174.クオンとミーナの帰還
クオンとミーナを乗せた馬車が、王都の北側の街門から入ってきた。馬車の周囲を護衛の騎士たちが取り囲み、その後ろには多くの兵士や家来たちを引き連れている。
一年ぶりの、王の帰還である。
街路を行進する彼らを、人々は歓呼の声で迎えている。
出迎えに出た政人たちは、城門の前で待機しながら、その様子を眺めている。
「ずいぶん大人気だな、気に入らん」
キモータがメガネの位置を直しながらつぶやいた。
タロウが不思議そうな顔をする。
「王が民衆から愛されるのはよいことではないですか?」
「もちろんクオン陛下の人気が高いのは結構なことだ。問題は、ミーナごときがそれに劣らないほどの声援を受けていることだ。まったく、無知な大衆はどうしようもないな」
キモータは、その様子をいまいましげにながめながら、さらなる暴言を言い放つ。
「あいつらは脳みその使い方を教わることなく育ったから、あの王妃気取りの女が自分たちにとって害をなすかもしれないとは、考えることができないのだ」
「ミーナは、この国に害をなそうとしているのでしょうか?」
タロウは、ミーナが政人を裏切ったとは、まだ信じられない思いでいる。
彼女をクロアの町の焼け跡の中から助け出した時、政人にすがるように抱きついていたのを見ているのだ。
「いや、本人は良かれと思ってやっているつもりなのだろう。
諸侯を敵視しているのも、王の力を強めることで強力な体制を作り上げ、他国から攻められないようにするためだそうだからな。
だが、理想だけで現実を見ていない。諸侯だって自分たちの権利が脅かされれば、黙ってやられはしないぞ。
国内で対立が生まれれば、それこそ他国につけこまれる」
「キモータの言う通りであるな」
ハナコが感心したように言った。今はキモータの仕事ぶりを認めているため、もう変態男と呼ぶのはやめている。
もっとも、自分に近付くことはまだ許していないが。
「それにしても、陛下の取り巻きの人数がずいぶん多いのう」
それは政人も気付いたことだった。出発したときは、家臣や護衛の騎士などが百人程度だったはずが、今は四、五百人はいるように見える。しかも、その多くは武装している。
やがて、クオンたちの乗る馬車が城門前までやってきて停車した。政人たちは威儀を正して出迎える。
騎士が馬車のドアを開けようとしたが、クオンはその前に自分でドアを開け、地面に降り立った。そして長い赤髪を振り乱しながら、一直線に政人に駆け寄ってくる。
「マサトーっ! ただいまー!」
そう叫びながら勢いよく抱きついてきた。政人は慌てて足を踏ん張り、抱きとめる。
「トトトッ。お、おかえりなさい陛下。ずいぶん背が伸びましたね」
周りには他にも人がいるので丁寧語で話しかけながら、背中を軽くたたいてやる。
クオンの身長は、以前は政人の胸までしかなかったのだが、今は、あごの下に頭があった。
もちろん体重も増えており、ぶつかってくる圧力に力強さを感じた。
「うん、僕も成長したんだよ」
「でも、中身はまだ子供のようですね。ほら、みんな見てますよ」
クオンはそう言われて周りを見回し、自分が民衆や家臣たちから微笑ましい目で見られていることに気付いた。
たしかに、王としての威厳には欠ける振る舞いだったようだ。
「あ、ごめん。久しぶりにマサトに会えたから興奮しちゃって……」
「まあ、一年ぶりですからね。俺も陛下に会いたかったです」
政人はクオンが以前と変わらず、自分を慕ってくれていることが嬉しかった。
「まったく妬けるわね。私にはそんな無邪気な姿を一度も見せてくれなかったのに」
馬車から、ゆっくりと女が降り立った。「巡幸中は、クオン君はいつも威厳がある姿を人々に見せていたのよ。マサトさんの顔を見て気がゆるんじゃったみたいね」
「……ミーナか?」
かなり印象が変わっているので、すぐには気付かなかった。
ショートだったピンク色の髪は、波打つように肩まで伸びている。
黒を基調としたドレスは上品で大人っぽく、今の彼女にはよく似合っていた。黒い服を着たミーナなど、一年前は想像すらできなかったが。
色白でシミひとつない顔は、息をのむほど美しい。
子供っぽさがすっかり消え、大人の女性になっていた。
「私以外の誰に見える?」
声は確かにミーナなのだが、その口調は以前とは違い、冷たさを感じるほど落ち着いていた。
かつての彼女を知る者たちは、驚きを隠せないでいる。
「これは驚いた。たった一年で、人はここまで変わるものか」
キモータがそんなことを言うので、政人は「おまえが言うな」と心の中でつっこんだ。
ミーナも彼が誰かわからず、怪訝そうに見つめている。
「……誰?」
「拙者を忘れたか。内務大臣のキモータだ」
これにはミーナも驚いたようだ。
