184.ローゼンヌ王国は外交方針を変更する
レガードは宮廷詩人イルシュの進言に従い、宰相のゲルジットを更迭した。
そして新しい宰相には、まだ三十五歳のグイラム・ロンセルを抜擢した。ロンセルは王妃リボネアの従姉弟であり、レガードにとって信頼できる男だ。
また、イルシュも政府の一員に加えた。彼のために「政治顧問」という新しい役職までつくっている。
この人事を、政府の高官たちは驚きをもって受け止めた。
ロンセルは有能な官僚として評価されてはいたが、タカ派で好戦的な言動が多く、グルシウスの穏健路線とは合わなかったため、重職には就いていなかった人物だからだ。
イルシュに至っては、レガードの茶坊主に過ぎないと見られていた。
「亡き父グルシウスは、周辺国と友好関係を築くか、あるいは刺激しないことで平和を保っていた。私はその方針を一変する。我が国は経済力、軍事力において優位にあり、他国の顔色をうかがう必要は無いからだ」
レガードがそう宣言すると、玉座の間に集められた二十人以上の高官たちはざわつき始めた。
新王はグルシウスの政治を継続するだろうと、誰もが思っていたのだ。
レガードは「国民の結束を強めるために敵をつくれ」というイルシュの提案を受け入れたのである。そして敵とは他国のことだと考えた。国内に敵をつくっては結束どころか、分断や差別を生むことになるからだ。
ローゼンヌ王国の周辺国は三つある。西に国境を接しているガロリオン王国と、東に接しているスランジウム王国。そして、狭い海で隔てられているだけのズウ王国だ。
「スランジウムには五十年以上前の戦争で敗れている。それ以来、かの国とは国交がないが、そろそろ新たな関係を築く時ではないか?」
敵に一番ふさわしい国はスランジウム王国であろう。五十年以上前の敗戦以来、ほとんど交流がないのだから。
レガードの言葉に、高官たちが再びどよめいた。
「陛下、スランジウムには関わらない方がよいかと。触らぬ神に祟りなしと言いますし」
年老いた高官が怯えたように言った。彼は過去の敗戦を経験しているのである。
グルシウスの父親が王であった時代、些細なことで両国の関係は険悪になり、ローゼンヌはスランジウムの領土に侵攻した。
当時のスランジウムの元首は、まだ百五十二歳だった『長命女王』マッケンスノー・サーレインである。
サーレインは、レンガルドに数人しかいない魔法使いの一人だが、その中でも別格の力を持っていた。
彼女は魔法で洪水を起こし、、ローゼンヌの六万の軍勢を押し流した。
戦いらしい戦いにもならず、王を始め二万人以上の戦死者が出た。
後を継いだグルシウスは、不利な条件で講和条約を結ばざるを得なかった。多額の賠償金を払うことになり、ローゼンヌがこの時のダメージから立ち直るためには長い時間を必要とした。
幸いにもサーレインは領土を広げるという野望は持っておらず、それ以上ローゼンヌに関わろうとはしなかった。
以後、両国の間は緊張関係が続いている。
正確に言えば、緊張しているのはローゼンヌだけで、スランジウムは国境に守備兵を置くことさえしていない。全く相手にされていないのである。
「残念ですが、『長命女王』が生きている間は、下手に刺激しない方がよいでしょう」
(あの魔女が死ぬまで、あと何百年待てばよいのだ?)
