1.藤井政人は絶望する
藤井政人は「人生は一度しかない」という恐ろしい事実に気付き、絶望していた。
もちろん、そんなことは誰だってわかっているはずだが、特に不自由のない生活を送っている間は、そのことを考えない。
それを実感するのは、どうしようもない不幸に陥った後である。
高校生である政人は、県内有数の進学校の中でもトップクラスの成績を維持している。
卒業後は一流大学に進学し、国家公務員採用総合職試験に合格して、キャリア官僚になるという計画を立てていた。
行く行くは、国策に関与するような重要な役職につくつもりだった。
ところが、大学に進学することができなくなった。
会社をリストラされた父から、「高校卒業後は、就職して共に家計を支えてくれ」と言われたのである。
納得がいかなかったが、憔悴しきった父の様子を見ると、何も言えなかった。
政人は、自分の未来が突然閉ざされたような気がした。
――この後、さらなる絶望が待っていることを、彼は知らなかった。
放課後、政人は図書室で勉強をしていた。
だが、どうしても集中できない。つい、将来のことを考えてしまう。
窓の外を見ると、既に陽が落ちて真っ暗だ。思った以上に時間が経っていたようだ。
室内に他に生徒は残っていない。
ただ一人、出入口付近の貸し出しカウンターに、図書委員の男子生徒が座っていた。
図書室でよく見かける顔だが、名前は知らないし、話をしたこともない。
だが政人は、その男に対して、なんとなく反感を抱いていた。
おそらく、爽やかなイケメンである彼の周りには、女子生徒が集まっていることが多いからだろう。
そんな光景を目にするたびに、「図書室でイチャイチャするな」と不愉快に感じていた。
(俺もあんな顔に生まれていればなあ)
そう嘆く政人の顔も、実は悪くはないのだが、本人は気付いていない。
彼の周りに女子が寄り付かないのは、いつも不機嫌そうで目付きが悪いからである。
(…………ん?)
ふいに上から視線を感じた。
ゾクっと背中が震える。
慌てて顔を上げ、天井を見たが誰もいない。当たり前だ。
(疲れてるのかな。まあ、無理もないか)
だが、その後に聞こえてきた声は幻聴ではなかった。
「************」
日本語でも英語でもない。
政人が聞いたことのない響きの言葉で、その言葉を発しているのが男か女かもわからない。
図書委員の男が言ったのかと思い、振り返ったが、そこには誰もいなかった。
それどころか、何もなかった。
目の前には真っ白な空間が広がっている。本がぎっしり詰まった棚も、テーブルも椅子も、天井も床も、何もなかった。
信じられない光景を目にして呆然としていると、目を開けていられないほどのまぶしい光が降ってきた。
慌てて目を閉じる。
さらに、床がなくなったかのような浮遊感を感じ、恐怖でしゃがみこんだ。
そのまま、どれくらいの時間がたっただろうか。
政人が恐る恐る目を開けると――そこは図書室ではなかった。
そこは見たことのない広間だった。床も壁面も白一色で、調度品は何もない。
政人が立っている床には、直径三メートルほどの円の中に正五角形のマークが描かれており、その中には見たことのない文字がびっしりと書き込まれていた。
(何がどうなってる? ここはどこだ?)
近くには先ほどの図書委員の男もいた。あたりをキョロキョロと見まわしている。
彼もこの状況に混乱しているようだ。
そして政人たちから五メートルほど離れたところに、真っ白なローブを着込んだ女が立っていた。
その後ろには四人の人物がひざまずき、祈るような姿勢で膝をついている。
女と目が合った。
彼女はいぶかしがる様子を見せた後、政人に近づいてきた。
年齢は二十歳ぐらいか。腰まで届くような長くて白い髪。肌の色はローブの色に負けないほどの病的な白で、目だけが赤いのが印象的だった。
美人なのは間違いないのだが、顔立ちが整いすぎているためか、かえって不気味な印象を受ける。
女は政人の全身を、穴のあくほど凝視した。
が、しばらくすると急に興味を失ったように離れていった。
「お、おい、なんだアンタは」
女は政人の問いかけを無視し、今度は図書委員の男のほうに近づき、同じようにじっと見つめた後、言葉を発した。
「************」
女が話す言葉は、政人には何を言っているのかわからない。さっき図書室で耳にしたのと同じような響きの言語だ。
「************」
驚いたことには、図書委員の男も、その謎の言語を使って女に返事をした。
政人は落ち着こうと自分に言い聞かせ、深呼吸を繰り返した。
だが、落ち着けるわけがない。
それから女と図書委員は、政人にとって理解できない言葉で会話を始めた。
―――
森沢英樹は混乱していた。
さっきまで図書室の貸し出しカウンターに座っていたはずなのに、なぜか今は見知らぬ場所にいる。
そばにはもう一人、男子生徒がいた。図書室に一人残っていた生徒だ。
彼はよく図書室にいるので知っている。貸出票に書かれた名前によれば、たしか藤井政人という三年生だ。
