253.『狂王』ダーガー・ゲロリー
残酷な表現があります。
王太子ゲロリーが国王アルダンに反旗をひるがえすことで始まったオルダ王国の内戦は、ゲロリーの勝利によって幕を閉じた。
敗れたアルダンは捕らえられて強制的に退位させられ、ゲロリーは二十歳の若さで新王に即位した。
内戦の傷跡は深い。国王派と王太子派に分かれて争った人々の間では遺恨が残っており、人心は著しく荒廃している。
国土も戦火によって大きな被害を受けた。
王都ダルジアンでは、ゲロリーが放った火によって多くの建物が焼失した。
王都の中心部にそびえたつ王城も一部が焼失し、その外壁は投石器の攻撃によって、いたるところが崩れている。かつての壮麗さは見る影もない。
ゲロリーは王城の修復を諦め、別の場所に新たな居城を築くことにした。
これまでの王城は廃城となり、今はもう住む者はいない。
ただ一人を除いては――。
ゲロリーは親衛隊の兵士を四人引き連れ、かつての王城を訪れた。
そして城の最奥部にある玉座の間に入った。内部は瓦礫が散乱し、床のいたるところに血痕が残っている。
かつては千人を超える家臣たちが立ち並んで王に拝謁した大広間だが、今はジメジメした空気と寒々しい静寂に満ちている。
正面の壁にはダーガー王家の『白骨化したドラゴン』の家紋が描かれたタペストリーが掛けられており、その前に黄金の玉座が設置してある。
その玉座に、先王アルダンが座っていた。
いや、座らされていると言ったほうがいいだろう。両手両足と胴体は、鎖によって玉座に縛り付けられているのだ。
アルダンの体はやせ細り、その顔には生気がない。ひげは伸び放題で頬はこけ、目は焦点が合っていない。かつて『豪胆王』と呼ばれた男の面影はどこにもなかった。
それもそのはず、彼には食事が与えられていないのだ。ゲロリーはアルダンをすぐに処刑することはせず、餓死させることにしたのである。
絶食状態になってから、今日で二十一日目になる。
ゲロリーは毎日欠かさず、父親の様子を確認するためにここに来ていた。
「父上、まだ生きているか?」
ゲロリーは玉座に歩み寄ると、アルダンに声をかけた。
するとアルダンの目は、はっきりと息子の姿をとらえた。しかしそれだけで、何も答えようとはしない。答える気力もないようだ。
ゲロリーは立ったまま、そんな父親を見下ろしている。
その身長は二メートルに近いが、肉付きは少なくほっそりとしている。上着は深紅のシルク、ズボンと長靴は漆黒。上着の上からくすんだ緑色のマントをまとい、鉄の金具で留めている。
毛質のこわそうな真っ黒な髪が肩のあたりまで伸びている。額は広く、目は薄紅色の瞳のまわりを白い部分が取り囲む四白眼。
ヒゲはきれいに剃られている。アゴはがっしりと張っていて、いかにも気が強そうだ。
顔つきは険しいが、口元にはうっすらと微笑が浮かんでいる。
「おやおや、そんな恨みがましい目で見ないでくれよ。あんたはずっとそこに座り続けていたかったんだろう? 望みをかなえてやったんだから、感謝してほしいもんだがな」
「…………」
かつての王は何も答えない。
「水を飲ませてやれ」
「はっ」
ゲロリーに命じられ、兵士がアルダンに水差しの口をくわえさせた。そして少しずつ水差しをかたむける。
するとぐったりしていたアルダンは、ゴクゴクと喉を鳴らして水を飲み始めた。
「水を飲むことを拒否していれば、今ごろは楽になれていただろうに」
ゲロリーはさげすむように言った。「飢えには耐えられても、渇きには耐えられんか。そのせいで苦痛が長引くというのにな」
水を飲ませ終わると、今度は兵士たちによっておむつの交換が行われた。
ゲロリーは悪臭を避けるために玉座を離れた。もっとも何も食べていないので、とうに便は出なくなっているが。
アルダンはこの屈辱的な行為に、初めの頃は激しく抵抗していた。しかし日が経つうちに諦めたのか、今はなされるがままになっている。
おむつの交換が終わると、ゲロリーは玉座の前にイーゼルとキャンバスを立て、アルダンの姿をスケッチし始めた。
絵画は彼の趣味である。父親が日々弱っていく様子をスケッチするのが、彼の毎日の楽しみだった。
このスケッチはアルダンが死んだ後も続け、死体が日々腐乱していく様子も描こうと思っている。彼の目下の懸念は、死体が放つ腐臭にどうやって耐えるかということだった。
この一連のスケッチには『永遠の王』という画題をつける予定だ。
