219.イルシュは妄想する
ローゼンヌ王国内では食糧の値段が上がり始め、国民からは不満の声が聞かれるようになった。
レガードは対策を協議するため、群臣を玉座の間に集めた。
「食糧価格の上昇は、王都よりも地方において顕著なようです」
グルフォードが報告する。「ウェントリーからの交易船が来なくなったことが原因でしょう。我が国は食糧の多くをウェントリーに依存していますので、影響は甚大です」
「なぜ来なくなったのだ?」
王の問いにはロンセルが答える。
「考えられるとすれば、ガロリオン王国が海上封鎖をしているか――」
「宰相殿、さすがにそれはないだろう。そんなことをすれば、ガロリオンはウェントリーも敵にまわすことになるぞ」
グルフォードが否定した。たしかにその通りなので、ロンセルも意見を引っ込めた。
まさか、ガロリオン王国海軍が海賊に扮してウェントリーの交易船を襲っているとは、さすがの彼らも考えつかない。
「食糧価格の上昇は、それだけが原因ではないかもしれません。どうも、食糧を買い占めている者がいる気配があります」
ロンセルが意見を述べた。
「戦争中に不当な利益を得ようとしている輩がいるのか」
「そうかもしれませんし、あるいは……。陛下、この件は私にお任せください。必ずや買い占めを行っている者を突き止めてみせます」
「そうか、ではやってみよ」
「はっ」
ロンセルは自信ありげな様子である。
「あの……食糧価格の上昇について、差し当たり何か対策をした方がいいのでは? 目安箱に寄せられる投書でも、厳しい意見が多くなっています」
「そうだな。王家が蓄えている食糧を市場に出そう。それでとりあえずは、これ以上の値段の上昇を抑えられるはずだ」
イルシュの発言に対し、グルフォードが答えた。
「私もそれがよいかと」
ロンセルも賛成した。「ただ、その前にパージェニーの軍に兵糧を送らねばなりません。予定していたよりも戦争が長期に及びそうですから」
「王家には食糧の蓄えがあるのですか?」
「そうだ。先王のグルシウス様は、このような場合に備えて食糧の備蓄を行っておられた。国内の各地の倉庫には、およそ二年分の食糧が備蓄されている」
ロンセルがイルシュにそう説明すると、レガードの顔が青ざめた。
「……ロンセルよ。備蓄食糧はほとんど残っておらん」
「陛下? どういう意味でしょうか?」
「私の即位を記念して、全国民に対して下賜金を配ったが、その財源として備蓄食糧を売ったのだ」
レガードは自分への支持を高めるため、国民に金を配っていた。その金は王室費から賄われているとされていたが、実はそれだけでは足りず、備蓄食糧を売っていたのだ。
当時は戦争など考えられなかったし、飢饉が起きる気配もなかったので、後でまた蓄えておけばよいだろうとレガードは軽く考えていた。
「何という愚かなことを!」
ロンセルは容赦なく王を非難した。「陛下は『備蓄』の意味をわかっておられないのですか! 万が一の場合に備えておくことは統治者の役目です。グルシウス様はそれをよくわかっておられました!」
グルシウスの名前を出されてレガードの顔がゆがんだ。彼は今まで、嫌になるほど父王と比較されてきたのである。
だが、自分に非があるのは明らかなので反論できない。
「宰相殿、口を慎まれよ。陛下に対して無礼であろう」
レガードの代わりに、イルシュがロンセルに言い返した。
「何を言うか! 王に過失があれば、それを諌めるのは臣下の務めだ。貴様こそ、陛下のそば近くにいたのなら、なぜ諌めなかった! 王の機嫌を取るばかりが忠義ではないぞ!」
「な、なんですと!」
玉座の間に険悪な空気が漂った。他の家臣たちはその様子を不安そうにながめている。
「宰相殿、あなたが怒るのはもっともだ」
グルフォードがロンセルに話しかけた。「私も父上が備蓄食糧を売っていたことは知らなかった。あなたは宰相に就任する前だったから知らなくても仕方ないが、私は知らなかったでは済まされない立場だ。私は自分の不明を恥じる」
「グルフォード殿下……」
「だが、あなたも気を付けねばならぬ。言葉というのは、発した本人が意図する以上の効果を発揮することがある。あなたの言葉は鋭すぎるようだ」
「それは」
「あなたの言うことは正論だ。正論に対しては誰も反論できない。だからこそ、言い方に注意する必要がある。せっかく国のためを思って発言したのに、そのせいで反感を買っては惜しい」
ロンセルは自分が言い過ぎたことを悟った。特に、グルシウスと比較するような言い方をしたのはまずかった。
