250.適材適所
「ミーナさんをお連れしました」
騎士に案内され、ミーナが貴賓室にやってきた。なぜ自分が呼ばれたのかわからず、とまどっているようだ。
しかしランランのふくよかな体を目にすると、彼女は相好を崩した。
「まあランランさん! またお目にかかれるなんて、こんなに嬉しいことはありません!」
「嬉しいのはアタクシのほうですわ」
ランランはそう言うと椅子から立ち上がり、ミーナに抱きついて頬ずりをした。パンダビトにとって最大級の親愛表現である。
政人はその光景を見て、駐ズウ王国大使にミーナを抜擢するという自分の考えが間違っていないことを確信した。
ミーナは相手がケモノビトであっても、すぐに仲良くなれるのだ。
「ミーナ、これからはいつでもランランさんに会えるぞ」
「どういうこと?」
政人はミーナを席につかせると、ガロリオン王国とズウ王国の間で大使を派遣し合うことになった件を説明した。
「ズウ王国からは、こちらのフーヒンさんが大使として赴任されるそうだ」
「フーヒンです! 両国の友好のため、粉骨砕身がんばります!」
フーヒンは元気よく決意を表明した。さっきもがんばると言っていたが、それは大使としてがんばるという意味だったようだ。
「そして我が国を代表する大使には、ミーナに就いてほしい」
政人がそう言うと、ミーナの表情が曇った。
「大使になるってことは、ずっとズウ王国で暮らすってこと?」
(乗り気にはなれないだろうな。無理もない)
住み慣れた国を離れ、知り合いがほとんどいない異国に赴任するのである。いきなりそんなことを言われても、はいわかりました、とはならないだろう。
「ずっとというわけじゃない。任期は四年だ」
政人はミーナを安心させるように優しく言った。「それにもちろん、君一人で行くわけじゃない。君の部下となる大使館員を数人同行させる。それとロ……いや、バッドマンも連れて行くといい」
ロビン改めバッドマンは、かつてはミーナの忠実な部下だった。いや、今もそうだと言っていい。
たとえ彼の正体がズウ王国の諜報員だったとしても、ミーナに対する好意は嘘ではなかったのだから。
「あいつがいたって何の役にも立たないと思うけど」
しかしミーナの方は、すげなかった。
「そうでもないよ」
今度はクオンが発言した。「コウモリビトであるバッドマンは、伝書コウモリを飼いならすことができるからね。彼がここで育てた伝書コウモリを連れて行けば、僕たちと手紙でやり取りをすることができるんだよ」
伝書コウモリは帰巣本能に従って故郷に帰る習性を持つ。その習性を利用し、足に手紙を結び付けて放すことで、通信手段として使えるのである。
ロビンは以前の会議の席でも語っていたが、王都に来てから伝書コウモリを繁殖させ、育てていた。
「ズウ王国からここに手紙を送ることができるのはわかったけど、ここからズウ王国に手紙を送る手段はあるの? バッドマンが連れてきた伝書コウモリは、もう全部使っちゃったんでしょ?」
「大丈夫ですわよ」
ランランはそう言うと、壁際に座っている外交使節団の随員の一人を手招いた。「バーバラ、こちらにいらっしゃい」
「はい」
二十五歳前後ぐらいの女性が、政人たちのところにやってきた。
「彼女もコウモリビトです。ここで伝書コウモリの世話をさせるために連れてきましたの」
「バーバラといいます。今回の訪問で、ズウ王国の王都ジャングリアからたくさんの伝書コウモリを連れてきました。ジャングリアに手紙を出したいときは、私にお申し付けください」
バーバラは落ち着いた声で請け合った。
この便利な通信手段のおかげで、大使館と本国との間でやり取りができるわけだ。
「バーバラは伝書コウモリの管理はしますが、諜報活動はしませんので安心してくださいね」
「わかりました」
(確かにバーバラはやらないだろうが、その代わりに大使のフーヒンが諜報を担当するんだろうな)
政人はランランの言葉を、そう解釈した。
赴任国の情報を本国に送ることも大使の任務の一つなので、そのことに文句はない。
かつてのロビンのように政府の内部で情報を集められたら問題だが、大使が得られる情報は公開情報だけだ。
ミーナも大使として赴任すれば、諜報を行うことになるだろう。
政人は改めてミーナに向き直り、頭を下げた。
「ミーナ、君以外にこの難しい任務を務められそうな者は思いつかないんだ。どうか大使になってもらえないだろうか? もちろん無理強いはできないが」
ミーナは眉をひそめている。やはり嫌なのかと思ったが、そうではなかった。
「私に対してそんな丁寧な言い方をするのは、マサトさんらしくないわ。普段通りに、冷たい目で見下すように命令すればいいのに」
「おまえは俺のことをなんだと思ってるんだ」
「そうそう、それでいいの。摂政は偉いんだから、偉そうにしていればいいのよ。そのほうがマサトさんらしくてカッコいいと思う。最近のマサトさんは貫禄があって悪くないわ。これなら安心して、この国やクオン君を任せられる気がする」
「ミーナ、それじゃあ――」
「うん」