軍事力では上のはずなのに、一人の魔法使いを恐れなければならない理不尽さが忌々しい。
「ではズウ王国はどうだ? あの国は鎖国を貫いているが、強い態度で交渉すれば交易関係を結ぶことができるのではないか?」
ズウ王国はケモノビトの国である。彼らは人間を嫌い、また恐れてもいるため、他国と関わろうとはしない。
「陛下、ケモノビトは言葉による交渉には応じないでしょう」
イルシュが答えた。「ですが、剣による交渉なら、効果があるかもしれません」
「なんだと!?」
意外なことを言われ驚く。剣を使った交渉とは、つまりは戦争の事だ。レガードは敵に対して強硬な態度をとるようにという進言は受け入れたが、それは軍事力を背景にして脅すことだと思っていた。戦争をすることまでは考えていなかったのである。
「陛下、私はグルシウス様がやらなかったことをやってこそ評価されると申し上げました。それは何よりも、戦争のことです」
「それは……そうかもしれんが」
ためらう様子の王に対し、新宰相のロンセルが答える。
「陛下、ズウ王国を攻めるのは難しいかと存じます。我らの艦船は、メリゴンド島の周囲を哨戒しているクジラビトに見つかれば、撃沈されるでしょうから」
クジラビトはクジラから人間に進化した種族で、大きな者では身長が十メートルを超える。
彼らは潜水能力に加え、超音波による索敵能力まで備えており、まさに潜水艦のような働きをしている。海上の船からは彼らの姿を視認することができず、無防備な船底から攻撃を受けることになる。
『百獣王』リオンは、クジラビトによる鉄壁の防衛体制を築いているのである。
「そうか、そうだよな」
どこかホッとする様子のレガードだが、ロンセルはメガネを直しながら、さらに続ける。
「戦うなら、ガロリオン王国を相手にするしかありますまい。今なら勝てます。敵の切り札のフジイ・ルーチェは妊娠中であり、戦場に出ることができないからです」
涼しい顔で過激なことを言った。彼は胃腸が弱く、常に顔色が悪いのだが、その言葉は力強い。
彼が只者ではない証拠に、ルーチェが妊娠中であるという情報もつかんでいた。
「だ、だが、戦争を仕掛けるには理由が必要だぞ」
理由などなくとも、領土拡大のために一方的に侵略した例は過去にいくらでもあるのだが、レガードの性格上、大義なき戦争はできれば避けたかった。
「アドレーヌ地方の返還を要求してはどうでしょうか? かの地はかつて我が国の領土だったことがあるため、あり得ない要求でもありません」
アドレーヌ地方は両国の国境付近の土地で、そのほとんどが森林であり、人はあまり住んでいない。現在はガロリオン領だが、ローゼンヌ領だったこともある。
昔から国同士の争いは頻繁に起きており、領土を取ったり取られたりといったことは珍しい事ではなかった。
「そんな一方的な要求を相手が飲むはずはないだろう。あそこはもう、二百年以上もガロリオン領として続いているのだから」
「当然そうでしょう。ですが拒否すれば、それを口実に攻め込むことが可能です」
「そんなことが口実になるのか? 開戦事由としては無理があると思うが」
「開戦事由になるかどうかは、陛下が判断すればよいのです。陛下が断固とした意志を示せば、反対する者はいません。民衆にはガロリオン王国を嫌っている者が多いので、むしろ陛下を支持するでしょう」
隣国に対する民衆の感情は、好意よりも嫌悪が上回ることが多いものである。
だからこそ指導者には冷静な対応が求められるのだが、手っ取り早く民衆の支持を得るためには、あえてその国に対して強硬な態度に出ることが有効であったりもする。
「なるほど……そうかもしれぬな」
レガードもその気になった。
「父上、甘言に惑わされてはいけません! 戦争になれば、国は大きな危険に晒されることになります!」
だが、異議を唱える者がいた。レガードの長男である王太子グルフォードだ。
筋肉質な体で背も高く、周囲の人間をひるませる迫力がある。太い眉と鋭い目つきに、意志の強さが現れている。
