167.レンガルドの結婚式
「オオオオオオオオッ!!」
「お二人とも、おめでとうございます!」
ミーナが、政人とルーチェが結婚すると告げると、群衆から割れんばかりの歓声が巻き起こった。
即位記念祭というおめでたい日に、さらに慶事が重なったのだ。
「そんな、私のマサト様が!」
「嘘だと言ってくれ、ルーチェ様!」
「明日、仕事休んでもいいよね?」
中には未練がましい二人のファンも混じっているが、ほとんどの人々は、即位記念祭の最後にこのようなサプライズが待っていたことに興奮していた。
彼らは当然のごとく、ミーナの発表は政人とルーチェも了承済みのことであろうと考えた。
だが実際は、二人の全くあずかり知らぬところである。
「おい、ミーナ! 何を考えてるんだ!」
「さあ、マサトさんたちもこの大歓声に応えてあげてよ」
ミーナを問い詰めても、全く相手にされない。
(ぬかった! 最近こいつの様子がおかしかったのは気付いていたが、まさかこんなことを企んでいたとは……)
首謀者はミーナだろうが、彼女一人ではここまで大掛かりなことはできないだろう。
クオンとサンフレアは知っていたようだが、他にも協力者がいるのかもしれない。
「どうしようマサト、みんな祝福してくれてるよ。今さら『ミーナの言ったことは嘘です』なんて言えない雰囲気だよ」
ルーチェも戸惑っている。「あ、もちろんマサトと結婚するのがいやなわけじゃなくて、むしろ大歓迎なんだけど、突然の事で驚いちゃって……」
「ああ、俺も同じ気持ちだ。たしかに、今から結婚を取り消すことはできそうにない状況だな」
グルシウス王を始めとする国賓たちも、皆が笑顔を浮かべ、手を叩いて二人を祝福している。
政人に王女との縁談を持ち掛けたグレド宰相も、内心はともかく、その表情からは笑みを崩さない。
もしここでミーナの嘘を糾弾し、結婚発表を取り消してしまうと、ガロリオン王国の不手際と恥を各国に晒してしまうことになる。
何よりも、この場はクオンの即位を祝う即位記念祭のクライマックスなのだ。
ここで列席者や群衆をしらけさせてしまうと、即位記念祭は大失敗となる。
クオンの即位に傷がつくことになり、今後の治世に悪い影響が出かねない。
だからミーナの言う通りに、ここで結婚せざるを得ないのだ。
もちろん彼女もそれを狙っていたのだろう。
(それにしても、この場で結婚式までさせるとは無茶苦茶だ)
政人は怒りをこめてミーナをにらみつけた。
「そんな怖い顔しないでよ。感謝してほしいくらいだよ。二人とも仕事に夢中で、会うことすら稀だったじゃん。あのままじゃ、きっといつまで経っても仲が進展しなかったよ」
ミーナは悪びれた様子が一切ない。
「ごめん、マサト。ミーナに言われて僕も賛成したんだけど、迷惑だったかな?」
クオンが謝ってきた。政人が喜ばないので、不安そうな表情になっている。
政人はクオンには甘い。こんな顔をされると、とても怒る気にはなれない。
「いや、もちろん迷惑じゃない、驚いただけだ」
クオンを安心させるように、努めて明るい声でそう言うと、彼の表情がパアッと輝いた。
「よかった。僕、マサトとルーチェには幸せになってほしかったんだ。こんなにたくさんの人から祝ってもらえたら、最高の結婚式になると思って」
確かに、ここまで参列者が多い結婚式は前代未聞だろう。
大聖堂周辺に集まった民衆は十万人を超えている。階段状の観覧席があるわけではないので、後ろの方の人々には何も見えもないだろうが、雰囲気は感じ取れるはずだ。
今日のことは、後々まで語り継がれることになるだろう。
政人はルーチェの様子をうかがった。
彼女の顔は真っ赤だ。無理もない。こんなに恥ずかしい状況は、そうあるものではない。
「ルーチェ、ミーナの策略にはめられるのは癪に障るが、俺はいつか君とそういう関係になれればいいなとは思っていたんだ。君はどうだ?」
「マサト……。うん、アタシもそう思ってた。マサトとずっと、死ぬまで一緒にいたい」
政人は覚悟を決めた。
「わかった。結婚しよう、ルーチェ」
「はい」
群衆から、おーっという歓声が上がった。
歓声が収まってきたところで、サンフレアが声をかける。
「では、今から婚姻契約の儀式を行うが、準備はいいか?」
つまりは、結婚式のことだ。
突然のことなので何も準備はできていないが、パレードのために二人とも正装をしているので、服装の点で問題はない。
もともとレンガルドにはウエディングドレスなど存在しない。結婚式は、そのような華やかでロマンチックなものではないのだ。
