150.怪文書
「へー、すごいじゃないのハナコ。官房長官に抜擢されるだなんて」
ルーチェの称賛を受け、ハナコは得意気に胸を反らした。
「エッヘンである。御主人様は我がいないとダメなのである」
ハナコは普段よりもさらに偉そうに、ふんぞり返って歩いている。
王や諸侯からなる、評議会の一員になったのだから、当然かもしれない。
「明日は、評議会の定例会議というのがあるそうなので、いろいろと準備しているみたいですよ」
タロウも、ハナコの出世を喜んでいるようだ。
今日は久しぶりに、ルーチェも加えて四人での散歩となった。
彼女は王都にいないことが多い。
軍は何日も郊外で陣地を構えて訓練をしていたり、領内の治安を守るための警備を行ったりしているからだ。
特にルーチェが率いる遊撃隊は、全員が騎兵で機動力にすぐれた部隊であるため、行動範囲が広く、遠出をする機会が多いのだ。
そのため、恋人と会える時間が少ないのが、二人にとって不満な点である。
とはいえ、ルーチェの存在は王家の、そしてガロリオン王国の軍事の切り札である。
オルティニア街道の戦いで示した彼女の実力は、王国中に知れ渡っており、彼女がいるからこそ、諸侯は王家に対して強硬な手段に訴えることができない。
政人もルーチェも、それをよく理解しており、私的な関係は犠牲にせざるを得ないのだ。
「それにしても、街の人はみんなマサトのことを知ってるんだね」
政人たちが通ると、近くにいた者は立ち止まって深々と頭を下げる。
そうしなければならない、という決まりはないのだが。
「毎日散歩をしているから、顔を覚えられたんだよ」
「始めの頃はもっとすごかったんですよ。御主人様の姿を見かけた人は、地面にひざまずいて両手をつき、オレたちが通り過ぎるまで頭を上げなかったんですから」
タロウが誇らしげに言った。
「それでは落ち着いて散歩ができないから、何とか言い聞かせて、一礼するだけにしてもらったんだ」
「それでも、お年寄りなどは、どうしてもひざまずくこともあるのう」
強固な身分制の社会に生きてきた彼らにとっては、それが常識なのである。
「殿下、頑張ってください!」
そんな風に声を掛けてくる者もおり、政人は手を振って答える。
政人の人気は高い。
最初に炊き出しを始めて飢える者を救ったことは、今までの為政者とは違うぞ、という気持ちを住民に抱かせた。
まず、期待感を持たせることに成功したのである。
シャラミア以前の為政者がひどかったので、それとの比較で満足している面もあるだろう。
その点では、政人は恵まれている。
そしてヘルン新聞では、しばしば政人を称賛する記事を載せている。
記事の内容は、人の口を介して、字を読めない人にも伝えられている。
もちろんクリッタ達は、政権に阿っているわけではなく、事実を書いているだけだ。
さらに、こうして街を散歩し、住民の前に姿を見せていることが、親しみやすさを感じさせる要因になっている。
この世界に召喚されたばかりの頃は、「人相が悪い」などと言われた政人だが、様々な人との付き合いを重ねるうちに成長し、今では表情も柔らかくなっている。
王都には、なんと彼のファンクラブまで存在するらしい。
実は政人は異世界人である、という噂も流れており、それがまたミステリアスな魅力につながっているようだ。
噂について政人は、肯定も否定もしていない。
「住民との距離が近いのはいいことだけど、ちょっと不安もあるかな。王都はまだまだ治安がいいとは言えないし、マサトを傷つけようとする人もいるかも」
ルーチェが心配そうに言った。
「タロウがいるから大丈夫だろう」
政人は、タロウの護衛能力を信頼している。
「はい、オレが必ず御主人様をお守りします」
「もちろん、いざとなれば我も盾になってやるぞ」
タロウとハナコがそう言うと、ルーチェも頬をゆるめた。
「フフッ、そうだね。マサトのことをお願いね」
ある教会の前に差し掛かったところで、人だかりができていた。
教会に人が集まるのは普通のことではあるが、何やら様子がおかしい。
「なんだか、もめているみたいね」
教会の前には掲示板が設置してあり、普段そこには、神父のありがたい説法を書いた紙が貼られている。
その掲示板の前で、女性の僧侶が兵士たちに対して、声高に何かを訴えているようだ。
そんな彼らを取り巻くようにして、野次馬たちも集まってきている。
「あれは、性悪女ではないか」
ハナコが指摘した。
確かに、あの目立つ赤い髪は、サンフレア聖司教に間違いない。
「ああ、そういえば、ここが聖司教の教会だったか」
彼女は聖司教に就任後、王都に移住することになった。
そんな彼女のために、日々の祈りの場所として用意してやった教会がここだ。
彼女の住居も、教会の隣に併設されている。
「おい、何があったんだ?」
政人は彼らに近付いていって、声をかけた。
「こ、これは摂政殿下!」
政人に気付いた兵士たちが、慌てて敬礼をした。
「む、貴様か。何をしにきた」
サンフレアは相変わらず不機嫌そうな顔で答えた。
「散歩の途中で、立ち寄っただけだ。それより、何かあったのか?」
「この掲示板に、怪文書が掲示されていたのだ。もちろん、私が書いたものではない。それで、これを書いた不届き物を逮捕するよう、兵士に命令していたのだ」
「怪文書?」
「これだ」
そう言って彼女は、掲示板を指し示した。
そこには、横長の紙が貼られており、汚い字で文章が書かれている。
政人たちは、その文章を読んだ。
『断言しよう。フジイ・マサトはバカである。
奴が摂政になってから、一ヶ月が経とうとしているが、こんな奴に政権を任せていては、国が亡びる日も近いな。
マジで俺も国外に脱出したほうがいいのかもしれん。
奴が行おうとしている政策は、全て人気取りのためのものだ。
奴は生活保護などと称して、貧困者を助けようと考えているようだが、働かなくても生活できるなら、誰もが働かずに生活保護を受けようとするだろう。
そうなったら、この国は終わりである。
働かずに税金で養ってもらう状態が続くと、人は精神的に堕落するのだ。
働いて税金を納めてこそ、人は誇りを持って生きることができる。
貧困者に与えるべきは、金ではなく仕事なのだ。
奴はこう反論するだろう。公共事業を起こして雇用を増やしているではないかと。
たしかに奴は赤字国債を発行して、公共事業を行っている。そのことは評価してやってもいい。
だが、奴がまず行った公共事業はなんだ? 道路工事だぞ!
