260.政人とグルース
グルース、ブルダウン、ルイザ、チャロの四人は役人に案内され、王城の奥へと歩いて行った。
「なあグルース、やっぱり面会は明日でもよかったんじゃねえか? 俺たちはついさっき王都に着いたばかりだぜ? 今日は宿屋に泊まって身だしなみを整えてから会った方が、印象がよくなるかもしれねえぞ」
ブルダウンが小声で話しかけてきた。確かに夜の九時の訪問は非常識かもしれない。
「今さら言っても仕方ないだろ。それに明日まで待ってなんていられないよ。一日でも早くゲロリーを倒さないと」
「そんなに焦っても仕方ないと思うがな」
もちろんブルダウンはグルースが焦っている理由を理解している。
父のアルダンだけではなく、母のラレンタや姉のアーシャまでが殺されたことを知り、大きなショックを受けたからだ。それ以来グルースはゲロリーを憎むあまり、心の余裕を失っている。
(ゲロリーを倒すことが俺の使命だ。そのためなら何を犠牲にしてでも――)
グルースの左手の拳が、柔らかいもので包まれた。
隣にルイザがいた。グルースの左手はルイザの右手に握られていた。
「どうかお一人だけで苦しまないでください。私も殿下と同じ気持ちです」
ルイザの父親のジェルダンは、ゲロリーによって火刑に処されている。
(ルイザ……)
ルイザの温かい手から彼女の思いが伝わってくる。堅く握られていたグルースの手が、徐々に開いていった。
「ありがとう、ルイザ。君が隣にいるから、俺は自分を見失わずにいられるんだ」
グルースはルイザの手を握り返した。
彼らの間には、主君と騎士という関係にとどまらない信頼関係があった。
一同は昇降機で五階に移動し、さらに奥へと進んだ。突き当たりに大きな扉があり、そこが貴賓室だった。
「部屋に入る前に、武器を預からせていただきます」
ここまで案内してくれた役人が、グルースたちに告げた。ルイザが反論する。
「グルース殿下はオルダ王国の王子です。王族は公式な会見の場でも帯剣が許されるはずです」
「オルダ王国ではそうなのかもしれませんが、ここでは我が国の規則に従っていただきます」
「しかし――」
「ルイザ、言うとおりにしよう」
グルースはそう言って、自分の剣を近くにいた兵士に差し出した。
(ここで相手を怒らせるわけにはいかない。なんとしてもガロリオン王国の力を貸してもらわないといけないんだ。俺たちはそのためにここまで来たんだから)
グルースたちが王都ダルジアンを脱出してから、すでに半年以上が過ぎている。
脱出後に山に逃げ込めたのはよかったが、道に迷って山中をさまようことになってしまった。
しかし幸運にも、山奥の小さな村にたどり着くことができた。さらに良かったことに、その村はアルダンを支持する者たちが住む村だった。
村人たちはグルースを正当な王位継承者とみなし、追っ手からかくまってくれたのだ。
ゲロリーはグルースを捕えた者には多額の報奨金を出すと布告を出し、さらに大勢の兵士を動員して国内を探索させていた。村人たちがかくまってくれなければ、間違いなく捕まっていただろう。
やがてガロリオン王国がローゼンヌ王国に勝利したという情報を得たグルースたちは、ガロリオン王国を頼ることに決めた。
それからさらに数ヶ月におよぶ潜伏期間を経た後、ついに国境の警備の隙をついて、ガロリオン王国に入国することに成功したのである。
四人は武器を預けると、貴賓室に入った。
まず前面の壁が一面ガラス張りになっているのに驚く。
そこからはヴィンスレイジアの城下を見下ろすことができる。夜なのにあちこちで明かりが灯され、人々が出歩いている光景が眺められた。そのにぎやかさと治安の良さは、ダルジアンとは比ぶべくもない。
グルースたちは四人掛けのソファに座り、クオンと政人が来るのを待つことになった。
「趣味のいい部屋ですね」
ルイザが部屋を見回して感心したように言った。
天井からはランプが吊るされ、貴賓室は優しい光で満たされている。家具や調度はどれも落ち着いたデザインで、どこかで香を焚いているのか、ほんのりといい香りがただよっている。
「玉座の間で謁見するんだと思ってた」
チャロがボソッとつぶやいた。
