128.政人の覚悟
他人の心の内など、わかるわけがない。
そう言って自分の判断の甘さを取り繕うことは、政人にはできなかった。
ミーナがシャラミアを殺したいほど憎むのは、至極当然のことなのだ。
家族、友人、そして四万人の同胞を殺されたのだから。
彼女自身も、クロアの町で見つけたときは、声を出せなくなくなるほどのショックを受けていた。
だが、その後時間経つにつれ、彼女は生来の明るさを取り戻し、笑顔を見せるようになった。
再び口が利けるようになり、以前のような、ちょっとわがままだが、誰からも愛される少女に戻ったように見えた。
それは大きな勘違いだった。
彼女の恨みは、そう簡単に消えるような小さなものではない。
ただ彼女は、その事を考えないようにしていただけだった。
美味しいものを食べた、面白い本を読んだ、親しい人と楽しい会話を交わした――そんな日々の出来事に対して、彼女はその都度喜びを感じただろう。
だが、心の奥底には憎しみの感情が存在した。表には出てこなくても、確かに存在していたのだ。
「シャラミアが、豪華な離宮でこれからも王族としての暮らしを送るって聞いて、そんなことは許せないって思って――」
ミーナは感情をこめずに語る。「離宮に行っちゃったら、もう私には手が出せなくなる。だから今殺すしかないって思ったの」
「すまない、俺の責任だ。俺がシャラミアの処遇を決めてしまったから」
「マサトさんは悪くないよ。政治判断ってやつだったんでしょ。それが多くの人にとってベストの選択だった。私が我慢すればよかったんだ」
「そうじゃない。その判断をしたとき、俺はミーナの気持ちを考えていなかったんだ。それは決して許されることじゃない」
「マサトだけが悪いんじゃないよ。僕もシャラミアを許すことに賛成したんだから。だからごめん、ミーナちゃん」
クオンは今にも泣きそうな、悲痛な表情をしている。
この子にこんな顔をさせてしまった自分が、情けなかった。
ここは王城内の、クオンの私室だ。
ここには政人、クオン、そしてミーナの三人しかいない。
部屋の外にはタロウを待機させ、誰も入れないように命令してある。
「ううん、マサトさんもクオン君も間違ってない」
ミーナの語調が強くなった。「きっと、全ての人を満足させるような方法はなかったんだと思う。誰かが満足すれば、別の誰かは悲しむ。それでも、少しでもいい方法を考えて選択するしかない。それが政治家の仕事なんじゃないかな」
政人は驚いた。
あのわがまま娘だったミーナが、こんな大人びた発言をするとは思わなかったのだ。
彼女も、短期間で様々な経験をしたことで、成長していたのだ。
「だとしたら、僕は政治家には向いてないなあ。僕はみんなを満足させたいんだ」
「大丈夫だよ、クオン君にはマサトさんという優秀な政治家がついてるんだから」
「他人事のように言うなよ。君もクオンのそばにいて、彼を支えるんだ」
ミーナはキョトンとした表情になった。
「えっ? それは無理だよ。私は死刑になるんだから」
ミーナは十四歳だが、ガロリオン王国では刑事責任を問われる年齢だ。
そして、人を殺した者は死刑になるのが通例である。
それでも、王であるクオンの権力をもってすれば、それを覆すことは可能だ。王の判断は法律より優先されるのだから。
だが、政人はクオンにそういうことをさせたくなかった。一度でもそれをやってしまうと、今後も法を無視することに抵抗がなくなってしまうからである。
ガロリオン王国を「法治国家」にしたいと考えている政人には、認められないことだった。
ミーナを助けるためには、法的根拠が必要だった。
「いや、君は死刑にはならない。それどころか、何の罰も与えられない」
政人は告げた。「クオンはこれから新しい王として即位する。よって即位を記念して、君に『恩赦』を与える」
「恩赦……?」
「裁判でいかなる判決が出ようと、恩赦によって刑を消滅させる。これは制度に基づいた、正当な処分だ」
「でも、そんなことをしたら、みんな納得しないんじゃないの」
「いや、君を処刑した方が、怒る人間は多いだろうな」
今、王都の城下ではミーナの助命を求める署名活動が行われている。
また、ロッジはジスタス家の兵士、そして領民を代表して、彼女を罪に問わないよう嘆願書を提出した。
シャラミアの処遇に不満だった者たちにとって、ミーナは英雄だった。
「ミーナちゃん、君を処刑したら、僕の心は耐えられなかったと思う。僕のために、生きてほしいんだ」
