100.戦場の喜劇
「このたび演じまするは、ある偉大な諸侯の物語にございます。ソームズ軍の皆々様、どうぞ最後まで、ごゆるりとお楽しみくださいませ」
敵軍の兵士が前口上を述べた。
これから演劇を始めるようだ。
すでに木材を組み立て、高さ一メートルほどの舞台が作られている。
「えっへん、私はソームズ・ウィリー。この国で最も偉大な諸侯である」
長髪のかつらをかぶり、大きな鉤鼻を顔の真ん中に取り付けた兵士が舞台に上がり、独白を始めた。
どうやら、ソームズ公に扮しているらしい。
舞台の周囲を、観客役の兵士たちが半円状に取り囲み、「待ってました!」「閣下のご登場だ!」などと、掛け声をかけている。
「皆が私を褒めたたえる。なぜなら、私は常に正しいからである。正義という言葉は、私のためにあるのであろう」
「ソームズ公は何を言ってるんだ? 頭は大丈夫か!?」
「すごいうぬぼれだ!」
観客がはやし立てるのを気にした様子もなく、ソームズ公役の兵士は独白を続ける。
「さあ、今日の日課を始めよう」
ソームズ公はそう言うと、何やらおかしな動きを始めた。
腕をぶんぶん振り回したり、胸を大きく反らしたり、足をがに股に開いて屈伸を繰り返したりしている。
そのユーモラスな動きに、観客から笑い声が起こった。
「何をしてらっしゃるの、あなた」
脇から、女装した兵士が現れた。かつらをかぶり、ドレスを着こんでいる。
どうやら、ソームズ公の妻を演じているようだ。
「見てわからないか、これは『体操』だ」
ソームズ公の妻は、呆れたような顔をした。
「やめてくださいな。兵士たちが笑っているわよ」
「何を言うか。体操は健康によいのだ。これを毎朝行えば、皆が私のようにたくましくなれる。見よ、この肉体美を!」
ソームズ公役の兵士は服を脱ぎ、下着だけになった。
その体は肉体美には程遠い、腹の出た締まりのない体だ。
「これはひどい」
観客から、失笑が漏れた。
「そんな見苦しい体は見たくないわ。服を着てください」
「黙れ。さあ、おまえも私と共に体操をするのだ。私のするように体を動かしなさい」
ソームズ公は腰をくねらせたり、尻を突き出したり、コミカルな動きをする。
「なんて不気味な踊りだ!」
「きっとこれは、ソームズ家の先祖伝来の踊りなんだ!」
観客は大喜びだ。
「私は絶対に嫌です。ああ、なんで私はこんな男に嫁いできたのかしら」
「なんだと、おまえ、私の何が不満だというのだ!」
「怒ったの? あなたって、アレだけじゃなく、気も短いのねえ」
今までで一番の爆笑が起こる。
「もう付き合いきれません。実家に帰らせていただきます」
そう言い残すと、ソームズ公の妻は退場した。
ソームズ公は愕然としている。
「なぜだ、なぜ私の素晴らしさが理解されない! ああ、私は間違っているのだろうか!」
嘆くソームズ公。
そこへ、また別の兵士が現れた。ソームズ公とよく似た外見をしている。
「いや、おまえは間違ってはおらぬ」
「これは父上!」
彼に割り振られた役は、ソームズ公の父親のようだ。
「ソームズ家の男は常に正しいのだ。さあ、わしと一緒に踊ろう」
「はい!」
そして二人の男が怪しいダンスを始めた。
腕を組んでスキップをしたり、互いに尻をぶつけ合って、おしくらまんじゅうをしたりしている。
「だめだこりゃ」
「父子そろってバカだったのか」
観客の笑いは止まらない。
「まったく、こいつらは何をやってるんだろう。情けないったら、ありゃしない」
さっきとは別の、女装した兵士が現れた。
ぶくぶくと太った体に、大げさに白く塗られた顔は、不気味としかいいようがない。
「オエー」
「河豚女登場!」
そのグロテスクな姿を見た観客から笑いが巻き起こる。
「これは母上!」
女は、ソームズ公の母親のようだ。
母親は、顔をしかめて言い放った。
「あんたに母上なんて呼ばれると寒気がするよ。ああ、こんな息子を生むんじゃなかった」
「そんな……ひどい」
ソームズ公はショックで膝をついた。
「そりゃそうだ!」
「俺だってこんな息子がいたら嫌だぜ!」
観客の容赦ない罵声がとぶ。
父親役の兵士が怒った。
「おい、なんてむごいことを言うんだ。おまえの息子だろう!」
「でも、私はその子を見ると虫唾が走るんです」
「なんだと、ウィリーのどこが不満だというんだ!」
「だってその子ったら、短気で、辛気臭くて、口うるさくて――」
母親役の兵士は、心底から嫌そうな顔をした。「あなたにそっくりなんですもの」
―――
「ええい、城門を開けろ! ダンリーを八つ裂きにしてくれる!!」
城門前にソームズ軍が集結している。その先頭にはソームズ公がいた。
「閣下、落ち着いてください。敵の挑発に乗ってはいけません」
配下のオルヴィスという騎士が諌めたが、その言葉は、頭に血が上っているソームズ公の耳には届かない。
「これが落ち着いていられるか! 奴ら、私のみならず、亡き父母までも馬鹿にしおって!」
自分に対する侮辱だけであれば、ひょっとしたらソームズ公は我慢できたかもしれない。
だが、両親への侮辱は許すことができなかった。
兵士たちも、主君を侮辱された怒りに燃えている。
「命令だ! 門を開けろ!」
ついにホークランの城門が開き、跳ね橋が下ろされた。
「突撃せよ! ダンリーの首だけを狙え!」
怒りのソームズ軍が飛び出した。
ソームズ公率いる二千の騎兵が突撃し、その後ろに六千の歩兵が続く。
すでに、さっきまで喜劇を演じていた兵士たちは姿を消している。
その代わりに目に入るのは、城を囲むように整列している連合軍の兵士たちだ。
それを見たソームズ公は、やや冷静さを取り戻した。このまま突撃しても大丈夫だろうか、という不安が頭をもたげる。
だが、今さら止まれない。全軍が怒りに我を忘れている。
しかし、敵が一斉に弓に矢をつがえる様子を見ると、罠にはめられたことを理解した。
(いかん! 退却を!)
