126.女王のプライド
(かつての王太后も、こんな絶望的な気分になったのかしら)
政人とギラタン達が王都に到着する二日前――。
シャラミアが展望台から見下ろす先には、雲霞の如く、と形容するのがふさわしい、ジスタス家の大軍が展開していた。
最近になってジスタス公領の不穏な動きが伝わってきてはいたが、ここまで深刻な事態になっていたとは思わなかった。
民衆が志願兵となって、六万人もの軍が結成されたのだという。
以前にシャラミアが率いていた民兵よりも数が多く、しかも統制が取れている。
(もっと早く手を打てていれば)
悔やんでも、もう遅い。
シャラミア達の目はずっとソームズ家に向けられており、滅んだはずのジスタス家など気にしていなかった。
「城下の様子はどう? デモ隊が暴動を起こす様子はない?」
シャラミアの問いに、親衛隊長のネフが答える。
「今、親衛隊の隊士も動員して、治安維持に努めています。目立った混乱はないようです」
「そう、引き続き警戒を続けて」
「はい」
現在、女王の退位を要求するプラカードを掲げて、六千人のデモ隊が街路を行進している。
こんなことは、王国の歴史上聞いたことがない。
そして、王都に残っている兵力では、彼らを制圧することができない。
デモ隊を抑える力がないと知れば、住民たちはさらに王家を侮り、デモの参加者は増えるかもしれない。
今はまだ、平和的な示威運動に終始しているようだが、今後彼らが実力行使に出る可能性もある。
民衆がここまで女王に反発するようになったのには、ヘルン新聞の影響が大きい。
クリッタを捕らえたものの、ヘルン新聞社はおとなしくなるどころか、シャラミアに対する攻撃はさらに激しくなった。
社長のオーギュロス・セリーを指名手配し、懸賞金もかけたが、彼女はタンメリー女公領の町ヘルンにいるので手が出せない。むしろ、いい宣伝になってしまった。
シャラミアを批判する新聞は、今では簡単に手に入るようになっている。
ヘルン新聞社の社員は、王領内の各地で活動しており、そのやり方も巧妙だ。連中の拠点がどこにあるのか、なかなか掴めない。
もはや『クロアの大虐殺』も、『残虐女王』というシャラミアの異名も、知らない者はいない。
即位直後は人々の期待を背負っていたシャラミアだが、今では支持する住民はほとんどいなくなった。
彼らの生活は相変わらず困窮している。
膨大な軍事費にあてるため、税の臨時徴収が何度も行われているためだ。
一家の働き手を兵士に取られた家族は、生計が立たなくなった。もちろん兵士には給料を払うことになっているのだが、それも滞りがちだった。
なぜなら、官僚の人数が足りないため、必要な手続きができないのである。連日、役所の窓口には長蛇の列ができていた。
盗賊に身を落とす者が増え、治安は悪化した。
街には物乞いがあふれ、飢えて死ぬ者も出始めた。
往来や酒場で「これなら、クオン王の頃のほうがまだマシだった」などと不満を言う者が増えたため、親衛隊を市中に巡回させ、不当な発言をしたものを逮捕した。
すると、シャラミアへの反感はますます高まった。
「私は、どこで間違えたのかしら」
独り言だったが、ネフが律義に返事をした。
「過去を振り返っても、どうしようもありません。大事なのは、これから何をすべきかです」
「そうね」
ダンリーとカルデモン公が戦死したという報告を聞いた時は、目の前が真っ暗になった。
ギラタンはまだ戦うつもりのようだが、戦況はよくないようだ。
「こちらにおいででしたか」
宰相を務める、フサーレ聖司教が展望台にやってきた。
「ジスタス軍からの要求はあった?」
「いえ。敵は全く動く様子がありません。滞陣を続けています」
(何かを待っているわね、まだ援軍があるのかしら)
「敵の総大将はジスタス・ロッジね?」
「おそらくは。ひょっとすると、クオンも来ているかもしれません」
間者の報告では、ジスタス公領の住民たちは、クオンを王として仰いでいるそうだ。
「おそれながら陛下、意見を述べさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「どうしたのフサーレ、改まって」
「あの軍勢が攻めてくれば、王都は持ちこたえられません」
「そうね」
「降伏の使者を送っては、いかがでしょうか」
ネフがフサーレの胸倉をつかみあげた。