確かに、それはクオンにとって一生消えない心の傷になったことだろう。
「クオン君……うう、ううぅ」
冷静さを保ってきたミーナが、限界を迎えた。「うぅっあああああああぁっ! ごみぇんなさい、くおん君。あ、ありがとごじゃーます、ましゃとしゃあん!」
政人は、二度と彼女から目を離すまいと、心に誓った。
王都の占領は、滞りなく終わった。
住民たちは、クオンを歓呼の声と共に迎えた。
それだけシャラミアに失望していたということだろう。
それでもクオンはシャラミアを、代々のヴィンスレイジ王家の墓所に葬ることを認めた。
ネフはシャラミアが刺された直後、ミーナを斬ろうとした。それを止めたのは、疾風のごとき速さで駆けつけたタロウである。
ティナは半狂乱になり、手がつけられなかったが、ギラタンがなんとかなだめた。
ネフとティナは、ミーナの恩赦に納得がいかない、数少ない人間だった。
二人は、シャラミアの葬式に出席した後、姿を消した。彼らがどこに行ったか、ギラタンさえ知らないという。
この国には、自分たちの居場所がないと悟ったのだろう。
ルロア家とカルデモン家、そしてジスタス家の軍は領地に帰還させた。
ただし、ルロア公とカルデモン公とロッジは王都に残る。
この後のクオンの即位式に参加するためだ。
ソームズ公とタンメリー女公にも、至急王都に来るよう命令を出した。
五人の諸侯がそろい次第、クオンの即位式を行う予定である。
アクティーヌ家は、シャラミアの悪政に関わったという理由で、取り潰すことが決まった。
領地は没収し、家臣たちは王家で召し抱える。
アクティーヌ公は庶民に落とされたが、それなりの生活が送れるよう毎月お金を給付し、使用人をつけることも認められた。自力では生きていけそうもない人間だったため、クオンが同情したのである。
また、死んだ人間は罪に問わないということで、ダンリーもアクティーヌ家の墓所で手厚く葬られた。
ルーチェ、タロウ、ハナコは、もちろんこれからも、政人と一緒に王都で働く。
それはわざわざ意志を確認するまでもなく、当然のことだった。
ルーチェ軍の二千人は、本来はジスタス家の兵士だったのだが、全員がこのままルーチェの下で戦うことを希望したため、王家の所属に変更となった。ジスタス家には補償金を支払うことになる。
ギラタンとトラディスは王家の将軍として、引き続きクオンに仕える。
クリッタはヘルン新聞社のヴィンスレイジア支局長に就任した。
社長のセリーはヘルン新聞をガロリオン王国全土に展開するつもりであり、彼は王領を担当する責任者ということだ。
もっとも支局長とは言っても、彼はデスクワークに終始するつもりはなく、これからも記者として駆けずり回るつもりである。
宰相であったフサーレ聖司教をどのように扱うかは、悩ましい問題だった。
シャラミアの悪政に関わっているし、聖職者が政治に携わることに眉をひそめる人間は多い。
ただ、人材不足の王家において、彼の実務能力は高さは魅力的だ。
また、引継ぎにも必要な人間なので、当分は政人の補佐を務めることになった。
政人はクオンの摂政となることが内定している。
摂政とは、幼少の王に代わって政務を執り行う役職だ。
王と同じ権限を持っているため、宰相よりもはるかに格が高い。
(また英樹に言い訳の手紙を書かないといけないな)
またしてもメイブランドに帰ることができなくなってしまった。
それでも、彼なら理解してくれるだろうという確信はあった。
気付けば、政人と英樹がレンガルドに召喚されてから、一年が経とうとしている。
もうすっかり、この世界になじんでしまった。
しかし、地球に帰るという目標は変わっていない。そこは変えたくはない。
英樹が魔王を倒せば、帰ることができるはずなのだ。
とはいえ、摂政という責任の重い役目を放り出して地球に帰るというのは、さすがに無責任だろう。
クオンが一人前になるまでは、そばにいてやらねばならない。
「この家のようだな」
王都の住宅街で、トラディスが言った。
ヴェネソンの実家は、立派な門構えをしていた。金銭的に余裕がある家だったからこそ、彼は学問を身に付けることができたのだろう。
ヴェネソンが軍規違反により処刑されたことは、既に連絡がいっているはずである。
それでも政人は責任者として、遺族に詳しい事情を説明しておきたかった。
トラディスも約束通り、ついてきてくれた。