「たしかに、言葉が過ぎたようです」
「よいのだ。私は宰相殿の知恵にはいつも感服している。人情の機微を察することができるようになれば、名宰相として人々から尊敬されることになろう」
「はっ、ありがたきお言葉です」
ロンセルはグルフォードに感謝した。そしてレガードに頭を下げた。
「陛下、無礼な口を利いてしまい、申し訳ございません」
「うむ……」
ここでレガードは、「いや、私が悪かったのだ」などと言って軽く謝っておけばよかった。そうすれば丸く収まっただろう。
だが、心にわだかまりがあったため、それを言えなかった。自分が悪いとわかってはいても、臣下に怒鳴りつけられたことに対して屈辱を感じていたのである。
―――
「ロンセルは王の不興を買ったようですね。これはあっしらにとっちゃ、都合のいい展開です」
ペントスは愉快そうに言った。玉座の間で起きた事件については、王城で働く協力者から情報を得ていた。
マローリンは調剤をしながら、ペントスの報告を聞いている。
「悪いのはどう考えてもレガードなんだけどね。王に対してもビシッとモノを言える人間は、ボクは嫌いじゃないよ。
ただ、ロンセルは頭はいいが敵をつくりやすい性格だね。レガードとは相性が悪そうだ」
「レガードは器が小さいですね。それに比べてグルフォード殿下は王の器です。あの方は父親のレガードよりも、祖父のグルシウス様に似てると言われてますが、あっしも同感です」
「レガードはできの良すぎる息子に嫉妬している、ということはないかな?」
「さあ、レガードの心の中まではわかりません。でも実の親子ですからねえ。世間の評判でも、仲の良い親子と言われています」
「じゃあ、グルフォードに謀略を仕掛けるのは難しいかな」
「そう思います。まずはロンセルから片付けましょう。実は今夜、またイルシュが『王女の隠れ家』に予約を入れてるんですよ。奴もロンセルに罵られてますから、恨みがつのっているはずです。そのことをトルセア王女に愚痴りたいんじゃないでしょうかね?」
ペントスはニヤニヤ笑いながら言った。
「愚痴を聞かされる方は、たまったもんじゃないけどね」
マローリンは、やれやれと言いたげに首を振った。
―――
「あのロンセルと言う奴は、どうしようもなく思い上がっていましてね。陛下や私に対しても無礼な口を利くんですよ。しかも陛下には謝ったのに、私には謝ろうとしません。私をなめているんです!」
ペントスの予想通り、イルシュはトルセアの前でロンセルの悪口を言いまくっていた。
「まったく、なんでこのアタシが、アンタの愚痴を聞かされなきゃならないのよ」
トルセアはそんな憎まれ口をたたきながらも、しっかり話は聞いている様子だ。
彼女は慎重な手つきで、イルシュのグラスにワインをなみなみと注いだ。
ワインは今にも、グラスからこぼれ出しそうになっている。
「入れすぎちゃったわ。アンタ、すすりなさい」
「はいトルセア様、喜んで」
イルシュはグラスに口を近づけ、ズズーッとワインをすすった。
「品のない飲み方ね。まあアンタにはお似合いかしら」
自分がそうしろと言っておいて、ひどい言い草である。
(だが、それがいい)
他の者にこんな無礼なことを言われればイルシュは怒っただろうが、トルセアならば許せた。むしろ喜んでいた。
「それにしても、そのロンセルって奴、噂どおりイヤな奴みたいね」
トルセアも、ロンセルの悪口を言い始めた。
「噂? どんな噂があるのですか?」
「みんな言ってるわよ。ロンセルは自分以外の人間をバカだと思ってるらしいって」
「ああ、それはありそうなことです」
「そんな奴だから、ガロリオンの摂政のマサトと気が合うんでしょうね。マサトも自分の知恵を鼻にかけてるらしいから」
「マサトですって? マサトとロンセルは付き合いがあるのですか?」
「あ、これは言っちゃダメな話だったわ」
トルセアはしまった、と言いたげな様子で口に手を当てた。
まるで、それが機密情報であるかのようだ。たしかに、ロンセルとマサトが知り合いだというのは意外なことである。
「トルセア様。どうか詳しく教えてください。これは重要なことかもしれません」
「はあ……アタシから聞いたって言わないでよ」
トルセアは仕方ない、という様子で話し始めた。「ウチに来るお客さんの中に、ロンセルの屋敷で働いてる人がいるの。その人が言うには、マサトとロンセルの間では、一年以上も手紙のやり取りが続いてるんだって」
「そうなのですか!?」
(一年前のロンセルはただの官僚に過ぎなかったはずだが、マサトと接点があったのだろうか?)