ソームズ公は退却の命令を出そうとした。だがその時、ダンリーの姿が目に入った。
ダンリーは馬に乗って敵軍の先頭に出てきた。そして、高らかに声を張り上げた。
「ああ、こんな息子を生むんじゃなかった!」
それを聞いたソームズ公は、また逆上した。
「おのれダンリー! そこを動くな!」
ダンリーは、すかさず後方へと姿を消した。
ソームズ軍はそれを追って突き進む。
そしてついに、敵の矢の射程に入ってしまった。
「放て!」
待ち構えていた敵軍の一斉射撃が、ソームズ軍に襲い掛かった。
前から、左右から、矢の雨が降り注ぐ。
キィン!
ソームズ公の肩に矢が当たったが、重装備に身を包んでいたため、大したダメージはない。
そこでようやく、ソームズ公は完全に冷静さを取り戻した。
周りを見ると、矢を体に受けた味方がバタバタと倒れていた。
慌てて叫んだ。
「退却! 退却!」
退却の合図の鉦が打ち鳴らされた。
一斉に反転し、城門を目指して駆け出す。
「全軍突撃! ソームズ公を討ち取れ!」
敵の退却を見たギラタンが号令をかけ、連合軍が後方から襲い掛かった。
「閣下を守れ! 盾をかまえろ!」
追いついてきていた歩兵が、ソームズ公をかばうように敵の前に出た。
「バカモン、おまえらも逃げろ!」
「閣下は先に逃げてください! 我々がここで敵の足止めをします!」
ソームズ公は「すまぬ!」と声をかけると、駆け出した。
彼は唇を噛んだ。
ソームズ軍は必死に逃げる。
後ろから矢が飛んできた。敵の馬上弓部隊が追って来ているようだ。
騎射は高等技術であり、誰もができるものではない。
迫ってきているのは、敵の精鋭だ。
後ろから敵の指揮官の声が飛んできた。
「馬を狙え!」
敵は馬を狙って矢を射てきた。
部下の騎兵が次々と倒れていくのが目に入った。
だが、ソームズ公は振り返るわけにはいかない。
彼らに報いるためには、なんとしても生き延びなければならない。
だが、前方には自軍の歩兵がいて、思うように馬を進められない。
そこへ、敵の騎兵隊が迫ってきた。
「ソームズ公、その首もらった!」
功に逸った敵騎士の戦斧が、振り下ろされた。
「閣下、危ない!」
しかし、配下の騎士が、ソームズ公の前に体を入れた。
騎士は脳天に戦斧を食らい、倒れた。
その隙にソームズ公は敵騎士の首を剣で刎ねた。
それでも、敵は後から後から迫ってくる。
「左右に分かれろ!」
歩兵隊の隊長が、ソームズ公の逃げ道を作るために兵を散開させた。
その動きは一糸乱れぬ、見事なものだった。
退却戦においても潰走せず、統制を保ったまま行動できるのは、兵士たちの士気と練度が高いからだ。
ソームズ公は、自軍の兵士たちの優秀さが誇らしかった。
(それに比べて私は、何をやっているのだ!)
彼は己を恥じたが、今は逃げることだ。反省は城に帰り着いてからやるべきだ。
そして、ようやく城門にたどり着き、ソームズ公は城内に駆け込んだ。
だが、一息いれるわけにはいかない。まだ外にいる者たちを城に収容しなければならない。
「残っていた歩兵を城門前に整列させ、大盾を構えろ! 敵を食い止め、その間に逃げてきた兵を収容する!」
「閣下、もう敵はそこまで迫っています。このままでは敵の侵入を許してしまいます。跳ね橋を上げましょう!」
「外にいる者を見捨てるというのか!」
「彼らは公都が落ちることを望んでいません!」
「クッ……!」
(すまぬ! すまぬ! この借りは必ず返す!)
「跳ね橋を上げろ!」
この戦いでのソームズ軍の犠牲は、死者は四千人を超え、捕虜は千二百人に達した。
記録的な大敗であった。