「ああ、頼む」
「姓はどちらの姓を名乗るのだ?」
(そんな重要なことを、今決めなきゃならないのかよ)
残念ながら夫婦別姓は認められていないので、今後は二人で同じ姓を名乗らねばならない。
「アタシは家を捨てたようなものだから、マサトに合わせるわ。父さんはわかってくれると思う」
ルーチェがそう言ってくれたので、今後は彼女も「フジイ」姓を名乗ることになった。
「うむ。では二人とも、そこに座れ」
彼女の弟子の僧侶たちが、二人掛けのベンチを持ってきたので、二人は並んで腰を下ろす。
「それでは、ガロリオン王国の聖司教サンフレア・ラミーが、フジイ・マサトとフジイ・ルーチェの婚姻契約の儀式を執り行う。
これから私が、神々に代わって汝らに契約の確認をする。
私の問いに対して、すべて『はい』か『いいえ』で答え、誓いを立てよ」
彼女はそう言うと、書類に目を通しながら「契約内容」を確認していった。
「汝らは、互いに親愛の情を態度で示し、良き夫、良き妻であるように努めねばならない。よろしいか?」
「はい」
「はい」
ここで特筆すべきは、「愛する」とは誓わずに「親愛の情を態度で示す」と誓っている点だ。
これは当然のことで、心情は契約として強制できるものではないからだ。
初めは愛し合っていた夫婦でも、時間の経過と共に愛が失われることもあるのは仕方がない。また、政略結婚など、初めから本人の意に添わぬ結婚の場合もある。
そのような場合でも婚姻関係を維持するためには、愛する必要は無いが、愛しているふりはしなければならないということだ。
それを最初に誓うのが、レンガルドにおける結婚式である。
「汝らは、原則としてどちらかが先に死亡するまで婚姻関係を持続させねばならない。よろしいか?」
「はい」
「はい」
「今まで汝らが持っていた財産、そして今後得るであろう財産は、全て夫婦で共有することになる。よろしいか?」
「はい」
「はい」
地球のキリスト教式の結婚式では、神父または牧師が、例えば次のような言葉を問いかける。
「汝、健やかなるときも病めるときも、喜びのときも悲しみのときも、富めるときも貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
メイブランド教会が取り仕切る結婚式では、より細かく、生々しいものになる。
「夫と妻が合意の上で離婚を申し立てる場合は、違約金として財産の十分の一をメイブランド教会に支払う。残りの財産は両者で折半するものとする。よろしいか?」
「はい」
「はい」
愛しているふりさえもできなくなれば、離婚するしかない。
その場合、婚姻契約を破棄することになるので、違約金を求められる。
なぜ教会に違約金を支払わねばならぬかといえば、婚姻契約を守ることを誓う対象が、配偶者ではなく神々だからである。だから教会を通じて、間接的に神々に違約金を支払うという理屈だ。
政人には納得がいかないが、神々がそう決めたことになっているので仕方がない。もちろん、実際にそんなやり方を考え出したのは教会の人間だろうが。
メイブランド教会は政治的権力を持たない代わりに、結婚と葬儀を取り仕切ることで存在感を示しているのだ。
「もし一方が、配偶者の合意も、正当な理由もなく離婚を申し立てるならば、両者の財産の取り分は、離婚を申し立てる者が二、その配偶者が八とする。さらに、離婚を申し立てた者は、その取り分の内の三分の一を違約金としてメイブランド教会に支払う。よろしいか?」
「はい」
「はい」
ここまで金銭的なペナルティーが大きくては、離婚を要求する者は少ないだろう。
当然のごとく、レンガルドでは離婚率が非常に低いのである。
結婚とは重い契約であり、簡単に破棄してよいものではないのだ。
ただし「正当な理由もなく」という文言がある通り、相手に非がある場合は話が違ってくる。
「もし一方が、配偶者以外の異性と性交渉を行った場合は不倫とみなし、その配偶者は婚姻契約を破棄することができる。その場合、両者の財産の取り分は、不倫を行った者が一、その配偶者は九とする。さらに不倫を行った者は、その取り分の三分の一を違約金としてメイブランド教会に支払う。ただし、性交渉の相手が売春を行っている場合は不倫とはみなさない。よろしいか?」
「はい」
「はい」
不倫を行うことは、婚姻契約に違反することになるので違約の責任を取らねばならない。