「祖父上がガロリオン王の即位記念祭から帰国した後におっしゃった言葉を、父上も聞いていたではありませんか。『摂政のフジイ・マサトは思慮深く、優しい人物だ。そして恐ろしい人物だ。決して敵にまわしてはならない』と」
「そういえば、そうだったな」
グルシウスはガロリオン王国を訪問した際に受けた印象をいろいろと語っていたが、政人については特に強い印象を受けたようだ。
レガードもグルシウスの葬儀の時に顔を合わせたことがある。若さに似合わず落ち着いているとは感じたが、挨拶程度の言葉しか交わさなかったので、それ以上の印象は無い。
「所詮、成り上がりの若僧でしょう。大きな戦争を指揮した経験もないはずです。そこまで恐れる必要もありますまい」
そんなイルシュの言葉に、グルフォードが反論する。
「戦争を経験していないのはこちらも同じだろう、五十年以上平和が続いているのだから。それに対して、ガロリオンはつい最近まで内戦をしていたため、兵士は戦いの経験を積んでいる。我が軍の兵士よりも実戦経験では上だ」
「いえ、我が軍は兵士の質も量もはるかに上回っております。それに秘蔵の戦象部隊もある。有事に備えてグルシウス様が鍛えた軍隊なのです。グルフォード殿下は、グルシウス様が鍛えた軍を、弱いと仰せでありますか?」
「それは……」
グルシウスの名前を出されては反論しにくい。今度はレガードが息子に問いかける。
「グルフォードよ、もし戦わば、我が軍は負けると思うか」
「いえ、そうは思いませんが……」
彼もローゼンヌ軍の強さは疑っていない。「ですが、我が軍が受ける被害も小さくはないでしょう。国の存亡の危機となれば、相手は必死で応戦するでしょうから」
「いや、ガロリオンを滅ぼすまで戦わなくてもよいだろう。ローゼンヌの威を示すことができればよいのだ。そうだな……アドレーヌ地方を奪い返すことができれば、戦果としては充分と言えるのではないかな」
「戦争は相手があってのものですし、勝敗は様々な条件に左右されます。こちらの思惑通りに事が運ぶとは限りません。国民が平和を満喫しているこの時に、なぜ友好国に対して戦争を仕掛ける必要があるのですか」
「それが国益にかなうからです。失うものよりも得るものの方が多いと、私は考えます」
今度はロンセルが答えた。「グルシウス様は平和な時でも、戦いへの備えは常に怠りませんでした。士官学校をつくり、多くの優秀な指揮官を育ててもいます。現在、士官候補生の中にグルシウス様が『ローゼンヌの至宝』と評価し、特に目をかけていた者がいます。その者に全軍を指揮させれば、我らの勝利は確実です」
レガードもその人物については、グルシウスから聞いたことがあった。
「パージェニーのことか? そいつは女だぞ。それに、今はまだ士官学校の学生に過ぎんだろう」
ローゼンヌ王国には女性の兵士はおらず、女性が軍を指揮した例も過去にない。それでも士官学校に入学できたのは、グルシウスが特別に推薦したからだ。
「確かにミランディッシュ・パージェニーはまだ二十歳であり、士官学校を卒業してはいません。
ですが学校教育では秀才は育てられても、天才を育てることはできません。
私は彼女と会って話をしたことがありますが、まさに『戦術の天才』と呼ぶにふさわしい人物だと判断しました。これ以上、士官学校で学ぶことはありません。
また、年齢や性別よりも能力で評価すべきと考えます。
彼女をすぐに卒業させ、元帥に任命し、この戦争の指揮を執らせることを具申致します」
ロンセルの言葉に、玉座の間に集まった高官たちは呆気にとられた。
「元帥」はローゼンヌ王国における軍人の最高職であり、有事の際にのみ置かれる。王に代わって全軍を指揮する権限を与えられる。
そんな重大な役職に、軍務経験のない二十歳の女を任命しようと言うのだ。
誰が聞いても無茶な話に思えた。
(この男、本気か?)
レガード自身は戦場に出るつもりはないので、誰かを元帥に任命する必要はあるのだが、パージェニーにそんな大役が務まるとは信じられなかった。
「少し、考えさせてくれ」
レガードはそう言うと玉座から立ち上がり、自室に引き取った。