だが、玄関の前まで来たところで、引き返したくなった。
どんな顔をして遺族に会えばいいだろう。ヴェネソンの処刑を命じたのは自分なのだ。
「いつまでもここに立ち尽くしていても、仕方あるまい」
トラディスを連れてきたのは正解だったな、と政人は思った。自分一人であれば、引き返していたかもしれない。
「そうだな、入ろう」
ヴェネソンの両親は、政人たちの話を落ち着いて聞いてくれた。
それに対して彼の弟は、歯を食いしばってにらみつけてくる。兄とは違って利かん気が強そうな面立ちだ。
「てめえら、それでよく俺たちの前に顔を出せたな!」
話が一通り終わると、ヴェネソンの弟は椅子から立ち上がり、怒りをぶつけてきた。
政人たちは、何も言い返せない。
「やめんかアモロ、失礼だぞ! この方たちは軍規に従って行動しただけだ!」
そう叱る父親の声は、震えていた。
「ちくしょう」
アモロは一言つぶやくと、力が抜けたように腰を下ろし、手で顔を覆った。
指の間から涙がこぼれている。
「今日はわざわざ、息子のために御足労いただき、ありがとうございます」
父親は政人たちを責める様子は見せなかった。
「いえ、ヴェネソン君の事は私にとって痛恨の極みでした。せめて彼との約束には答えたいと思っております」
政人は彼の家族が苦しまないよう、できるだけのことをすると約束していた。
戦死した兵士については名誉とみなされ、国から補償金が出ることもあるが、処刑された兵士は、もちろんそんなことはない。
それでも政人の一存で金銭的な補償を行うことはできる。
「マサトさん、私たちはなんとか食べていける程度の収入はあります。でも、多くの家庭はそうではありません。貧しさのため、子供を奴隷に売るような家もあるんです。国はそんな子供たちを、まったく助けてはくれませんでした」
母親の言葉は、政人の胸に突き刺さった。
「マサトさんは、新王の摂政になられるのだとか。ならば、どうかそんな子供たちを助けてあげてください。お願いします」
「わかりました。必ず助けます」
「ありがとうございます。あの子も本望でしょう」
それからしばらく、沈黙が下りた。
「ヴェネソンは、いつも本を読んでいました。私の部下で本を読む者は他にいなかったので、感心していました」
沈黙に耐えかねたのか、トラディスがそんなことを言った。
「息子はいつも、みんなが本を読めるようになればいいと言っていました。残念ながら、この国では字が読める者は少ないのです」
「その話は私も聞かされました」
政人はその時のことを思い出した。「そのために、すべての人が教育を受けられるようにしたいとも言っていました」
「それが息子の夢でした。私たちにもその夢を語ってくれましたよ」
簡単な夢ではない。
教育を受けるためには、まず生計を立てなくてはならない。住む所も食べる物もないでは、勉強どころではないからだ。
日々の生活のために、子供が働いているというのは珍しい話ではない。
一朝一夕に実現できる夢でもない。
日本が明治維新後、早くに教育制度を整えることができたのは、江戸時代から全国各地に寺子屋があり、そこで教育が行われていたという土台があったからだろう。
ガロリオン王国にそんな土台はない。
王領では、王族や貴族が入れる学校が一校あるだけだ。
今の王家には、とても学校を立てるような余裕はない。
教師の数も全然足りない。
教育を受けた人間でなければ、教師は務まらないのだ。
全ての人が学校に通って教育を受けられる社会をつくるには、はたして何十年かかるだろうか。
「マサトさん、どうか、息子の夢をかなえてやっていただけませんか?」
「…………」
答えない政人に向かって、アモロが怒鳴った。
「できねえのかよ! あんた偉いんだろ! 賢いんだろ!」
「黙らんか、アモロ!」
政人は目を閉じて、顔をゆがめた。
大学に進学できなくなり、絶望していた自分を思い出した。
だが、この国の子供たちは、絶望さえできないのだ。
教育を受けられないということが、どんなに悲しいことであるかも知らないのだから。
(父さん、母さん、ごめんなさい)
「わかりました。息子さんの夢をかなえると約束します」
政人は地球に帰ることを諦め、レンガルドに骨を埋める覚悟を決めた。
ここで第四章は終了です。
第五章では「内政編」に入っていきます。
政治家としての政人が、いよいよ本領を発揮することになるでしょう。
ご期待ください。