「降伏だと!? 貴様、自分が何を言っているか、わかっているのか!」
「こ、こんなことを覚悟もなく口にできるものか! 私は宰相として、王都を守る手立てを考えなくてはならん!」
フサーレは、なんとか声をしぼり出した。「それとも、親衛隊があの大軍を撃退してくれるとでも言うのか!」
ネフは何も言い返せず、手を離した。
「ギラタンに伝令を出します」
シャラミアは迷いながら言った。「ホークランもアンクドリアも放棄して、帰還するようにと。連合軍が来れば、ジスタス軍を蹴散らしてくれるわ」
「はっ」
ネフとフサーレはうなずいた。
それからわずか二日後、連合軍は帰還した。
あまりにも早い到着に、いぶかしんでいるシャラミアのもとに、使者がやってきて告げた。
――ギラタンが率いる連合軍は、すでにクオンに降ったと。
「――というわけで、もはや降伏するしか道はありません」
ギラタンの話を聞いたシャラミアは全身から力が抜け、玉座の背もたれに背中を預けた。
玉座に座すシャラミアの両隣にはネフとフサーレが立ち、ギラタンは彼らと向かい合うように立っている。
玉座の間にはそれ以外の者は近づかぬよう、完全に人払いしてある。
「ギラタン、貴様、まだ三万人以上の戦力を擁していながら、なぜ再び戦わなかった!」
フサーレが怒声をあげる。
「勝てないのがわかっていたからです。ルーチェに手ひどくやられた兵士たちは、完全に戦意を失っていました。再びルーチェ軍に襲われれば、指揮官がいくら戦えと命令しても、兵士は逃げ出すでしょう」
「ルーチェはそんなに強かったのか?」
ネフの問いに、ギラタンは自嘲気味に答える。
「ああ、いくら大軍をそろえても、野戦で彼女に勝てる軍は存在しないと、断言できる」
「なるほど、それは実際に戦ってみたおまえにしか分からないことだな。だが――」
ネフはギラタンに指を突き付けた。「クオンに降伏したとはどういうことだ! それでよく、俺や陛下の前に顔を見せられたな!」
「すまん」
ギラタンはそう言って頭を下げたが、それ以上何も言おうとしない。
ネフはがっくりと崩れ落ち、拳で床を叩きつけた。
「畜生!」
「やめなさい、ネフ。ギラタンが一番つらいのよ」
シャラミアは落ち着きを取り戻し、ギラタンに問いかけた。「それで、降伏したら私の処分はどうなるの?」
「マサトは陛下の生命の保証に加えて、王侯としての生活を送ることも認めてくれました。王領内の離宮の一つに移り、そこで使用人と共に暮らしてはどうかと。もちろん、そこから出る自由はありませんが」
(王太后が造った離宮ね。意外な使い道があったものだわ)
「それはマサトひとりの考えだろう? 敵の中には、陛下の御身を害そうと考える者がいるのではないか?」
フサーレが疑問を呈した。
「いえ、これはクオン様も同意しています。ならば、他の者も従わざるを得ないでしょう」
「噂では、クオンはマサトの言う事には何でも従うそうね。マサトはクオンを傀儡として、この国を好きなように動かすつもりかしら」
シャラミアの声にはとげがあった。
「マサトには、そんな意図はないと思います」
「私を生かしておくと、後悔することになるかもしれないわよ。私はクオンを殺さなかったことを後悔しているの」
「陛下、どうか生きてください。俺は陛下の助命を条件に降伏したのです」
「あなたはクオンを助けて、この国が人々にとって住みやすい国になるよう、働きなさい」
シャラミアは決然として言った。「私は屈辱に耐えながら生き長らえるつもりはありません」
これを聞いて、ネフとフサーレも慌てた。
「陛下、考え直してください! ギラタンの気持ちを汲んでやってください!」
「陛下、どうか生きて、余生を全うされますよう」
シャラミアは、彼らを無視した。
「ギラタン、帰ってマサトに伝えなさい。王都は明け渡します。でも、私は女王よ。マサトなどに今後の人生を決められるなんて冗談じゃないわ。私は女王として死にます」
かつて、ここで政人に加えられた侮辱は、一日とて忘れたことはない。女王として、政人に膝を屈することだけはできなかった。
「いいえ、シャラミア様は負けたのです。であれば、その処遇を決めるのは、勝者であるクオン様やマサト様の権利です」
それは、この場にいる誰の声でもなかった。
シャラミアは、部屋の入り口に立つ人物を見て、驚きに目を見開いた。
侍女のティナだった。




