127.シャラミアの解放
「ティナ!? どうしてここに?」
ここにいるはずのない人物が現れたことに、シャラミアは驚きを隠せない。
ティナはかつて、シャラミアに絶交を宣言された。
その後、彼女は王城を出て行ったが、どこにいったのかは誰も知らなかった。
「おい、おまえはどこから入ってきた! 衛兵は何をしていたのだ!」
フサーレが怒鳴った。
部外者に玉座の間まで入り込まれてしまっては、警備に不備があると言わざるを得ない。
「衛兵や親衛隊の多くは、住民の暴動を防ぐために出払っているようです」
ティナは冷静な口調で告げた。「それに私は、潜入には慣れているのです」
「申し訳ありません。これは陛下の身辺を守るべき親衛隊の失策です」
ネフが頭を下げた。
「いえ、親衛隊に街の警備を命じたのは私です。あなたが気に病むことはありません」
「はっ」
「ティナ、こっちにいらっしゃい。よく顔を見せて」
「はい」
シャラミアはティナを見て、愛しさがこみあげてきた。
以前は喧嘩別れしてしまった相手だが、まったく怒りはわいてこなかった。
今にしてわかる。
彼女は真摯にシャラミアのためを思って諌めてくれたのだ。
ティナはゆっくりと近づいてきた。
シャラミアは待ちきれず、玉座から立ち上がりティナに駆け寄った。
そしてそのまま、勢いよく抱きつく。
「ティナ、ティナ」
泣いていた。
もはや、恥も外聞もなかった。
そこにいるのは女王ではなく、一人の弱い少女に過ぎなかった。
「シャラミア様……」
「よかった、名前で呼んでくれたわね」
ティナは子供をなだめるように背中をさすりながら、優しく語りかけた。
「もういいのです、シャラミア様。後のことは、私にお任せください」
「うん……うん」
三人の男たちは、子供のようにしゃくり上げるシャラミアを、あっけにとられたように眺めていた。
さっきまで気丈に振舞っていた女王が、ティナに会ったとたん、別人のようになってしまったのだ。
「陛下……?」
とまどったように問いかけるフサーレの声が、シャラミアにはうっとうしかった。
(陛下なんて女は知らない)
かぶっていた王冠を投げ捨てた。
「頭が軽くなったわ」
そう言って笑うと、ティナも慈母のような笑みを浮かべた。
「私が言った通りでしょう? シャラミア様は女王にふさわしくないと」
「ふふ、そうね。それを最初に言ったのはマサトだったけれど」
シャラミアの吹っ切れたような笑顔を見た男三人は察した。
女王という肩書きを捨ててしまえば、彼女は気弱な少女に過ぎないことを。
彼女はずっと、女王としての責任の重さに押しつぶされそうだった。
彼女には、クオンにとっての政人のような、すべてを任せてしまえるような頼れる人間はいない。
だから、自分一人でガロリオン王国を背負っていかねばならなかった。
それでも、幼いころから姉妹のように育ってきたティナにだけは、女王としてではなく、ただのシャラミアとして接してほしいと思っていた。
玉座の間で、家臣たちの前では気を張っていても、ティナのいるところに帰れば、我が家にいるように安心できる――そんな関係を求めて。
だが、ティナにまで「陛下」と呼ばれたことで、彼女の帰るべき場所、安らげる場所はなくなった。
女王としての誇りだけが、彼女の拠り所になったのである。
そして今、ティナとの関係を取り戻した彼女は、女王という束縛から解放された。
「ねえ、ティナ」
「はい」
「私、死ぬのが怖い」
ティナはシャラミアの頭を抱きかかえた。
「大丈夫ですよ。私が助けて差し上げます。また、以前のように一緒に暮らしましょう」
「私についてきてくれるの?」
「もちろんです。私の居場所はシャラミア様の隣なのですから」
ティナは、立ち尽くしている三人の男たちに声をかけた。「行きましょう、皆さん。クオン様とマサト様のところへ」
―――
ギラタンに先導され、シャラミアたちがクオンのいる陣地にやってきた。
シャラミアの隣には、ぴったりと寄り添うようにティナが歩いており、後ろにネフとフサーレを従えている。
久しぶりに見るシャラミアは、政人の目には、クロアの町の病院で初めて会ったときのような、か弱い少女に見えた。
彼女と目が合った。
「マサト、あなたの言った通りだったわ」
シャラミアは、憑き物が落ちたかのように晴れ晴れとした表情をした。「私には女王の資格はなかった」
「そうだな」
「あなたが私の助命を決めてくれたそうね。礼を言います」
「君はこれから穏やかな生活を送ることになるが――」
政人には言っておくべきことがあった。「君のために犠牲になった人たちのことは忘れないでくれ」
もちろん、クロアの大虐殺のことだ。
「……そうね、それは私が死ぬまで、忘れることは許されないでしょう」
シャラミアたちの後ろに、もう一人懐かしい顔があった。
髪もひげも伸び放題になっているので、すぐには分からなかった。
「思ったより元気そうだな。クリッタ」