(確かに、父上が誰かと会うときは玉座の間を使っていたな)
高い位置の玉座に座って相手を見下ろすことで、王の権威を示そうとしていたのだ。
「ま、同じ目の高さで話す方が話しやすいのは間違いねえな」
ブルダウンも満足そうに部屋を見回している。
(なるほど、見せかけの権威よりも実利を重視ってことか。話に聞いていた通り、マサト殿は合理的な性格らしいな)
それからしばらく待っていると、クオンと政人、そしてタロウがやってきた。親衛隊の隊員も四人引き連れている。
「遅い時間にもかかわらず面会を許可して頂き、ありがとうございます。俺はオルダ王国国王ダーガー・アルダンの息子で、グルースといいます」
グルースたちは立ち上がり、一人ずつ挨拶をしていった。
「国王のヴィンスレイジ・クオンです。ようこそガロリオン王国へ。皆さんの訪問を歓迎します」
クオンは燃えるような赤い髪が印象的な美少年だ。表情や話し方に愛嬌があり、初対面のグルースにも親近感を抱かせた。
「摂政のフジイ・マサトです。どうぞ楽にしてください。おおよその事情は聞いています」
それに対して政人は威圧感がある。その鋭い目つきで見つめられると、こちらの考えを全て見透かされているような気がした。
(どこかゲロリーに似た雰囲気もあるな)
グルースはすぐにその考えを打ち消した。あんな悪魔のような男に似ているなんて、失礼なことを考えてはいけない。
「この部屋に入る前に、武器は預けるように言われていたはずですが」
タロウは挨拶もそこそこに、険しい目付きでそんなことを言った。
「ああ。言われた通り、武器は預けたけど」
相手の意図がわからないままグルースがそう答えると、タロウはチャロを指差した。
「そのイヌビトの女の子から鋼と火薬の臭いがします。ケープの下に武器を隠し持っていますね?」
そう言われて思い出した。チャロは服の下に大量の武器を隠している。
「嘘。そんな臭いがわかるはずがない」
チャロは信じられないという顔をしているが、政人はタロウの言葉を疑わなかった。
「タロウの嗅覚はイヌビトの中でも別格なんだ。武器を持っているなら出しなさい」
(しまったな。チャロの武器のことを忘れてた)
チャロは不本意そうな表情で服の下に手を突っ込むと、隠し持っていた武器を取り出し始めた。
驚くほど大量の武器が出てきた。様々な形状の刃物、ビンに入った薬品、火薬玉など、チャロの自慢の隠し武器がテーブルの上に所狭しと並べられた。
「よくそんなにたくさんの武器を身につけて動けるもんだね」
クオンが本気で感心したように言った。その声はどこか楽しそうでもある。
「武器は全て預けるように言われていたはずだ。バレなければかまわないと思ったのか?」
それに対し政人の声は厳しかった。ルールを破ったのだから当然だろう。
「武器はグルース様を守るためのもの。あなたたちを攻撃する意図はなかった」
チャロの言葉を聞いたタロウは、いぶかしげな表情になった。おかしな生き物を見るような目で、チャロを見つめている。
「ちょっと黙ってろ、チャロ」
ブルダウンはチャロをたしなめると、深々と頭を下げた。「こちらの不注意で、信頼を裏切ることをしてしまいました。すいませんでした」
「ペットの不始末は飼い主である俺の責任です。すいませんでした」
「申し訳ありませんでした」
「ごめんなさい」
グルースとルイザも頭を下げた。チャロも素直に謝った。
政人はやれやれといった様子で、ため息をついている。
「まあ、いいだろう。君たちに悪意がなかったのは理解した」
「はい、申し訳ありません」
(まずいな……。いきなり相手の心証を悪くしてしまったぞ)
会談は、最悪の始まり方をしてしまった。
―――
政人はまず、グルースたちの話を聞くことにした。
内戦の経過やゲロリーの非道さなどについて、四人は時々語り手を変えながら話していった。
特に興味深かったのは、生ける屍と呼ばれる存在の話だった。
(まるでゾンビ映画のようだな)
生ける屍の情報はズウ王国のランラン氏からも聞いていたが、実際にその目で見た者の話には臨場感があった。死者を操るとは、確かにおぞましい力と言える。
