172.親友との永遠の別れ
政人はグルシウス王の葬儀に参列するため、タロウや外務大臣マッツなどを伴って、ローゼンヌ王国の王都エルムーデにやってきた。
エルムーデはレンガルドでも有数の大都市であり、その人口は五十万を超える。
「お待ちしておりました。マサト殿下、マッツ大臣」
街門の前で出迎えてくれたのは、この国に駐在するガロリオン王国の大使、リピッツァ・ラントフォーである。
洗練された身ごなしの中年紳士で、口ひげがトレードマークだ。マッツによれば、機転が利く有能な人物らしい。
彼の案内に従い、馬車で街路を進んでいく。
窓から街の様子をうかがうと、住民たちの表情が暗いのが目についた。王の死に動揺し、悲しみに沈んでいるのがよくわかる。
グルシウス王は五十年以上もこの国に君臨し、善政をしいてきたのだ。国民にとって、彼以外の王は考えられないだろう。
「偉大な王の後では、次の王は大変でしょうね」
どうしても比較されるでしょうから、とマッツが抑えた声で言った。
「そうだな、レガード王がどんな統治をするかはわからないが、グルシウス王と比べられては厳しい評価をされるかもしれないな」
グルシウスの長子レガードは現在五十六歳。正式な即位はまだだが、既に王として政務を執っているらしい。
グルシウスは政人にあてた手紙の中で、レガードは凡庸だが堅実な人間だと評していた。
少々優柔不断なところがあり、リーダー向きの性格ではないが、周囲のサポートがあれば名君になれるだろう。もしレガードが王になったら彼を助けてやってほしいと、書いてきていた。
もちろん政人もそのつもりである。周辺国と良好な関係であることが、安全保障において最も重要なことなのだ。
やがて馬車は王城に到着した。城門の前には政人たちを出迎えるため、王家の高官たちが集まっている。その中心には、ひときわ豪華な衣装に身を包んだ男が立っていた。
「あれがレガード王です」
ラントフォーの言葉に驚く。王自身が立って出迎えてくれるとは思わなかったのだ。
政人たちは馬車を降り、王のもとへと歩み寄ると、悔やみの言葉を述べる。
「ガロリオン王国で摂政を務めている、フジイ・マサトと申します。お父上のグルシウス様にはとても親しくさせていただきました。知らせを聞いて驚き、そしてとても悲しんでおります。レガード陛下には謹んでお悔やみを申し上げます」
政人の言葉を聞いたレガードは、低く頭を下げた。
「ローゼンヌ王国の国王、ジェイルバンカー・レガードです。マサト殿下のことは父から聞いております。とても英明で、尊敬すべき人物だと。どうかこれからも両国の友好のため、力をお貸しください」
レガードは、背丈は政人より頭一つ分ぐらい低いが、固太りでがっしりとした体格だ。
真面目そうな顔つきだが、どこか頼りなげでもある。グルシウスが言うように、リーダーよりも人に使われるほうが向いていそうな印象を受ける。
(いや、人を第一印象で判断してはいけないな。父親を失ったばかりだから、覇気がなくて当然だろう)
「もちろんです。グルシウス様と同様、レガード陛下とも親しい付き合いをさせていただきたいと思っています」
「はい、年齢は私がかなり上ですが、既に実績を上げておられるマサト殿下には、どうか為政者としての心得をご教授いただきたい」
政人とレガードは堅い握手を交わした。
その光景を見たタロウとマッツは、ホッと息をつく。
彼らが心配していたのは、新しい王がこれまでの方針を変更して、ガロリオン王国に対して敵対的な行動を取ることだった。
だが、この様子を見ると、その心配はなさそうだ。
それからレガードと別れ、政人たちは遺体と対面させてもらうことになった。
案内された部屋の中央には大きな棺が置かれていた。棺の左側には、燭台に載せられたろうそくが並べられ、遺体の顔を明るく照らしている。
故人が天国へとたどり着くまで闇に迷わぬよう、顔の周りを明るく照らし続けることになっているのだ。だから一日中、ろうそくの明かりを絶やすことはない。
政人たちは遺体の顔の上に影をつくらないよう、慎重に棺に近づいた。
グルシウスの顔は、死後に化粧を施されたためか血色がよく、詰め物を入れられた頬はふっくらとしている。まるで眠っているかのように見えた。
日本人だった政人は自然に手を合わせそうになったが、思い直して自分の目を両手で覆った。タロウ、マッツ、ラントフォーも同じ動作をする。
『生者は闇と共に、死者は光と共に』という言葉があるように、死者の周囲には強い光が集まるとされており、生者がこれを見ると目がつぶれる、という言い伝えがある。
そうならないように自分の目をふさぐのが、葬儀における死者への弔いの仕草なのだ。
古代のメイブランド教の教義において、闇の神は生まれてくる者をこの世へと導き、光の神は死にゆく者をあの世へ導くとされていた。
その後、闇の神の存在は否定されたのだが、葬儀における慣習としては、このような形で残っているのである。
政人は闇の中で、グルシウスのことを思った。
実際に会ったのは一度だけだが、その時の彼の温和な表情は、いつでも思い出すことができる。
政人が悩みを打ち明けると、親身になって答えてくれた。逆にグルシウスの方からも、悩みを話してくれた。
反りが合わない人物とは何度会って言葉を交わしても、心を通わせることはできない。だが、一度会っただけで分かり合える相手もいる。
グルシウスと政人の関係が、まさにそうであった。
歳が大きく離れていた二人は、祖父と孫のようでもあるし、師匠と弟子のようでもあったが、二人の関係を表すのに最もふさわしい言葉は「親友」だったように思う。
タロウやマッツが手を下ろした後も、政人は目を覆い続けていた。
その両手の下からは、涙が流れ落ちていた。
翌日、葬儀が行われた。
この国の聖司教である老人が故人に向かって聖句を唱え、参列者に対しては説教を行った。その後に参列者が献花を行い、最後に喪主であるレガードが簡単な挨拶をした。
政人たちが関わるのはここまでである。
できればレガードの即位式にも出席したかったが、それにはこの国の諸侯が集まるのを待たねばならないので、まだ数日かかる。
この後、棺は郊外にある火葬場まで運ばれ、そこで遺体は荼毘に付される。そして王家の墓地に埋葬される。
棺を運ぶ車は、馬車ならぬ「象車」だ。
(これがこの世界の象か……。想像以上にでかいな)
象はローゼンヌ王国内にのみ生息する動物で、それを飼いならして軍用に使っているのである。
政人は動物園でアフリカゾウを見たことがあるが、それよりも一回り大きい。
見上げるようなその体高は五メートルはありそうだ。
象が引いているのは大きな箱型の車で、その中に棺が乗せられているはずだが、黒い布で覆われているため、外からは見えない。
中ではもちろん、ろうそくの光によって遺体を明るく照らしているのだろう。
象車を先導するように、まず旗を掲げた馬上の騎士が王城を出発した。旗に描かれているのは、ジェイルバンカー王家の家紋である「斧を構える戦士」だ。
それに続いて、象の背中に取りつけられた御者台から御者が指示を出し、象車が出発する。政人たちは城門前で、それを見送った。
住民たちがグルシウス王に最後の別れをするため、沿道に詰めかけていた。それを兵士たちが必死に押さえている。
人の群れは町全体を埋め尽くし、その間を、象車がゆっくりと進んでいった。
ローゼンヌ王国は一つの時代が終わり、新たな時代を迎えようとしていた。