最後の一文は、相手が娼婦(男娼)であれば構わないということだ。
おかしな話だと政人は思うが、この世界では売春は違法ではないし、配偶者が性交渉を許さない場合でも、何らかの手段で性欲を満たす権利はあるということだろう。
ちなみに以前にも書いたが、サンフレア聖司教は故ヴィンスレイジ・ウルガン王が召使いの女に手をつけた結果、生まれた子供である。
そのときは、妻である王妃シーリーンが離婚を望まなかったため、王は教会に違約金を払うだけで済ませている。
「もし一方が、配偶者に対して暴行を加えた場合は、その配偶者は婚姻契約を破棄することができる。その場合、両者の財産の取り分は、暴行を行った者が二、その配偶者は八とする。さらに暴行を行った者はその取り分の三分の一を違約金としてメイブランド教会に支払う。よろしいか?」
「はい」
「はい」
ここで暴行というのは身体的暴力のことであり、言葉の暴力は含まれない。
財産の取り分が不倫の場合よりは多いのは、不倫の方がより意図的に婚姻契約を破っているからだろうか。
もちろん暴力を振るえば、契約違反以前に刑事罰を科されることになるので、絶対にやってはいけない。
「ただし暴行を加えた者が、精神の障害等の事由により責任能力を問えない場合は、婚姻契約の破棄は認めない。しかし暴力行為が収まらず、配偶者の身に危険がある場合は、毎年メイブランド教会に年収の十二分の一を納めることで、暴行を加えた者の身柄を教会に預けることができる。よろしいか?」
「はい」
「はい」
レンガルドでも、責任能力がないことを理由に刑事罰を科されない場合がある。それは離婚の可否の判断においても同様だ。
むしろ夫婦であるならば、そのような状態に陥った伴侶を慈しみ、助けてやらねばならない。
キリスト教式でも「健やかなるときも病めるときも」愛を誓うなどと言っているのだから、そうであるはずだ。
こんな細かい取り決めが、いつ終わるとも知れず、長々と続いた。
政人がこのようなメイブランド教式の結婚式の実態を初めて知った時は、呆れたものだ。
ここまで細々としたことを結婚式で決める必要はないと思った。
何よりも教会がずうずうしすぎる。
この世界では、信者が教会に寄付をするという文化がないため、これが重要な収入源ではあるのだが。
それにしても、こんな条項を一つ一つ誓っていては、高揚感が消え失せてしまうだろう。
だが、ひょっとするとそれが狙いなのかもしれない、とも思える。
愛にのぼせ上った二人の頭を冷やし、現実に立ち返らせる効果はありそうだ。
結婚は、一時の感情に流されて決めていいものではない。
相手が死ぬまで、残りの人生の全てを「契約」によって縛られることになるのだから。
「一方が死亡した場合、財産の十分の一をメイブランド教会に納め、残りを配偶者が相続する。
子供がいる場合、配偶者の取り分のうちの二分の一は、人数に応じて子供に分配する。
ただし子供が未成年の場合は、財産の管理は親である配偶者が行う。
また、資産の額に応じて、ヴィンスレイジ王家に対して相続税を納める。よろしいか?」
「はい」
「はい」
最後の一文は、第一回の定例評議会で導入を決定した新税である。
税を取られる者にとっては不満だろうが、教会が財産を持っていくことの方が遥かに理不尽だと政人は思う。
「一方が死亡した場合、配偶者は三年が経過するまで再婚することはできない。ただし、財産の十分の一をメイブランド教会に納めれば、期間内であっても特例として再婚を認める。よろしいか?」
「はい」
「はい」
これでようやく、契約内容の確認は終了である。
キリスト教式の結婚式であれば、ここで指輪の交換や、誓いのキスなどをするところだが、ここではそのようなロマンチックな演出は行われない。ただ事務的な手続きに終始するのである。
僧侶たちが政人たちの前に長方形のテーブルを運んできた。
そして、今までサンフレアが長々と読み上げてきた内容が書かれた契約書が、その上に置かれる。
これに署名することで、契約は完了する。
契約書は三通作成され、それぞれを夫と妻と教会が保管することになる。
政人とルーチェが署名したのを確認し、サンフレアはようやく結婚の成立を宣言する。
「夫フジイ・マサトと妻フジイ・ルーチェが婚姻の契約に同意し、その順守を神々に誓ったことを確認した。証人は私と、ここに参列する皆の衆である。よって、ここに両名の結婚が成立したことを宣言する」
列席者と群衆から、盛大な拍手と歓声が巻き起こった。




