104.公都アザレアの解放
「そ、そんな……」
カダレは青くなって震えている。
「自決しろだと? なめるな小僧! こんなことをして、ただで済むとでも思っているのか!」
トラディスが怒鳴ったが、政人は意に介さない。
「へえ、どうなるって言うんだ?」
「ここが反乱軍の手に落ちたと陛下が聞けば、すぐに討伐軍を派遣してくださるだろう。そうなれば、貴様ら雑兵の群れなど、あっという間に蹴散らされる。首謀者は当然死刑だ」
「討伐軍なんて派遣できるわけがないだろ。王家が抱えている兵士のほとんどが、ソームズ家を討伐にホークランへと向かったんだから。他の諸侯もそうだ。ここにまわす兵力は存在しない」
それはクリッタの発行した地下新聞にも書いてあったことだ。
政人の言葉はその通りなので、トラディスには返す言葉がなかった。
「さあ、カダレ、潔く自決しろ。そうすれば、二千人以上いる役人や兵士たちの命は助けよう」
カダレは助けを求めるようにトラディスを見た。
トラディスはカダレを嫌っていたが、見捨てるわけにもいかない。
「ここで貴様とクオンを人質にすれば、外にいる連中も手が出せまい」
そう言って、剣に手をかけようとしたが、ルーチェに「動くな!」と一喝されると、本当に動けなくなった。
トラディスだけではない。
執務室には他に三人の兵士がいるが、同様に動けないでいる。
「そんなことをさせると思う? なんのためにアタシがここにいると思ってるの?」
ルーチェは既に自分の「声」の能力を自覚して、使いこなしている。
彼女が威圧すれば、この部屋に何十人いたとしても、制圧できるだろう。
「さあ、おまえも代官を務めるほどの男なら、覚悟を決めろ」
「ううう……」
カダレは額から脂汗を流し、見るも哀れな状態だ。
だがそこへ、救いの神が現れた。
「マサト、彼はただ、命令されたからここにいるだけです。助けてあげてくれませんか」
クオンがそう言うと、カダレの表情は、希望を見出したように明るくなった。
だが、政人の返事はつれない。
「いや、クオン。それでは領民たちは納得しない。誰かが血を流す必要があるんだ」
「マサト、僕はそうは思いません。僕は誰も死なせたくはないんです。どうか、考え直してください」
このやり取りは、もちろん茶番である。
政人とて、誰一人犠牲にするつもりはない。
ただ、クオンを「慈悲深い王」として知らしめるために、この茶番劇を演じている。
クオンのために自分は悪役になるつもりだった。
「クオンがそう言うのであれば、仕方ないな」
政人はカダレに言った。「おい、降伏するなら命まではとらない。どうする?」
カダレはクオンに向かって、ひざまずいた。
「このカダレ、クオン様に生涯の忠誠を誓います」
クオンはカダレに近づき、彼の手をとった。
「僕はまだ子供なので、優秀な人たちの助けが必要です。どうかあなたも僕を助けてください」
「仰せのままに」
カダレは涙を流した。生き残るための方便ではない。心からクオンに忠誠を誓っていた。
他の兵士たちもクオンの前にひざまずき、忠誠を誓った。
残るはトラディスだけになった。その頬から顎まで覆っているひげが、怒りで震えている。
「この裏切り者めらがっ!」
トラディスはクオンに向き直った。「誰も死なせたくないだと? なめるなよガキが! 陛下の家臣が、腰抜けばかりではないことを教えてやるわ!」
そう言うと彼は、ルーチェに威圧されているにもかかわらず、剣を抜き放った。
(さすがに騎士だな。たいした気迫だ)
ルーチェとタロウが、政人とクオンをかばうように前に出た。
だがトラディスの狙いは、政人でもクオンでもなかった。
彼は剣の切っ先を自分の胸に向け、そのまま突き刺そうとした。
反応できたのはタロウだけだった。
彼は低い体勢で、一瞬でトラディスに近接し、その無防備な足を払った。
「うおっ」
トラディスはバランスを崩して転倒した。
慌てて起き上がろうとしたが、タロウに腕を取られ、そのまま腕ひしぎ十字固めを極められた。
すでに剣は取り落としている。
政人はこんな命令は出していない。
トラディスが自決するのを黙って見守ることもできたはずだ。