「父も母も姉も、ゲロリーにむごたらしく殺されてしまいました。あの男は人の皮をかぶった悪魔です! 俺は絶対に許すつもりはありません!」
グルースの声は怒りに震えていた。ゲロリーの所業については諜報によって知っていたが、改めてグルースの口からその話を聞くと、彼の怒りと悲しみに共感したくなる。
「ひどい……」
クオンの顔色は蒼白になっていた。グルースの境遇を自分の身に置き換えて悲しんでいるのだろう。
「グルース殿、あなたの大切な家族が殺されたことに対し、心からお悔やみ申し上げます」
政人は沈痛な表情で言った。「俺もゲロリー王のやったことに対しては、嫌悪を感じます」
「クオン陛下やマサト殿下が同じ気持ちでいてくれて、よかったです」
グルースは政人たちの言葉に安堵したようだ。「それでは俺たちを助けてください」
「助ける、というと?」
「まず、俺たちの亡命を認めてください。もうオルダ王国には居場所がないんです」
「なるほど、亡命ですか」
「そして、ゲロリーを倒すために力を貸してください。残念ながら俺たちには力がありません。ガロリオン王国の強力な軍で、オルダ王国に攻め入ってほしいんです」
「ゲロリーの圧政の下で、オルダ王国の国民は悲惨な目に遭っているでしょう。彼らを助けるためにも、どうか協力してください」
ルイザも続けた。
「もちろん俺たちも、ガロリオン王国軍と共に戦います」
ブルダウンも必死に言葉を継ぐ。「オルダ王国内にはゲロリーに不満を抱く者たちが大勢います。グルースが立ちあがれば、共に戦ってくれるはずです」
「グルース様がゲロリーに代わって王位につくべき。どうか助けてほしい」
チャロも真剣な表情でそう言って、頭を下げた。
「うん。なんとか力を貸してあげたいと思うけど……」
クオンは政人に顔を向けた。彼らを助けてやりたいと思っているのが顔に出ている。
困っている者には手を差し伸べずにいられないのがクオンの長所であり、短所でもあった。
(だからこそ、俺という摂政がいる意味があるんだろうな)
「残念ながら、ガロリオン王国軍を動かすことはできない。そしてゲロリー王を倒すために、いかなる協力をするつもりもない」
政人がきっぱりと告げると、グルースたちは唖然とした表情になった。
「そんな……俺たちに同情してくれたんじゃないんですか? ゲロリーを許せないと思ってくれたんじゃないんですか?」
「もちろん君たちには同情するし、ゲロリー王の行為はひどいと思う。だが、そんな感情的な理由でオルダ王国と戦争をするわけにはいかない」
「オルダ王国に住む人々は、ゲロリーの支配によって苦しんでるんですよ」
「どれほど苦しんでいるかは知らないが、戦争になればさらに苦しむことになるだろう」
「それは……」
「それに俺はガロリオン王国の摂政であって、オルダ王国の内政に口を出す資格はない。オルダ王国の民を助けるなんて理由で攻め込むことは、不当な侵略行為でしかない」
「オルダ王国を攻める大義名分ならあります」
ルイザが言った。「グルース殿下は先王のアルダン様が正当な王位継承者として認めた方です。そのグルース殿下を擁して攻め込むならば、不当な侵略などと言う者はいません」
(ゲロリーは言うだろうな)
「戦争となれば当然こちらにも犠牲が出る。敵は死者の軍団という強力な戦力を抱えているのだから、なおさらだ。俺が守る義務を負っているのはガロリオン王国の国民であって、グルース殿を助ける義理はない。グルース殿を王位につけるために、自国の民を危険にさらすわけにはいかない」
政人の言葉を聞き、クオンもつらそうに顔を伏せた。彼も政人の言葉が正しいことがわかっているのだ。
「ごめん、僕たちは再び戦争をするわけにはいかないんだ」
クオンは申し訳なさそうに言った。「でも、せめてあなたたちの亡命は受け入れたいと思う。この国にいればオルダ王国の追っ手も手が出せない。しばらくこの城でゆっくりと――」
「いけません、陛下」
政人はクオンの言葉をさえぎった。
そしてグルースたちに向かって、厳しい声で言い放つ。
「君たちの亡命を認めるわけにはいかない。すぐにこの国を出て行ってくれ」




