171.成長する仲間たち
政人たちはネギシ競馬場から王都へと帰還した。
王城前でルーチェやハナコと別れ、執務室に戻る。
「お疲れ様でした。競馬場はどうでしたか?」
アモロが書類仕事の手を止め、話しかけてきた。
「景色は美しいし、コースも良く考えてつくられているな。君も暇を見つけて行ってくるといい」
「ハハッ、そうですね。俺はまだ十五歳なので賭け事はできませんが、レースを見るだけでも楽しそうです」
働き始めたばかりの頃のアモロは、気負い過ぎて危なっかしいところもあったが、今はいい意味で力が抜けてきた。何をやらせてもそつなくこなすので、彼がまだ十五歳であることを忘れそうになる。
「学校として使える建物は確保できそうか?」
「サンフレア聖司教が、王都内の三ヶ所の教会を貸してくれることになりました。何人かの貴族からも、邸宅や別荘を使ってもよいとの返事をもらっています」
「それはよかった。引き続き進めてくれ」
「はい」
彼の念願だった教育制度の整備は順調に進み、既に一部の地域では初等、中等教育を始めている。
新たに学校を建設しようとすると金と時間がかかるが、今ある建物を利用すればいいと提案したのは彼だ。
あとは高等教育、つまり大学をつくることが課題だ。
将来のガロリオン王国を担うエリートの育成を行うとともに、学問の発展のための研究施設としても必要だ。
大学はタンメリー女公領の公都ハイドルンクに一校存在し、成績優秀な学生はそこへ進学しているのだが、王領にもつくりたい。
「アモロは他にもたくさん仕事を抱えているのに、すごいな。きっとヴェネソンさんも喜んでくれるよ」
タロウが心底から感心したように言った。
「ありがとな。タロウこそ、忙しくても宿題は忘れるなよ」
「わかってるよ」
今でもタロウはアモロに勉強を教えてもらっている。
この二人もすっかり打ち解け、今では親友と呼んでいい関係になっていた。
そんな彼らの様子を満足そうにながめた政人は、机の上に山と積まれている書類を見て気合を入れ直し、たまっていた仕事を進めていった。
二時間ほど経った頃、「失礼します」という声と共に、執務室に一人の男が入ってきた。
スラッとした体型で、ダークレッドのゆったりとしたシャツと藍色のズボンの上から、薄手の茶色いロングコートを羽織っている。
大きく膨れ上がった帽子の下からは、ウェーブのかかった黒い髪が肩まで伸びている。
黒縁の丸いメガネの下からのぞく目つきは鋭い。引き締まった口元からは、意志の強さを感じさせる。
その男はつかつかと政人の机の前まで歩み寄ってきた。
「どうしたんだ、キモータ。難しい顔をして」
「殿下が上下水道の管理の担当者を、拙者からハナコに変更しようとしているという噂を聞きました。事実でしょうか?」
「ああ、まだ決まったわけではないが」
「どういうことか説明していただけますか?」
その低い声には、返答次第では政人といえども許さない、という迫力がこもっている。
「ハナコは今、手が空いているんだよ。それに比べて君は働き過ぎだ。他の人間にできる仕事は任せた方がいい。毎日王城で寝泊まりしているようだが、たまには家に帰らないと親御さんが心配するぞ」
「お気遣いには感謝します。ですが、上下水道の管理は内務大臣の管轄です。考え直していただきたい」
「管轄がどこだとか、縦割り行政にこだわる必要はないだろう」
「縦割り行政にこだわっているのではなく、どうすれば無駄が無いかを考えているのです。
今まで、道路や公共建築など、インフラ関係の業務は全て内務省が行ってきました。
業者の選定、メンテナンスのやり方、何か問題が起きたときの対処法など、手順や方法の知識は内務省に蓄積されているのです。
それなのに、上下水道だけを別部署で行うのは非効率です」
「むむむ」
一年前のキモータを知る者が今の彼を見たら、同一人物だとは信じられないだろう。
人は一年でここまで変わるものか、と驚かざるを得ない。
