118.オルティニア街道の戦い
ホークランからアンクドリアへと続く街道は、オルティニア街道と呼ばれている。
海岸沿いの平坦な道であり、大軍を進めるのに支障はない。
アンクドリアへ援軍を出すように指令を受けたギラタンは、ホークランの守備に三千人を残し、残りの二万六千の兵を率いて出陣した。
ダンリーからの書状によれば、あのルーチェが率いるジスタス家の三千の騎兵が、神出鬼没のゲリラ戦法を仕掛けてきて、城攻めに集中できないとのことだ。
また、ルロア公とカルデモン公がやる気がないために、勝てそうな気がしないと、泣き言も書いてあった。
(まったく、ダンリーの奴は相手が格上だと、強く出られねえんだな)
ダンリーは連合軍の総司令官なのだから、命令すれば諸侯といえども、従わざるを得ないはずなのだ。
それなのに、ダンリー自身の出自が弱小諸侯の公子であるためか、軍の序列ではなく、諸侯としての格に影響されてしまっている。
(ルロア軍とカルデモン軍をこっちに残し、俺がそいつらを指揮する形にすればよかったんだ)
ギラタンはもともと一介の騎士に過ぎないため、かえって気兼ねがない。
女王から与えられた指揮権を振りかざして、命令していただろう。
ダンリーの立てた作戦では、ギラタンが合流するまでは、自分は陣地に引きこもって戦わない。
合流した後はアンクドリア攻略をギラタンに任せ、自分は反対方向を向いてルーチェの襲撃に備えるとのことだ。
悪くない作戦だと思った。背後からの攻撃に警戒しなくてもよいのなら、城攻めに集中できる。
問題は、すんなり合流させてもらえるかどうかだ。
ルーチェは、援軍がホークランからやってくることは、当然予想しているだろう。
今はダンリーが陣地にこもって動かないため、ゲリラ戦を仕掛けることができない。
ならば、標的をホークランからの援軍に変更し、合流を阻止しようと考えるのではないか。
ルーチェは斥候を出して街道を見張りつつ、どこかで奇襲をかけようと、待ち構えているかもしれない。
こちらも常に警戒は怠れない。
ギラタンの軍は、オルティニア街道を東から西へと行軍している。
街道は見通しのいい一本道なので、前か後ろから敵がやってくれば、遠くからでもすぐに発見できる。
そして北側は海であるため、敵襲があるとすれば、南側に広がる丘陵地帯からであろう。
ギラタンはアンクドリアに近づくにつれ、頻繁に斥候を出すようにした。
奇襲は効果的な戦術だが、不意をつくからこそ奇襲なのである。
こちらが迎撃の準備を整えていれば、恐れる必要はない。
やがて、南側に林が見えてきた。
高い木が鬱蒼と茂っており、中は見通せない。林はずっと先まで続いている。
「報告します」
林を探っていた斥候が戻ってきた。「林の中は木が密集して生えているため、騎馬隊は行動できないと思われます」
「なるほど」
これでしばらくは、南からの敵襲を警戒する必要はない。
ギラタンは考える様子を見せた。
「歩兵なら動けそうか?」
「はい、歩兵なら行動可能でしょう」
ギラタンは部下の指揮官に声をかけた。
「軍を二つに分けるぞ。本隊はこのまま街道を進み、もう一方は林の中を潜伏しながら進む」
「なるほど、伏兵ですか」
「そうだ。林の中の部隊は全て歩兵で編成し、本隊より先行させる。本隊はゆっくりと街道を進む」
ギラタンは説明した。「ルーチェが前方から本隊に攻撃してきたら、林の中の伏兵が街道に飛び出して敵の退路をふさぎ、挟み撃ちにする。逃げ道をふさいでしまえば、三千人しかいない敵は殲滅されるしかない」
「前から敵襲があるでしょうか」
「向こうを見ろ」
ギラタンは前方を指さした。
「街道が丘陵に沿って大きく右にカーブしているだろ? こちらからは丘陵が壁になって、その先が見えない。つまり、ルーチェの立場になってみれば、奇襲をかける絶好の地点だ」
「あっ、確かに」
「その地点まで行ったら行軍を停止し、兵に休息を与える。そして警戒を解いたふりをして敵襲を待ち受けるんだ。ダンリー大将軍には伝令を出し、こちらの作戦と、そのためにアンクドリア到着は遅れることを知らせよう」
「もし敵襲がなければ、どうしますか?」
「その時は、また慎重に行軍を続けるしかねえな。だが、俺の予想ではきっと仕掛けてくる」
「なぜ、そう思われますか?」
