166.ミーナの計略
グルシウス王との会談の翌日、ついに即位記念祭が始まった。
パレードを行うに当たって天候が心配されていたが、天も新王の即位を祝福するかのように、頭上には一点の雲もない青空が広がっている。
クオンの乗った幌なしの馬車が王城を出発し、ゆっくりと王都の大通りを進んでいった。
「御即位、おめでとうございます!」
「クオン陛下、バンザーイ!」
沿道に集まった群衆が、初めて目にする王の姿に歓声を上げる。王都以外の町からやって来た者もいるようだ。
「キャーッ、かわいい!」
女性たちからは、黄色い声援が飛んでいる。
クオンの幼い顔立ちは、肩まで伸びる赤い髪も相まって、一見すると女の子のようにも見えるほど愛らしい。
だが彼は、かわいいだけの子供ではない。
声援を堂々と受け止め、笑顔で手を振って応えるその姿には、王者の風格も漂っている。
クオンの隣の席では、ミーナが群衆に向かって手を振っている。
彼女はクオンの秘書に過ぎないのだが、あまりにも堂々としているため、王の隣で手を振っていることに違和感がない。
(まるで王妃気取りだな)
政人は、ミーナの図太さに感心した。
群衆からは、彼女に対する声援も多く送られている。彼女の「愛される才能」は天性のものだ。
また、彼女が前女王のシャラミアを刺殺した張本人であることはよく知られており、そのことも人気の理由かもしれない。
「マサト、前じゃなくて沿道の人々を見てあげないとだめよ」
隣に座るルーチェから注意された。
政人は仕方なく、群衆に向かって手を振る。
政人とルーチェは、クオンたちに続く二台目の馬車に乗って行進している。
当初は政人がパレードに加わる予定はなかったのだが、いつの間にか参加することになっていた。
パレードの手配を部下たちに任せたのが失敗だった。聞けば、どうやらミーナの仕業らしい。彼女に文句を言ったところ、「これも摂政殿下の仕事だよ」と返されてしまった。
人々の注目を浴びるのは苦手なのだが、既に段取りが決まっているので仕方がない。
ルーチェが一緒なのは政人の護衛という名目だが、二人が恋人同士であることは街の人々も知っているので、パートナーとして見られているだろう。
もっとも、政人がパレードを行うのは今日だけだ。
クオンは後日、王都以外の国民にも王の権威を知らしめるため、王国内の各地を巡幸することになっているが、それには同行しない。摂政として多くの仕事を抱えているため、王都を離れられないのだ。
「マサト殿下、頑張ってください!」
「その、ぎこちない笑顔がかわいいですよ!」
政人にも、クオンに負けないほどの声援が飛んできた。
(いかんな、表情が堅かったか。不満が顔に出ていたのかもしれないな)
政人は自然な笑顔をつくるように心掛けた。
それにしても、庶民が摂政に向かって「頑張って」とか「かわいい」などと声をかけるのは、少々ぶしつけな気もするが、それだけ親しみを感じてくれているということだろう。嫌われるよりは遥かに良い。
「マサト殿下! 殿下のおかげで、俺たち今は真面目に働いています! ありがとうございました!」
そんな声が聞こえてきた。
誰かと思って声の方に顔を向けると、散歩中の政人に因縁を付け、タロウに殴り倒された三人組だった。
あれから三ヶ月ほどしか経っていないというのに、別人のように顔付きが引き締まっている。
「やっぱり御主人様はすごいです。あいつらを更生させてしまうなんて」
タロウが御者台から声をかけてきた。彼は御者として馬を操っている。
「更生させたと言っても、炊き出しをやらせただけなんだがなあ」
「それで彼らも、飢えている人がたくさんいることを実感し、考えるところがあったのだと思います。そんな大変な状況で、元気な自分たちは遊ぶ金欲しさにカツアゲをしているなんて、とても恥ずかしいことだと気付いたのでしょう」
「そうだな」
あの頃は街に物乞いが多く、人々の表情は暗かった。
炊き出しは予想以上に効果があったようだ。食の不安がなくなるだけで、人は心に余裕ができるのである。
何よりも、支配者である政人が弱者を見捨てないという姿勢を示したことが大きい。
かつては、人々は政人に対して、地面にひざまずいて頭を下げていた。
摂政は王と並ぶ最高権力者であり、庶民にとっては顔を見ることも恐れ多い、尊い存在だったからだ。
それが今は――、
「殿下、こっちを見てください!」
「きゃーっ、目が合ったわ! 私を見てくれたのよ!」
この短期間で、まるでアイドルに対するような声援が飛ぶことになるとは、驚きである。
(だが、あまり馴れ馴れしくされるのも良くないんじゃないだろうか。たしか、ニッコロ・マキャベリは『君主論』の中で、君主は愛されるよりも怖れられる方がいいと書いていたはずだ)
政人はそう思い、厳しい表情をつくろうとしたが――、
「でんか、すきー!」
五歳ぐらいの女の子に笑顔でそんなことを言われては、頬がゆるむのは仕方がない。
「大人気だねー、マサトは」
ルーチェがニヤニヤしながら、からかってきた。
「そういうルーチェこそ、男女問わず人気があるじゃないか」
政人が言う通り、彼女に対する声援もクオンや政人に引けを取らない。