彼と話していた白い髪の女性が彼から離れ、今度は英樹に近付いてきた。
そのまましばらく英樹の全身をじろじろとながめた後、満足そうな笑みを浮かべた。
「レンガルドにお越しいただき感謝します、勇者様」
その女性の口から発せられた言葉は日本語ではないのだが、なぜか英樹には理解できた。
「ここは一体……?」
そして英樹も、この謎の言葉を違和感なく話していた。
「この世界はレンガルド。勇者様のいた世界とは、次元が異なる別の世界です」
彼女はおかしな事を言い出した。「そしてここは、レンガルドの北西部に位置する神聖国メイブランドの王都、デセントです。その王城内の祈りの間に私たちはいます」
「あなたは?」
「私はこの国の女王で、メイブランド・レナといいます。勇者様をレンガルドへお呼びしたのは私です」
ちなみに、この世界では日本と同じく、姓が先で名が後である。
英樹はどうにか話についていこうとしたが、自らの持つ常識からはかけ離れた事態に、理解が追いつかない。
とりあえず、気になっていることを聞くことにした。
「あの……色々聞きたいことはあるのですが、なぜ僕はこの世界の言葉を話せているのでしょうか?」
「勇者様はこの地に召喚される際、光の女神の加護を受けました。レンガルド語を理解できるのはそのためです」
「その、勇者様というのは僕のことですか?」
「そのとおりです。光の女神の加護を受け、その力にて『魔王』を倒すことができる者の称号が勇者なのです」
(勇者の次は魔王か。まるでゲームかライトノベルだな)
「僕にそんな力があるとは思えないのですが……魔王とは何者ですか?」
「魔王とは人間の世界を恐怖で支配するものです。『レウの預言書』に、近い将来この国の『迷宮』の最深層に魔王が誕生するという記述があります。
ですが光の女神によって、勇者様には剣と魔法の才能が授けられましたので、魔王といえど恐れるに足りません。
ただし、その才能を開花させるには訓練と実戦経験が必要でしょうが」
頭がクラクラしてきた。いきなり連れて来られて、魔王を倒せなどと、冗談にしか思えない。
「魔王と戦うなんて御免です。それより元の世界に帰してくれませんか?」
「私には勇者様を元の世界に帰す方法はわかりません。……ですが、魔王を倒した勇者は神に等しい力を得るとされています。その力をもってすれば、元の世界への帰還がかなうかもしれません」
(かもしれないだと?)
英樹は怒りを覚えたが、なんとか自制した。
(それにしても異世界召喚か……現実にそんなことがあるなんて……)
ありえない話だが、目の前にその現実が「ある」以上は対処しなければならない。
魔王を倒さねば帰れないのならば、魔王と戦う覚悟を決めねばならないのかもしれない。
そこで英樹は、近くにいるもう一人の男のことが気になった。
彼は英樹たちの様子を、不思議そうに見ている。全く話を理解できていないようだ。
「彼も勇者として召喚されたのですか?」
「さあ」
レナの返答は冷たいものだった。
「勇者召喚の儀でなぜ二人も召喚されたのか、私も不思議に思っているのです。
少なくともその男は光の女神の加護は受けていないので、勇者ではありません。この世界の言葉もわからないでしょう。
おそらくは勇者様の近くにいたので、一緒に付いてきてしまっただけだと思います」
「なっ!?」
「その男には何の力も与えられていないので、魔王を倒す役には立ちませんね。奴隷にして勇者様の身の回りの世話でもさせましょうか」
「…………」
「それとも、勇者様が目障りだと言うのであれば、殺してしまっても構いませんが?」
「ふ……」
英樹の肩が震えている。
「……勇者様? どうし――」
「ふざけるなっ!!」
英樹は、思わず怒鳴りつけていた。「奴隷だと!? 殺すだと!? よくそんなことが言えるな? 彼は僕のせいで巻き込まれて、言葉の通じない世界に連れてこられてしまったんだぞ!」
英樹が怒ることは滅多にない。
実際、彼は自分が召喚されたことには怒らなかった。
だが、自分のせいで巻き込まれてしまった男子生徒――政人に対するレナの無慈悲な言葉には、激高した。
「彼だけでも元の世界に帰してくれ!」
その剣幕にひるんだ様子も見せず、レナは言い放った。
「それは無理です。魔王を倒さないことには」
(何を勝手なことを言っているんだ、こいつは!)
英樹とレナが言い争っている様子を、政人は呆気に取られて眺めている。
それに気づいた英樹は、レナに言った。
「彼と話をさせてほしい」
「その者は、勇者様が気にかけるような価値のある人間ではありませんよ?」
「一つあなたに言っておく」
英樹はレナをにらみつけて言った。「彼にしかるべき居場所と待遇を与えろ。そうでなければ、僕は一切あなたに協力しないからな」
はじめまして。
読んでいただいたことに、感謝します。
この先さらに面白くなるよう、頑張って書いていきます。
感想などを書いてもらえると嬉しいです。