「どんな内容のやり取りをしていたか、わかりますか?」
「そんなことまでわかるわけないでしょ。……ただね、手紙のやり取りは今も続いてるんだって。つい十日ほど前も、マサトからロンセル宛てに手紙が届いたそうよ」
「講和交渉中にですか!?」
「ロンセルはその手紙をニヤニヤしながら読んでたらしいわ」
それが政治的な内容の手紙であれば、王には報告しなければならない。だが、レガードはそんな報告は受けていないはずだ。
この微妙な時期に、敵対する国の宰相と摂政が内密に手紙をやり取りをしているとは、普通ではない。
しかし、二人が知己の間柄だとすれば、わからないことがある。
「ガロリオン王国に戦争を仕掛けることを提案したのはロンセルですよ。マサトと交流があったのなら、なぜそんなことをしたんでしょうか?」
「何か陰謀があるのかもしれないわね。戦争を利用して何かをたくらんでいるのかも」
「どんな陰謀ですか?」
「アタシに聞かれてもわかるわけないでしょ。それが明らかになるのは、きっと戦争が終わってからよ。そのときにロンセルとマサトが大きな利益を得ていれば、二人の陰謀で間違いないわ」
(大きな利益? 二人ともすでに位人臣を極めているのに、これ以上何を望む?)
さすがに、陰謀などという話をすぐに信じることはできない。
とはいえ、イルシュの心に疑念は芽生えた。
「はい、この話はおしまい。ロンセルの話なんかどうでもいいわ。それより――」
トルセアはイルシュの前に置いてあるメロンの皿を指し示した。「アンタ、それ食べないの?」
「え? ああ、私は果物はあまり好きではないので」
「そうなの? 健康のためには食べた方がいいわよ」
「ええ、そうなのですが……」
「仕方ないわね、食べないなら、私にちょうだい」
「どうぞどうぞ」
トルセアはイルシュのメロンの皿を手元に引き寄せた。だが、すぐに食べようとせずに何やら思案している。
「うーん、やっぱりアンタも一口ぐらい食べなさい」
「いえ、お気になさらず」
「何よ、アタシのメロンが食えないって言うの?」
トルセアはスプーンでメロンの果肉をすくいとった。そしてそれをイルシュにつきつける。
「ほら、口を開けなさい」
「ええっ!?」
「早くしなさい!」
イルシュは仕方なく口を開けた。トルセアはそこにスプーンをつっこむ。
「もぐ……うん、おいしいです。トルセア様に食べさせてもらったからでしょうね」
「そう、よかったわ。――ちょっと、口から果汁がたれてるわよ」
トルセアはナプキンを手に取ると、イルシュの口元をぬぐった。
(これは……恥ずかしいな)
普段は高慢なトルセアが時々見せる献身さには、胸が熱くなる。
イルシュに一口食べさせた後、トルセアもメロンを食べ始めた。
「あ、そのスプーン……」
トルセアが使っているのは、さっきイルシュが口にふくんだスプーンである。
「何?」
「いえ、なんでもありません」
「そう?」
トルセアはまったく気にした様子もなく食べている。そのことにイルシュは感動した。
(やはりトルセア様は、私に好意をもってくれている。間違いない。そして私もトルセア様のことを……)
「さっきの話だけど」
トルセアは食べながら話しかけた。「二人がどんな陰謀を企んでいるか、アンタは考える必要があるわよ。政治家は常に最悪の事態を想定しておかなきゃならない、そうでしょ?」
「その通りです、トルセア様」
イルシュはトルセアに対しては素直である。彼は、政人とロンセルの間でどんなやり取りがあったのか、想像をめぐらせた。
疑念は、大きく育とうとしていた。