「うーん、なんでかな? アタシはあんまり王都にいないのに」
本人は気付いていないようだが、最近のルーチェは日に日に綺麗になっている。
それでいて、万の軍勢を一人で蹴散らす最強の武人だというのだから、これで人気が出ないほうがおかしい。
もともと女性の軍人というだけで、この国では異例の存在なのだ。
すでに彼女には『ガロリオンの槍』という異名がついており、この国の守護者として尊敬と信頼を集めている。
政人が諸侯に対して強気で交渉ができるのも、彼女という軍事上の切り札を王家が抱えているからだ。
「何でしょうか、あの人たちは?」
タロウが声をかけてきた。
彼の指さす方を見ると、白地に青い線の入った制服を着た五十人ほどの男女の集団が、沿道から政人に敬礼をしている。
彼らの後ろには大きな横断幕がかかげられている。政人はそこに書いてある文字を読んだ。
『その手につかむのは、ガロリオン王国の未来 我らの心は殿下と共に ――フジイ・マサト殿下公認ファンクラブ――』
「俺は認めた覚えはないが……」
「すごいね、ファンクラブなんて聞いたことが無いよ」
「公認なんて勝手なことを。解散させた方がいいかな。俺の名前を借りておかしなことをされても困るし」
「認めてあげようよ。それだけ政人を応援したいんだよ」
「まあ、ルーチェがそう言うなら」
政人は、彼らを黙認することにした。
人気があるというのは、もちろん良い事だ。
しかし、政人が摂政に就任してから、まだ三ヶ月ほどしか経っていない。
彼らが政人に寄せている好感情は、前政権がひどかったことによる反動と、新しい為政者への期待を込めてのものだろう。
これからもその人気が持続するかどうかは、今後の施政にかかっている。
パレードの一行がフラレンス大聖堂にたどり着いた。
建物の前では、サンフレア聖司教が待ち構えていた。ここでクオンと政人は馬車を降り、彼女と共に神殿内に入って神々に感謝を捧げる儀式を行う。即位記念祭の最も重要なイベントと言っていい。
大聖堂の周囲は広場になっており、そこには十万人を超える群衆が詰めかけていた。彼らが近づきすぎないよう、警備の兵士たちが必死で押さえている。
大聖堂の正門の脇には桟敷席が設けられ、そこにはグルシウス王を始めとした国賓たちが席について、成り行きを見守っている。
また、その反対側の桟敷席にはハナコやアモロ、そして諸侯やキモータら評議会のメンバーが居並んでいる。ただしソームズ公は警備を指揮しているため、ここにはいない。
「それじゃ、行ってくる」
ルーチェに声をかけ、政人は馬車を降りた。
(ん?)
前方の馬車を見ると、クオンに続いてミーナも馬車を降りていた。
予定にはないことである。神々に感謝を捧げるのは、クオンと政人だけのはずだ。
ミーナはトットットッと政人たちの馬車に近付いてきて、声をかけた。
「さあ、ルーチェさんも降りて!」
「アタシも?」
ルーチェは首をかしげている。
「おい、どういうことだ、ミーナ」
「マサトさん、この場は私に任せてよ。クオン君もサンフレア聖司教も了解済みだから」
二人を見ると、クオンは笑顔でこちらに手を振り、サンフレアは黙ってうなずいた。
よくわからないまま、政人とルーチェは並んでサンフレアの前へと歩を進めた。
クオンとミーナも連れ立ってやってくる。
「サンフレア聖司教、これはどういうことだ?」
サンフレアに事情を聞いたところ、彼女は不機嫌そうな表情で答えた。
「貴様の個人的な幸せのために、私や神々を利用されるのは不愉快なのだが、そのミーナという少女に『これは国と国民のためになることだ』と説得され、仕方なく協力することにしたのだ」
「言っている意味がわからないが……」
ミーナを見ると、彼女はどこから取り出したのか、拡声用の銅製メガホンを手にしていた。
「お集まりいただいた国賓の方々、そして国民の皆さん。ここで重大な発表があります!」
ミーナは群衆に向かって語りかけた。一体何が始まるのかと、人々はざわめいている。
彼女は政人に向かって右手を伸ばした。
「ここにおられますフジイ・マサト摂政殿下は、日々国家のため、そして国民のために寝る間も惜しんで働いておられることは、皆さんもご存じでしょう!」
人々から歓声があがった。
「そのとおりだ!」「ありがとうございます、殿下!」などと、あちこちから声が飛んでくる。
続いて彼女はルーチェを指し示した。
「こちらのライバー・ルーチェ将軍は『ガロリオンの槍』の異名のとおり、周辺国へもその武名を轟かせています!」
また、大きな歓声があがる。この場は、完全にミーナが支配していた。
「ガロリオン王国を智謀と武勇で支える二人です。そして、この二人が恋人同士であることは、知っている方も多いでしょう!」
(何を言い出しやがる)
もう政人は黙っていられなくなった。
「おい、ミーナ。何をふざけて――」
「ここでおめでたい報告があります!」
ミーナは政人を無視し、群衆に向かってさらに声を張り上げた。
「マサト殿下とルーチェ将軍は、このおめでたい日に御結婚なされることになりました! 只今から皆さんの前で、お二人が婚姻の契約を結ばれます!」
政人はあまりのショックで、息を吸うのも忘れたように立ち尽くした。