かつては豚のように太っており、のっぺりした丸顔だったが、今はモデルのような体型で、頬がこけ精悍な顔立ちになっている。
以前は人と接すると卑屈な態度を取っていたが、今は酒の力を借りなくても自信に満ち溢れている。
そして働かずに引きこもっていた彼が、今は働くことが生きがいになっている。だから自分の仕事を取られそうになると、このように激しく抵抗するのである。
地位は人をつくるという言葉があるが、それにしても変わり過ぎだ、と政人は思う。
「はあ……わかったよ。そこまで言うなら、これまでどおり君に担当してもらおう」
そう答えると、キモータはようやく表情を和らげた。そして恭しく頭を下げる。
「お聞き入れいただき感謝します。懸命に職務に励むことで、殿下の信頼に応えましょう」
「ただし、自己の体調管理はしっかりやってくれ。君に倒れられたら困るんだ」
キモータの管轄はあまりにも多岐にわたっており、今や彼がいなければ行政は立ち行かなくなっているのだ。
政人は常々、「俺の摂政としての最大の功績は、キモータを内務大臣に抜擢したことだ」などと人に語っているが、あながち冗談ではない。
政人が安心して全てを任せられる部下は、彼だけである。
「ご心配なく。殿下こそ無理をされぬよう」
キモータはそう言うと、今度はアモロのところへ移動し、声をかけた。
「教会を学校に使う件について、サンフレア聖司教の許可はとれたのか?」
「はい、三ヶ所の教会を貸してくれるそうです。教師については――」
二人はそれから教育問題についての話し合いを始めた。
(タロウもアモロもキモータも、みんな成長しているな。そして、英樹も――)
英樹とは手紙でのやり取りを続けている。
彼は迷宮での訓練と探索を続けた結果、聖騎士たちが相手にならぬほど強くなっているらしい。
それでも、まだ迷宮の最深層には到達していない。
(一体いつになったら魔王が誕生するんだろうか)
政人たちがこの世界に召喚されてから、二年が経とうとしているにもかかわらず、まだ魔王は出現していない。
もちろん、この世界の人間にとっては魔王など現れない方がいいのだが、英樹が地球に帰るには魔王を倒す必要があるのである。
異世界で先の見えない暮らしを続けている親友を思うと、心苦しい。
とはいえ、彼の手紙の内容から悲愴感は感じられない。
最近よく書いてくるのは、メルという名のメイドのことだった。
メルはメイドとして有能だが、そそっかしいところもあるようで、彼女の失敗談などを面白おかしく書いてきている。
デセントには信心深い人間が多く、彼らはいつも神や信仰の話ばかりするので一緒にいて退屈だが、メルと話をするのは楽しいのだそうだ。
その文章から、英樹とメルの仲の良さが伝わってくる。
二年も経てば、当然この世界でも深い人間関係を築いており、自分だけが地球に帰るとなれば別離の悲しみがあるだろう。
政人の場合はレンガルドで生きていくと決めたので、ルーチェやタロウ、ハナコたちと別れる心配はない。
その代わり、両親には二度と会えない。
(ひどい親不孝者だな、俺は)
政人が両親の事を考えている時間よりも、両親が政人の事を考えている時間の方が、はるかに長いだろう。そのことは確信している。
それでも、この世界で生きていくと決めたのだ。
政人にはこの国の民を導く責任がある。キモータたちのように、もっと成長しなければならない。
『明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい』
以前ローゼンヌ王国のグルシウス王に語った、ガンディーの言葉を思い出した。
グルシウス王とも仲良くなり、手紙でのやり取りを続けている。長い治世の経験を持つ王の含蓄のある言葉には、考えさせられることが多い。
ただ、王の体調が最近優れないようなのが気がかりである。
その不安は、現実のものとなった。
それから三日後、ローゼンヌ王国の大使から、グルシウス王の崩御の知らせが届けられた。