「実の父親に対し、なぜそんなひどい殺し方をするのか」と人に問われると、彼は笑ってこう答えた。
「誰にとっても、父親を殺す機会は一生に一度きりだ。ならば楽しまなくてはな」
そしてゲロリーには、『狂王』という異名がつけられた。
「ああ、そうだ。忘れていたよ。今日は父上に見せたいものがあるんだった」
ゲロリーは筆をおいて言った。「母上とアーシャの最期を描いた絵がようやく完成したので、持ってきてやったぞ」
ゲロリーの母親である王妃ラレンタは、夫のアルダンに味方したために殺されている。
ゲロリーの妹のアーシャはまだ十八歳だったが、やはり殺されている。
彼女は有力諸侯であるホーンハイド公の公子に嫁いでいた。
ホーンハイド公は内戦の当初は中立を保っていたが、アーシャは義父に対し、アルダンに味方するよう懇願した。
そしてホーンハイド公はゲロリーと戦うことを決断した。しかし敗北し、一族が皆殺しにされた。
「父上に俺が描いた絵を見せてやれ」
ゲロリーの命令を受け、兵士たちはアルダンの前に二台のイーゼルを並べ、それぞれに絵を載せた。
その絵はスケッチではなく、彩色された油彩画だ。ゲロリーが母親と妹の処刑の様子を描いたものである。
二枚の絵を見たアルダンは、驚愕に目を見開いた。
「オオオオオオ!!」
すると先ほどまでの衰弱が嘘のように、悲哀のこもった叫び声をあげた。
「おお父上、ようやく声を聞かせてくれたな。そんなにその絵が気に入ったのか?」
「この、狂人め……!」
アルダンの向かって右側にある絵は、彼の妻であるラレンタの処刑後の姿を描いたものだ。
その死に顔は両目ともが大きく見開かれ、口からは舌が飛び出し、土気色の肌は血と粘液にまみれている。
それでも生前の美貌はいくらか残っており、その妖しさは見る者の心をざわつかせる。
しかしそんなことよりも、この絵が奇妙なのは首から下の部分だ。
その体はヘビだった。胴体は五メートルはありそうに見える。
頭部が人間の女で下半身がヘビという、異形の怪物の姿が描かれているのだ。まるでファンタジー世界の幻獣か、迷宮に生息する魔物のようだ。
「まず母上を裸にし、ロープで体を縛って動けなくした。そして腹をすかせた大蛇に足から飲み込ませた」
ゲロリーが得意気な顔で説明する。
「全てを飲み込むと、大蛇の胴体は人間の形にふくらんだ。そこで大蛇の頭を斬り落とし、母上の頭を引っ張り出した。すると人間の頭と、ヘビの体を持つ怪物が誕生するというわけだ。なかなか面白い趣向だろう? 俺はこの絵に『蛇女』という画題をつけた」
こんな死体を作り出すという発想は、狂人の頭からしか生まれないだろう。
「なぜだ……? なぜ、そんな殺し方をする必要があった……?」
「俺を生んでくれた母上には感謝しかない。だから美しい殺し方をすることによって、――そう、死を芸術へと昇華させることによって、報いようと考えた」
「美しい殺し方だと……? 馬鹿な……」
芸術などと言われてもアルダンには理解できないが、ゲロリーの描く写実性の高い絵には狂気がこもっており、見る者の心を動かす迫力はあった。
「この状態の母上と言葉を交わすことができれば面白いと思っていたんだが、残念ながら頭を飲み込まれてすぐに、ショック死したようだ」
アルダンは息子の言葉を聞いておられず、耳をふさぎたかった。しかし両手が鎖でしばりつけられているので、どうしようもない。
アルダンはラレンタの絵から目をそらした。すると、もう一枚の絵が目に入った。
そちらの絵は、一見すると蛇女の絵に比べてまともに見える。
アーシャとその夫が、互いに相手の体に抱きついて立ちながら、深い口づけを交わしている絵だ。
が、よく見るとやはりおかしい。
両者の体はあまりにも密着しすぎて苦しそうだ。二人の頭と体はロープでぐるぐると縛られており、抱き合った状態で身動きが取れなくされているのだ。
さらに二人とも鼻栓をつけられており、口でしか呼吸ができないようになっていた。そしてその口は、相手の口でふさがれている。
「その絵には『愛の呼吸』という画題をつけた」
ゲロリーは解説する。
「アーシャも義弟も、口から相手の呼気を吸って呼吸するしかない状態だった。
初めのうちは二人とも、まさに呼吸を合わせていた。相手の吸うタイミングで自分が息を吐き、相手が息を吐いたタイミングでその息を吸っていた。
俺は若い夫婦の仲むつまじさを見せつけられたよ。その絵はその時の二人を描いたものだ。美しい愛の光景だろう?