ミーナは胸に手をあて、うやうやしく頭を下げた。「大使の任、謹んでお受けいたします」
その姿に、政人はミーナの成長を感じ取った。彼女はもう子供ではなかった。
「ありがとう。ミーナならきっとうまくやってくれると信じている。任期を終える頃には、この国はさらに発展しているだろう」
「うん。四年後なら私はまだ二十一歳か。きっと今よりもずっとイイ女になってるわね。もしマサトさんがルーチェさんに捨てられていたら、私がもらってあげてもいいわよ」
「あのなあ」
貴賓室が笑いに包まれた。
「どうやら、話はまとまったようですわね」
ランランは満足そうだ。「ここでアタクシから、ズウ王国がつかんでいる情報をお教えします。国交を開くことで合意できたら皆さんに教えるよう、オリバークンから言われていますので」
「なんでしょうか?」
政人はランランの話を真剣に聞く態勢になった。あのオリバークンがわざわざ言うからには、重要な情報なのだろう。
「オルダ王国の動きには、注意を怠らないでください」
「オルダ王国ですか?」
オルダ王国はガロリオン王国の北西に位置する国だ。
「以前にミーナさんに話しましたが、あの国では最近、王が交代しましたの」
「はい、ミーナから聞いています。アルダン王とその息子のゲロリーの間で王位をめぐる争いが起き、数年に及ぶ内戦の結果、ゲロリーが勝利しました。今はゲロリーが王になっているそうですね」
「ゲロリーが勝利できたのは、あるおぞましい力を手に入れたことが、その一因のようですの」
「おぞましい力?」
まだ詳細はわからないのですが、と前置きをしてからランランは説明を始めた。
……………………。
説明が終わると、貴賓室は陰鬱な空気に包まれていた。
「これは、戦勝気分に浮かれている場合じゃありませんね」
マッツの言葉は一同の気持ちを代弁していた。
「以前オリバークン殿は、ゲロリーは残虐で好戦的な人物だとおっしゃっていましたね。ガロリオン王国に攻めてくることがあり得るでしょうか?」
ミーナがランランに問いかけた。
「わかりません。ゲロリーの行動はオリバークンでも読めないようです。ゲロリーの異名をご存じですかしら?」
「いえ。もう異名がついているのですか?」
レンガルドでは王に対し、その実績や性格などから異名がつけられることがある。
クオンの『寛容王』や、レガードの『凡庸王』のようなものだ。
誰が名付けているかははっきりしないことが多いが、いつの間にか世間に流布しているのである。
「ええ。彼は即位して間もないですが、人々からこう呼ばれています――」
ランランは、彼女に似合わない深刻な表情を浮かべて一同に告げる。
「『狂王』と」
政人は再びティナの部屋を訪れた。今度はマローリンを連れてきている。
話があると告げるとティナはベッドに腰を下ろし、政人とマローリンは彼女と向かい合うように座った。
「彼女はマトイ・マローリン。マトイ屋という薬屋を営んでいる」
政人はまずマローリンを紹介した。
「薬屋さんですか」
「ああ、だがそれは彼女の表の顔だ。裏の任務としては、諜報を担当してくれている」
「よろしくね、ティナたん。ボクはレンガルドの各地に薬の行商人を派遣し、情報を集めさせているんだ。摂政くんの命令でね」
「ティナたん? 摂政くん?」
「呼び方は気にしないでくれ」
政人はティナに説明する。「君に頼みたい任務は、マローリンの部下としてオルダ王国の内情を探ってくることだ。オルダ王国にはすでに何人も行商人を派遣してある。君もオルダ王国に入国し、彼らと協力して情報を集めてほしい」
「私も行商人になるのでしょうか?」
「いや、大きな薬の箱を背負っていては身軽に動くことができない。行商人は主に市井の人々から情報を集めるが、君には別の手段で情報を集めてほしい」
「別の手段とおっしゃいますと?」
「たとえば王城に使用人として雇われれば、政策についての話を小耳にはさめるかもしれない。資料室に潜入することができれば、機密に関わる文書を読めるかもしれない」
「なるほど、私が得意そうな仕事です」
「言うまでもないことだが、これは危険が伴う仕事だ」
政人は真剣な口調で言った。「無理は絶対にしないでくれ。危ないと思えば、街で情報を集めてくれるだけでいい。知られている情報だけでも充分役に立つんだ」
「優先順位ははっきりさせておいた方がいいね」
マローリンも笑みを消して言う。「まず第一は、君が安全であること。情報は二の次でいい。もちろん、嫌ならこの場で断って――」
「ぜひ、やらせてください!」
ティナはマローリンの言葉をさえぎり、力強く答えた。「私を許してくださったマサト殿下のため、そしてシャラミア様が愛したガロリオン王国のために役立てるなら、これに優る喜びはございません!」
「そうか。しつこいようだが、くれぐれも無理はしないでくれ」
政人は念を押しておいた。
(これでミーナとティナを別々の場所で働かせることになり、適材適所の人事ができたと思うが……)
ミーナはともかく、ティナが気負い過ぎているようなのが、やや不安だった。