「意外とメシはまずくなかったんでな」
ヘルン新聞社の社員である彼は、女王を批判する記事を書いたために捕まっていたが、シャラミアは彼を釈放するように命じていた。
「クリッタ、あなたにも申し訳ないことをしました。謝っても許されることではないけれど」
「あんたには、後で取材に応じてもらうぞ。女王だったころの話をたっぷり聞かせてもらうから、覚悟しておけ」
以前と変わらない調子で話すクリッタに、シャラミアも思わず笑みをこぼした。
「そうね、いつでもいらっしゃい」
政人はそのまま、シャラミアと並んで陣地内を歩いていった。
シャラミアを見るジスタス家の兵士たちの目は、厳しかった。
女王を許すと決めたことには、ほとんどの者が不満だっただろう。
だが、彼らの主君であるロッジが懇々と諭すと、聞き入れてくれた。
最もシャラミアを恨んでいるであろうロッジが許すと決めたのであれば、従うしかない。
陣地の一番奥、最も大きな天幕の前で、クオンが待っていた。
ロッジも隣に控えている。
クオンにとってシャラミアは、母親の仇でもある。
恨んでいないはずはない。
だが、シャラミアを見つめる彼の目は、やさしかった。
彼は、人を憎み続けることができない性格なのだ。
「久しぶりだね、シャラミア」
「ええ」
シャラミアはクオンをまじまじと見つめた。「信じられないわ。あなた、本当にクオンなの? 以前とは別人のようだわ」
「そうかな。……そう見えるとしたら、マサトをはじめ、いろんな人たちが僕を成長させてくれたからだと思う」
シャラミアはクオンに、ヴィンスレイジ王家の家宝である王冠を渡した。
「これは、私の頭には重すぎたわ」
クオンは真面目な顔で、それを受け取った。
「僕にも、重いんじゃないかなあ」
「いいえ、あなたなら、ガロリオン王国をきっと素晴らしい国にできるわ」
「僕はまだ子供だよ」
「大丈夫よ、あなたの周りには優秀な人たちがいるから。きっとあなたを助けてくれるわ」
クオンは、しばし逡巡した後、口を開いた。
「ねえ、シャラミア。君に相談したいことがあるんだけど」
「今の私に答えられることがあるかしら」
「うん、実はマサトのことなんだ」
(なに?)
「マサトがどうかしたの?」
「マサトは僕が王になったら、僕を見捨ててどこかに行っちゃうんじゃないかって心配なんだ。僕にはマサトが必要なのに」
(俺は誰にも、メイブランドに帰る話をしたことはないのに、なぜわかった?)
「マサトがそう言ったの?」
「ううん、でもそんな気がして、不安になるんだ」
感受性が強い彼は、政人の態度から、なんとなく察していたのかもしれない。
シャラミアは政人に向き直った。
「マサト、女王としてではなく、かつて仲間だったシャラミアとして、あなたに問います。あなたはクオンを見捨てるつもりですか?」
「いや……」
見捨てるなどと、言えるわけがない。
「では、この場で約束しなさい。クオンが王となった後も、彼のそばにいて支え続けると」
全員の視線が、政人に集まった。
(やられた)
シャラミアではなく、クオンにである。
この状況で断れるわけがない。
クオンは断れない状況をつくっておいて、皆の前で政人の言質を引き出すつもりなのだ。
(英樹、すまない)
「もちろん、これからもクオンを支えると約束する」
そう答えるしかなかった。
クオンは、はじけるような笑顔を見せた。
シャラミアの隠遁場所は、カテナ離宮である。かつて、彼女が王太后に頬を叩かれた場所だ。
もちろん政人はそんなことは知らない。
「あの辺りは、あまり寄り付く人もいない。退屈だが、静かな暮らしはできるだろう」
「ええ、ありがとう、マサト」
シャラミアを見送るため、陣地の入り口に、政人やクオンなど彼女と関係があった者たちが集まった。
王太后が死んだ後も、カテナ離宮は生活ができる場所として管理されていた。
使用人も多くおり、すぐにシャラミアが住むのに支障はない。
ネフとティナは、これからも彼女に付き従うことになっている。
クオンに仕えることになったギラタンとは、ここでお別れである。
「ネフ、俺はひょっとしたら、もう会う機会がないかもしれん。シャラミア様を頼むぞ」
「任せておけ、ギラタン」
ネフはギラタンに近寄り、堅い握手を交わした。「おまえは、クオン様を助けて、この国を守ってくれ」
「私も、死ぬまでシャラミア様のおそばにいます」
ティナも決意に満ちた表情で告げた。
このとき、ネフとティナは最後の挨拶を交わそうとギラタンに近づいたため、シャラミアとの間に距離ができていた。
そのことを、二人は終生悔やむことになる。
木材が積み上げられて陰になっている所から、飛び出した人物がいた。
皆の視線がギラタンたちに向けられる中、その人物は、一直線にシャラミアに駆け寄る。
ネフが最初に異変に気付いた。
だが、彼が動き出すよりも早く、その人物はシャラミアに肉薄していた。
ミーナの持つナイフが、シャラミアの胸を貫いた。