タロウはとっさに、自らの判断で動いたのだ。
もちろん、トラディスを助けたかったわけではない。
クオンに従うことをよしとせず、シャラミアに最後まで忠誠を捧げた男がいた、という事実を作りたくなかったのである。
彼は、政人の意図をそこまで読み取れるようになっている。
「よくやった、タロウ」
政人はそう言って、二人に近づいた。
「くそっ、殺せ!」
トラディスはタロウに完全に動きを封じられたまま、吠えていたが、やがて諦め、抵抗しなくなった。
「タロウ、放してあげて。もう大丈夫だと思うから」
クオンも近くに来ていた。
タロウは政人を見た。政人がうなずくと、トラディスを解放した。
トラディスは放心したように、表情をなくしている。
興奮状態が一旦醒めてしまうと、また気分を盛り上げることは簡単ではない。
もう自決しようという気力はないようだ。
クオンはトラディスの手を取ろうとした。
「待て、クオン! そいつは、子供だって殴るような奴だぞ!」
「マサト、大丈夫だよ」
クオンはそう言って、トラディスの右手を両手で握りしめた。「どうか死なないでください。僕に仕えなくてもいいです。でも、生きていてください」
トラディスはその言葉に、全く打算がないことがわかった。
それは、直接言葉をかけられた彼だけが、わかることである。
彼にはもう、抵抗する気力がなかった。
「わかりました」
トラディスは姿勢を正して言った。「クオン様に……忠誠を誓います」
それからほどなくして、城内の者たち全てが降伏した。
ここにジスタス家の公都は、クオンの支配下に入ったのである。
政人とクオンたちは、再び中央広場にやってきた。
カダレたちは来ていない。
群衆が彼らの姿を見れば、憎しみにかられて暴動が起きる恐れがあるからだ。
群衆はさっきよりも、さらに増えているようだ。
成り行きを心配していたロッジたちに、上首尾に終わったことを説明すると、彼らははじけるように喜びを爆発させた。
「みんなよくやったのである。褒めてつかわそう」
ハナコが政人たちを上から目線で褒めた。
政人は苦笑いするが、クオンは素直に喜んでいる。
『やったね、さすがは私のマサトさん。クオン君も頑張ったね』
ミーナが『私の』などと余計なことをメモ帳に書いているので、気になってルーチェの様子をうかがったが、彼女は妹を見るような優しい目付きで、ミーナを見ていた。
ルーチェは、政人からの愛を全く疑ってはいないようだ。
政人が自分以外の女を好きになるなど、絶対にないと信じているのだ。
(もし、その信頼を裏切ったときにどうなるか……想像したくもないな)
そしてロッジは泣いていた。
泣くほど嬉しいのはわかる。
だが、彼にはまだやることがあるのだ。いつまでも泣いていられては困る。
「おい、ロッジ。ここに集まった民衆を見てみろ。皆、おまえの言葉を待ってるんだ。いつまでも泣いていては、頼りない領主と思われるぞ」
「そうなんですが、ウウッ、涙が止まらないんです」
ロッジは手で顔を覆っているが、その下から涙と鼻水があふれてくる。「私の代でジスタス家がなくなってしまい、ご先祖様には本当に申し訳なく思っていたんです。でも、これでようやく、ご先祖様に顔向けができます」
ルーチェがロッジの肩に手をあてて、諭した。
「大丈夫よ、ロッジ。その気持ちは、ここに集まっている者たち全員が共有しているから。さあ、彼らの呼びかけに答えてあげて」
群衆たちから、「ロッジ様、頑張ってー」と声がかかる。
ロッジはルーチェに背中を押されて、群衆の前に立った。
「みんな、本当にありがとう。グスッ。みんなのおかげで、公都を、取り戻せました」
その言葉を聞いた群衆から、大歓声が上がった。
それを聞いたロッジは、それ以上言葉が出ないようだ。
(ジスタス家は王都では嫌われていたが、領民からは慕われていたんだな)
とはいえ、ロッジがこの調子では、どうにも締まらない。群衆たちからも、戸惑いの気配が伝わってくる。
どうしたものかな、と思っていると、クオンが口を開いた。
「マサト、ロッジ、ここは僕に任せてもらえませんか?」




