157.キモータ無双
キモータの目の前にワインのボトルが二本、そして大きめのワイングラスが置かれた。
タロウは慣れた手付きでボトルを開け、グラスにたっぷりと白ワインを注ぐと、また警備のために廊下に戻っていった。
「さあ、遠慮せずに飲んでくれ」
政人はキモータにワインを飲むようにうながした。
「はあ」
彼は会議中に自分だけが酒を飲むことを、ためらっているようだ。
「ねえ、顔色が悪いよ。早く飲んだ方がいいよ」
キモータの体調を心配したクオンが声をかけた。
「で、では失礼して……いただきます」
王に勧められ、そして諸侯たちからの冷たい視線に晒され、彼は仕方なくグラスに口をつけた。
「それでは、次は司法大臣のタンメリー女公に報告をお願いします」
政人は、キモータが酔うまでの間、会議を進めることにした。
「わかりました」
女公は、以前に政人と話し合った、憲法作成の話を始めた。
これは他の大臣たちにとっても興味深い話だったようで、皆が活発に意見を交わし、憲法に記述するべき事柄について、様々な案が出された。
諸侯領にも憲法を適用する件について、彼らがどんな反応をするかを政人は心配していた。諸侯の自治権を侵すことになるからだ。
だがソームズ公とロッジはあっさりと賛成した。
一つの憲法を共有することで、全ての国民が国家に対する帰属意識を持つことになる。
それは一つにまとまった強い国家ができるという事で、ソームズ公にとっては歓迎すべき事だ。
ロッジが賛成したのは、政人に対する強い信頼があるからだろう。
マッツは積極的に賛成はしないが、政人の方針には従うと答えた。彼は諸侯ではないため、この件に対する発言力は弱い。
ルロア公は渋っていたが、自分だけが反対しても無駄だと悟り、仕方なく受け入れた。
全員が受け入れてくれたことに、政人は胸をなで下ろした。
「ちょっといいですかね」
キモータが手を挙げた。かなり顔が赤くなっている。
(おっ、ようやくできあがったかな)
「ああ、何でも言ってくれ」
「諸侯領にも憲法を適用するなら、軍事についてしっかり定義しておいたほうがいいと思うんですよ」
「どんな定義だ?」
「まず、諸侯の所持する軍隊についても、最高指揮権は王家が持つ、ということをはっきりさせるんですよ」
会議室に不穏な空気が漂った。
「おい、何を言い出すんだおまえは! 我々が自分の金で自分の領民たちから集めた兵を、何で王家に差し出さなきゃならん!」
ルロア公が不機嫌そうに文句を言う。
「差し出せと言ってるわけじゃないですよ。指揮系統を、はっきりさせておくべきだと言ってるんですよ」
「それならば理解はできる」
ソームズ公が言った。「先の戦争でも、王家を中心とした連合軍の指揮系統の乱れが、我らに有利に働いたからな」
「そうですそうです。
あの戦争では、王家の大将軍であるアクティーヌ・ダンリーが指揮権を持っていたはずなのに、ルロア家とカルデモン家は自家の都合だけを考えて従いませんでしたよね。
両家の行為は軍令違反として処罰するべきでしたよ。
王と諸侯が連合軍を結成したからには、一人の指揮官による命令によって、全軍が動かなきゃなりませんよ」
ルロア公は、さっきまで恐れて縮こまっていた男が、諸侯である自分を批判したことに対して、怒るよりも驚いていた。
キモータは飲む前とは別人のように饒舌だった。
「皆さんは、王に召集されれば軍を率いて馳せ参じ、王のために戦うと誓ったはずですよね。それを明文化するだけですよ。
王には諸侯の軍の召集権があり、諸侯はそれに従う義務があると、憲法にはっきり書いておくんです。
忠誠心なんてあやふやなものを信じちゃいけません。
この間の戦争でも、シャラミア女王の命令に従わず、参集しなかった諸侯がいましたよね。
そのくせ勝負がついてからやってきて、ちゃっかりいいところだけを持っていくんだから、ずるいですよねえ」
タンメリー女公の眉がピクピクと震えている。
「キモータ君の意見はよくわかった。これは今後の検討課題としよう」
政人は、この問題をこれ以上議論することは危険だと感じ、切り上げた。「そうだ、さっきの話の続きをしてくれないか。高収入の者の税率を高くするのは不公平だと言う話だ」
「ああ、その件ですか」
キモータは飲みながら話し始めた。「貧しい者を助けるためといっても、高い税率を課される者が不公平に感じるのは当然ですよね。だから、高額納税者には別に何らかの見返りを与えてやれば、その不満もやわらぐと思うんですよ」
「なるほど、もっともなことですね」と、ロッジ。
「では、高額納税者に国政への参加権を与えてはどうでしょうか?」
マッツが意見を述べた。
「どういうことですか?」
「国の重要な意思決定を行う場合に、国民投票を実施するのです。その際、高額納税者だけに投票権を与えるのです」
政人は、悪くない考えだと思った。
この国は民主制ではないので選挙は行われないが、国民投票ならば実施してもいいかもしれない。
国策の決定に関わる権利を与えられれば、誇らしい気分になるだろう。
