしていません。また、王都に義勇軍が結成されてから、まだひと月も経っておりません。
それなのにゲロリーは諸侯を召集し、軍備を整え、用意万端で攻めてきているのです。あまりにも動きが早すぎます。
これは初めから、我が国を侵略しようと計画していたとしか考えられません。グルースや義勇軍のことなど口実に過ぎないのでしょう。奴が本当に欲しがっているのは、ウェントリー王国なのです」
他の家臣たちも、その言葉にうなずいている。
(さすがランスターね、見事な説得力だわ)
「でもね、なんとか話し合いで解決できるなら――」
「兄上、もはや話し合いで解決できる状況ではありません。さっきローウェン公は『戦争を避けるため』などと言っていましたが、甘すぎる考えと言わざるを得ません。
すでに戦いは始まっているのです! ドルガ将軍と一千人以上の兵士が、オルダ王国軍の攻撃を受けて戦死しているのです!
彼らの仇を取らねば、国としての威信を保てません。兄上は死んだ英霊やその遺族に対し『自分が死ぬのが怖いから戦わずに降伏する』などと言えるのですか?」
ぐうの音も出ない正論である。
「だ、だけど敵には死者の軍団がいるのよ。生ける屍は斬っても突いても死なないし、痛みや恐怖を感じることもない。そんな奴ら相手にどうやって戦うの?」
「生ける屍は決して無敵ではありません。火が弱点であることが判明しています。体を焼かれれば灰になって消滅するのです」
「確かにそうらしいけど……」
「兄上、私はすでに軍に対し、戦いの準備をするよう指示を出しました」
「え!? ちょ、ちょっと、余は聞いてないわよ」
「お許しください。兄上にお伝えするひまがありませんでした。ですが兵は神速を尊びます。会議の結果を待っていては遅すぎるのです。
兄上、すぐに諸侯に対し、軍を率いて参集するように命令を出してください。傭兵も集められるだけ集めましょう。そして、私を総司令官に任命してください。必ずやオルダ王国軍を撃破し、ゲロリーを討ちとって見せましょう!」
ランスターの堂々とした物言いに、一同は頼もしさを感じた。もはや場の雰囲気は、はっきりと戦争に傾いていた。
(こうなったら、ランスターに任せるしかないのかしら)
プートンは幼いころから、この何をやらせても完璧にこなす弟を信頼している。総司令官が務まるとすれば、彼しかいないだろう。
プートンは覚悟を決めた。
「わかったわ、ランスター。余は国王として、あなたに命じます。ウェントリー王国軍の総司令官として、オルダ王国軍を撃退しなさい!」
「はっ、お任せください!」
ランスターは敬礼し、力強く答えた。
「申し上げます! グルース殿下をお連れしました!」
その時、衛兵に案内されてグルースたち四人が玉座の間に姿を現した。
(今ごろ来たって遅いわよ。もう結論はでちゃったんだから)
「グルース王子、当然あなたと義勇軍にも戦ってもらうわよ。覚悟を決めなさい」
「えっ? えっ?」
とまどうグルースをよそに、義勇軍もウェントリー王国と共に戦うことが決定した。
オルダ王国とウェントリー王国の間で、ついに本格的な戦争が始まったのである。