しかし言うまでもなく、いつまでも他人の呼気を吸ってはいられない。じきに酸欠状態になる。
やがて呼吸が乱れた二人はパニックに陥り、愛する伴侶の体を引き離そうともがき出した。それまでの仲の良さが嘘のようにな。
その様子があまりにも滑稽で、笑いが止まらなかったよ。
この処刑方法を思いついた俺は天才だと思わないか?」
「おお……アーシャ……私のアーシャ……」
愛娘の悲惨な最期を知って嘆く父親に対し、ゲロリーは続ける。
「最上の処刑方法は、より大きな苦痛を与えて殺すこと。かつての俺はそう考え、様々な残酷な殺し方を考案した。
しかし歴史をたどってみれば、どんな残酷な処刑方法も過去に誰かがやっているんだ。まったく、歴史を学ぶことは人間の残酷さを学ぶことだと言っていいな。
俺は他人の真似はしたくない。先人たちの業績に対して敬意を表しつつも、俺だけが考え得る殺し方はないだろうかと悩んだ。
そして行き着いたのが『美』だ。処刑という陰惨なものを芸術の域にまで高めることが、権力者が持つべき崇高な理念だと考えた。
そこいらの凡愚な連中はともかく、母上やアーシャのような俺にとって特別な人間には、より美しい死をプレゼントしようと思ったんだ」
「この悪魔め……。貴様は人間ではない……」
「おや、ひどい言い方をするじゃないか。実の息子に対して」
「貴様のような狂人が、私の息子であるものか……! 貴様の治世も長くはないぞ……グルースが大勢の味方を引き連れて戻ってくれば、貴様など……」
「くだらん。あんなガキに何ができるもんか」
グルースはゲロリーの十七歳になる弟だ。
ゲロリーが反乱を起こしたのは、アルダンがゲロリーを廃太子させ、グルースを王太子にしようとしたことに端を発する。
グルースは父親と共にゲロリーと戦って敗れたが、王都ダルジアンの陥落時に脱出することに成功し、今は行方がわからなくなっている。
「グルースはまだ若いが……正統な王位継承権を持っている。心ある者たちはグルースを旗頭として……貴様に反乱を起こすに違いない……」
アルダンは衰えた体で、懸命に言葉をしぼり出した。「……グルースは隣国に助けを求めるかもしれん。もしもガロリオン王国の助力を得ることができれば……大きな力を得ることになろう。あの国はローゼンヌ王国に勝利し……勢いがあるからな……」
「ハッハッハッ!」
ゲロリーは、おかしくてたまらないというように笑い声をあげた、「誰が相手だろうと、俺の死者の軍団に勝てるわけがないだろう」
そう言われてアルダンは、顔をゆがめて黙り込んだ。死者の軍団の恐ろしさは、彼が誰よりも身にしみて知っていた。
「逆に、こちらからガロリオン王国に攻め込んでやってもいいな。強い相手と戦うのは望むところだ。
いや、神聖国メイブランドを攻めた方が面白いかもしれん。『神聖女王』などと呼ばれてふんぞり返っている女の顔が、恐怖にゆがむのを見てみたいもんだ。
それともウェントリー王国の豚どもを追い回してみようか。あの国にはうまい酒と食い物があるから、それだけでも手に入れる価値がある」
アルダンは生気が抜けた様子でぐったりとしている。もう言い返す気力がないようだ。
それからゲロリーは黙々とスケッチを続けた。
しばらくして、出来栄えに満足したように一つうなずき、立ち上がった。
「今日の会話はなかなか楽しかったぞ。どうか長生きしてくれよ。俺が長く楽しめるようにな」
アルダンは今すぐに死ねたらいいのにと思った。
「では父上、また明日な。ああ、その絵は置いていくから、じっくりと鑑賞してくれ」
ゲロリーと兵士たちは玉座の間を退出した。
アルダンと、二枚の絵を残して。