彼のスラッとした体型と引き締まった表情。何より自身に満ちあふれた態度には、以前の面影はない。
「そう、あなたはその地位にふさわしく、自分を変えたのね」
ミーナは納得したようにうなずいた。
「私もそうなの。私は王妃になると決断した。だから王族らしく、自分は敬われて当然、という態度で振舞うことにしたの。
すると周りの人間も私に対して、王族を相手にするように敬意を持って接してくれるようになったわ。
そんなことを続けるうち、私はどんどん王妃にふさわしい女になっていったの。
もう、以前の自分がどんなだったかも思い出せないわ」
そう言った後、彼女は表情をゆるませ、「ふふっ」と自然な笑い声をあげた。
彼女に反感を抱いていた者たちも、その笑顔には思わず親しみを感じてしまった。
政人もそうである。
(人から好かれる体質は変わってないな)
違うのは、以前は子供らしく無邪気に振る舞っていたのに対し、今ははっきりと自分の魅力を理解して、それを効果的に使っていることだ。
その時、一人の女が近付いてきて、クオンの隣に直立した。
革でできた鎧を身につけ、腰には大ぶりの剣を下げている。
年齢は二十代後半ぐらいか。身長は女にしては高く、政人とあまり変わらない。金色の髪を後ろで束ね、背中まで馬の尻尾のように垂らしている。
その大きな目は暗く濁っており、やや不気味な印象を受ける。
何よりも目をひくのは、顔の右半分を覆う火傷の痕だった。
そんな彼女を横目でチラッと見てから、ミーナが言う。
「紹介するわ。彼女は騎士マニッサ。クオン君の親衛隊長を務めているの」
「騎士? 女の騎士など聞いたことが無いが」
慣習としては、騎士になれるのは男だけだ。だからルーチェも騎士にはなっていない。
「女が騎士になってはいけないという法律はないわ。彼女はクオン君から正式に叙任された騎士よ」
「親衛隊長とはどういうことだ? 親衛隊は解散したはずだろう」
シャラミア女王の時代は三百人ほどの親衛隊が存在し、ネフを隊長として女王の護衛の任を負っていた。
だがクオンが王位に就いてから親衛隊は解散させた。
王の警護は十人もいれば十分だ。人手はいくらあっても足りない時だったので、隊員の多くは兵士不足を補うために軍に編入させていた。
「私が復活させたの。やはり王の身辺を守る組織は必要だと思うから。王国各地で、忠義に厚く剣技に優れた人材を集めてきたの。マニッサを隊長として三百人の隊士がいるわ」
出発時よりも人が増えていたのは、親衛隊の隊士たちだったようだ。
「彼らの武器や鎧はどうやってそろえた? そんな金がどこにあったんだ?」
「王を応援したいと思っている資産家たちが寄付してくれたわ。彼らは今後も王室に対する援助を約束してくれた。親衛隊の給与も出してもらえることになっているの」
「資産家たちが……」
クオンの人気の高さはもちろんあるだろうが、そこから寄付を引き出したミーナの手腕を称えるべきだろう。
これで王は国庫とは別に、独自の収入を得ることができるようになったことになる。
「マニッサ。マサトさんに御挨拶なさい」
「はっ」
女騎士は政人の前に進み出ると、片膝をつき、頭を下げた。
「クオン陛下の親衛隊長、ニグエル・マニッサと申します。摂政殿下にお目通りがかない、光栄に存じます」
言葉づかいは丁寧だが、その声は低く、迫力がある。
「マニッサ。なぜ親衛隊に入ろうと思った?」
政人が問うと、彼女は顔を上げた。
人を威圧するような鋭い目つきだ。何よりも目立つのは、やはり火傷の痕である。
「クオン陛下こそが、この国に住む者たちを守ってくれると信じているからです。陛下を守るためなら、いつでもこの命を捨てる覚悟があります」
「なるほど。陛下を守るのが君の仕事であって、ミーナを守ることではないんだな?」
それを確認しておく必要があった。親衛隊を復活させたのはミーナだそうだが、彼女自身に兵力を与えるわけにはいかないからだ。
「ミーナ殿は私を見出してくれた恩人ですが、私が忠誠を誓う相手は陛下だけです」
マニッサがそう答えると、ミーナは皮肉な笑みを浮かべた。
「私はそこまで愚かではないわ。
自分の兵力を持ったりしては周囲から危険視され、マサトさんに粛清の口実を与えることになるもの。親衛隊は、純粋にクオン君を守るための組織よ。
それよりマサトさん、彼女の火傷の痕について聞きたいんじゃないの?」
「それは、まあ……」
気にはなるが、聞いてはいけないような気がしていたのだ。
「別に隠すような事ではないの。彼女の住んでいた町が焼き討ちされた時にできた傷よ」
「町が焼き討ちされた? それはひょっとして――」
ミーナの顔から表情が消えた。
「そう、彼女は私と同じ。クロアの大虐殺の生き残りよ」