「俺はルーチェの仲間だったことがあり、あいつの性格は知っている。好戦的で、何もせずにじっと待つことが苦手な奴だ」
「そうなのですか」
「ルーチェは今、ダンリーたちが陣地にこもって出てこないことで、イライラを募らせているはずだ。奇襲の機会が訪れれば、必ず決行する。そして、奇襲をかけようとする奴は、自分が奇襲されるとは考えないものだ」
「見事な戦術です。さっそく伏兵隊を編成しましょう」
「ああ、任せた」
(ルーチェに恨みはねえが、これも戦だ。やらなきゃ、こちらがやられる)
―――
ルーチェは山上に陣取り、敵陣を見下ろしている。
敵は相変わらず陣地に籠ったまま、出てこようとしない。
彼女としては、このまま待機して、公都からジスタス軍の本隊が来るのを待っていても良い。
だが、ジスタス軍の主体は軍に参加したばかりの民兵だ。
政人たちがジスタス家の家臣を救出し、指揮官がそろったとしても、すぐに駆け付けられるわけではない。
ある程度の訓練を積んでからの出陣となるだろう。
それよりも、ホークランから敵の援軍がやってくる方が、間違いなく早い。
ルーチェはオルティニア街道に斥候を出し、敵が現れるのを待っている。
現れれば、素早く接近して奇襲をかけるつもりだった。
陣地に籠っている敵には手の出しようがないが、行軍中の敵であれば、今までやっていたように、一撃離脱で敵の戦力を削ることができる。
「斥候が戻ってきました」
部下の報告に続き、息を切らせた斥候がルーチェの前にやってきて告げた。
「ここから九百パイル(約十五キロ)の街道上に敵軍を発見。旗印は『揺らめく炎』。数はおよそ一万五千。現在は行軍を停止し、兵を休ませているようです」
揺らめく炎は王家の家紋である。
(ついに来たわね)
ルーチェは街道に出て、自分の目で確認した。丘に遮られて、向こうが見えない。
「敵がいるのは、あの丘の向こうね。こちらを警戒している様子はある?」
「いえ、兵士たちは座って談笑していました。迎撃の構えはありません」
「そう、ご苦労でした」
ルーチェは斥候を労うと、すぐに出撃を命じた。
「ルーチェ殿。敵将のギラタンはホークランを計略で落とした策士です。罠の可能性はないでしょうか?」
ウェズリーが進言した。彼はギラタンにしてやられた経験があるので、慎重になっている。
「敵を恐れすぎていては、何も行動できないわ」
ルーチェはきっぱりと告げた。「もうすぐ日が落ちる。そうなれば敵はバリケードで囲った宿営地を築き、哨戒を厳重にするでしょう。敵が油断している今がチャンスよ」
即断即決は彼女の長所であり、短所でもあった。
彼女がもっと慎重であれば、敵の数が少ないことを不審に感じていただろう。
彼女は父親から戦いの訓練を受けていたが、それは個人戦の戦い方であり、軍を率いた戦術については教わったことがない。
今回のゲリラ戦が、彼女にとって初陣である。
そのため、伏兵がいる可能性には、思い至らなかった。
ルーチェは旗で合図し、配下の三千の兵士たちに進軍の命令を出した。
隠密行動のため、声は出せない。
彼女は、自分の声がよく通ることを知っていた。
ルーチェの遊撃隊、三千の騎兵はギラタンの軍に奇襲をかけるべく、出撃した。
―――
ギラタンは予定通り、街道が右にカーブする手前の地点で、行軍を停止させていた。
街道をたどっていった先、ここからは遥か北西の方角に、港湾都市アンクドリアが見える。
西は丘陵に遮られて、その向こうは見えない。
「ジスタス家の旗を掲げた敵の騎兵隊が、こちらに向かっています。数はおよそ三千、距離は約八百パイル。林の中の伏兵隊にも伝令を送りました」
「わかった」
高所から遠眼鏡で敵を発見した兵士からの報告を聞き、ギラタンは自分の予測が当たっていたことを知った。
(やはりルーチェは戦術については素人同然だな)
ルーチェは、間に丘陵があるのでこちらからは見えないと思っているのだろうが、こちらは当然高所から哨戒している。
平地に陣取るダンリー相手には奇襲に成功していたので、味をしめたのだろう。
奇襲をかけるなら、視界が悪い夜にするべきだった。
「よし、大盾隊、前へ! 敵が近づくまで盾は構えるな!」
「はっ!」
ギラタンは、ルーチェ軍の接近を待ち受けた。
後に「オルティニア街道の戦い」と呼ばれることになる激戦が、始まろうとしていた。