それよりも優先して行わなきゃならん事業が、他にあるだろうが!
それが何かだと? ははっ、奴が俺の前で頭を下げたら教えてやるよ。
それにしても驚いたのは、王領の全住民に一万ユールを給付するという政策だ。
そんなことで景気が回復すると思っているのなら、奴は経済のいろはもわかっていない。
こんな先行きの見えない状況で金を与えられても、人はそれを貯蓄に回すに決まっている。
だが、奴はこう反論するかもしれん。
食うにも困るほど生活が苦しい者もいる。そのような者には、一万ユールは日々の生活の大きな支えになるだろうと。
ふざけんな! だったら、全住民に配るんじゃなく、収入が少ない者にだけ与えればいいだろ!
おそらく奴は、一人ひとりの収入を調べるのが面倒くさかったんだろう。
それに、貧しい者だけが喜ぶ政策では、不十分だと奴は思ったに違いない。
貧乏人にだけ支持されても、嬉しくないもんな。
そこで、こんな露骨なバラマキ政策に出たってわけだ。
そのせいで国の借金が増えたとしても、知ったこっちゃねえというわけだ。
ヘルン新聞は奴の御用新聞だから、政権に批判的な記事は絶対に書かねえよな。
間違いなく、裏では金と利権がからんだ癒着がある。
新聞を自分の人気取りの道具に使うとは、なんて下劣な奴なんだ。
人気取りと言えば、フサーレの処分もそうだな。あれでマサトの人気も高まったようだ。
大衆はバカだから、自分たちとは関係のない特権階級の人間が罰を受けると喜ぶんだ。
だが、フサーレを処分するなら、こいつを官房長官に任命したマサト自身も責任を取れよ!
自分は関係ないような顔をしてるんじゃねえ!
だが、後任の官房長官にハナコちゃんを任命したのはよかったな。
ハナコちゃん、かわいいもんな。ペロペロなめたい、モフモフしたい。
マサトなんかよりも、俺んとこに来なよ。
まあ、いろいろ書いたが、奴は自分が賢いと勘違いしてるから、俺の素晴らしい提言には耳を貸そうとしないだろうな。
やれやれ、これじゃあ俺が摂政やった方が、千倍マシだな。
あーあ、この国も終わったな』
「ちょっと、何よこれ!」
ルーチェが怒りに体を震わせている。
「怖いのである」
ハナコは政人に抱きつき、恐怖で震えている。
「掲示板におかしなものが貼られていると信者に指摘され、見に来てみれば、これだ」
サンフレアは怪文書をバンと叩いて言った。彼女も憤懣やるかたない様子だ。
「批判するのは構わない。私も貴様を厳しく批判しているからな。
だが、私は面と向かって言っている。
匿名でこっそりと掲示板に文書を貼りつけるなどは、卑怯者のすることだ!
しかも、こいつの文章は悪意と偏見に満ちている!
こんな奴は、捕えて処罰するべきだ!」
野次馬たちも騒ぎ出した。
「ふざけんな! 摂政殿下がどれだけ俺たちのために、夜遅くまで働いてくださっていると思ってるんだ」
「これを書いた奴を、厳重に処罰してください!」
「おい、これを貼ったのが誰か、見た奴はいねえのか」
人々は文章の内容を完全に理解できたわけではないだろうが、政人に対するひどい誹謗中傷であることは、わかったようだ。
「タロウ」
政人は、タロウに命令する。
「はい」
「これを書いた者を見つけて、俺の前に連れてこい」
「わかりました」
タロウはその怪文書をはがすと、クンクンと臭いをかぎ始めた。
彼の顔も、怒りで赤くなっていた。