だが、キモータは反対のようだ。
人差し指を立てて左右に振り、「チッチッチッ」と声を出した。
「国民投票なんかやったら、国がメチャメチャになりますよ。
民衆は無知だから、自分にとって都合のいい現実しか見ようとしないんですよ。
国家の意思決定は、正しい現状認識ができる少数の人間だけで行うべきですね」
ずいぶん国民をバカにした発言だが、政人も一理あると認めざるを得なかった。
EU離脱を選択したイギリス国民の例もある。
「まあ当分は、重要な判断はマサト殿下が一人で行った方がいいでしょうね。
まだまだ至らないところもありますが、実力とカリスマと責任感を全て持ち合わせているのは、殿下しかいませんからね」
そう言うと、飲み干したグラスに自分でワインを注ぎ、さらに飲みだした。かなりペースが早い。
「お褒めに預かり光栄だ」
政人はさほど嬉しくもなさそうに言った。「じゃあ、どんな見返りを与えればいいんだ?」
「高額納税者に爵位を与えて、貴族にしてやるんですよ」
それを聞いたアモロが不思議そうな顔で言う。
「税をたくさん納めただけで、貴族になれるんですか?」
ガロリオン王国には諸侯とは別に、貴族と呼ばれる身分が存在する。
諸侯は、偉大な功績に対する褒美として、領地を与えられた者だ。
諸侯ほどの功績はない者に対しては、領地の代わりに爵位と特権が与えられた。それが貴族である。
爵位は上から順に、侯爵、伯爵、子爵、男爵の四爵が存在する。
この身分は世襲され、毎年恩典として爵位に応じた金銭が給付されている。
「アモロ君、今の貴族と言われる連中は、先祖に功績があったというだけで優雅な暮らしをしているけど、ふざけた話だよね。
中には、全く働かずに国から金を貰って生活してる奴もいるよね。許せないよ。
そんな奴らからは貴族の身分を取り上げるんだよ。
そして、高額納税者に新たに爵位を与え、貴族にしてやるんだよ。
ただし、新貴族には金銭給付は行わない。
敬称付きで呼ばれるとか、王に謁見できるとか、どうでもいい特権だけを与えるんだ。
それだけでも奴らは満足するだろうね。
金を持ってる奴らが次に欲しがるものは『名誉』なんだからね」
「なるほど、貴族に金を与えるのではなく、金を払った者を貴族にするんですか。それはいい考えです。余計な支出が減ります」
「そうそう、貴族なんて言って威張るからには、ちゃんと働いて国に対する責任を果たしてもらわないとね。
諸侯だってそうだよ。カルデモン公のように、働かずにのんびりと優雅な暮らしができるなんて、うらやま……じゃなくて、けしからん話だよね」
「何だと!?」
温厚なマッツが色をなす様子を見て、政人は慌てて話を戻す。
「今の貴族から特権を取り上げ、新しく高額納税者を貴族にするというのはわかった。でもそれでは、旧貴族から強い反発があるだろう」
「金も力も無い奴が何を言おうが怖くありませんよ。放っておきましょう、人数も少ないですしね。
自分は貴族であるということ以外に拠り所のない連中は、身分を取り上げてしまえば無力ですよ。
今後、彼らには自分で働いて生計を立ててもらいましょう。まあ、仕事の斡旋ぐらいはしてやりますかね。
今は金を持ってる奴の支持を得ることの方が、重要ですよ。
大衆も、今まで偉そうにしていた旧貴族が没落すれば、ざまあみろと大喜びするでしょうね。
あいつらは、特権階級が不幸になることが大好きですからね」
(きっとキモータも大好きなんだろうな)
「素晴らしい考えです。感服しました」
アモロも貴族に対する反感を普段から抱いていたため、キモータの考えに共感した。
「まあ、拙者が本気を出せば、これぐらいは当然だよ」
キモータは、アモロの称賛を当然のことと受けとった。「でも、これだけじゃないよ。拙者は爵位を一つ追加しようと考えている。侯爵の上に、最上位の称号として『公爵』を加えるんだ」
「公爵? 何のために爵位を追加するんですか?」
「諸侯に公爵の称号を与えるんだよ」
「諸侯に?」
「そう。奴らは、なんちゃら公などと呼ばれて偉そうにしてるけど、これを新貴族制度に組み入れてしまうんだよ。
つまり、他の貴族と同じく、実力のない名誉だけの地位にしてしまうんだよ。
先祖の功績にあぐらをかいているという点では、奴らは旧貴族と変わらないからね。
ただ、奴らは軍事力を持っているから、怒らせないように気を付ける必要はあるね。
焦らずに奴らの力を徐々に削っていこうよ。公爵にするのは、その後だね。
名誉だけは一番大きなものを与えてやれば、とりあえず奴らの自尊心は保てるだろうね」
「タロウ!!」
政人は大声で、廊下にいるタロウを呼んだ。
そして、入ってきた彼に命令する。
「キモータを医務室に連れていけ! どうやら、症状が悪化したようだ」
「わかりました」
タロウはキモータを強引に立ち上がらせた。
かなり酔っているため、足元がふらついている。
「え? あの、拙者はどこも悪く……」
「さあ、来るんだ!」
キモータは、タロウに引きずられて退場していった。




