第五十八話 親友
「あとは……あなただけよ!」
私はワルザックに向けて剣をかざした。
ワルザックは、倒れてしまった召使いを交互に見比べて慌て出す。
「ぬぅーっ、こ……これはぁー!」
顔が憤怒で真っ赤になっている。
「『珍品』共ぉーっ! 許しませんよぉーっ!」
ワルザックは鞭を乱暴に振り乱し、壁や床を叩きながら近付いてきた。
私は最小限の動きで、そのことごとくを躱す。
カナをあんな目にあわせた事への怒りが、逆に私を冷静にさせていたからだ。
「無抵抗な奴隷を叩く以外には、何の役にも立たない鞭ですねぇーっ! こんなもの、もう要りませぇーんっ!」
当たらない事を鞭のせいにして、投げ捨てるワルザック。
懐からキューブを取り出して叫ぶ。
「もう……こうなりゃ自棄だぁー! 『獣王変身』ーっ!」
キューブを回し、獣へと変化した。
「羊頭獣人ーっ!」
変身の激しい光の中から現れたのは、羊の頭が四つもついた異形の怪物。四方八方に角が伸びて、既に獣人と呼ぶには無理がある姿だ。
正直な話、私にはこいつが何獣人かなんてどうでもいい。
こいつが私のカナを酷い目に合わせた張本人。
広場でこいつがカナにした仕打ちを思い出して、再び怒りがこみ上げてきた。
そして私はワルザックにゆらりと歩み寄ると、直立不動で立ち尽くす。
「おやおやぁー? 何ですかその態度は? この禍々しい獣人の姿を見て、その怖ろしさに観念しましたかぁー?」
安い挑発には耳を貸さず、剣の腹で思いきりワルザックをはたく。
「ぬっはぁぁぁーっ!!!」
みっともない叫び声を木霊させて、ワルザックが壁へと吹き飛んだ。
その衝撃に、たった今完了したはずの変身が解けてしまっている。
私は静かに怒りを込めて、再びワルザックへ向けて歩み出す。ジルも私と一緒の思いで、ワルザックへと近付いていった。
「な、なんですか……アナタ方は……! 何をするつもりですかぁーっ!?」
何も答えてやる気はない。こいつがカナをあんな姿にしたんだ。
こいつが……。
剣の腹でワルザックの横っ面をひっぱたく。
「グフォッ!」
ひき蛙のような、醜い悲鳴を上げるワルザック。
私は、カナが受けた仕打ちを思い出し、左右の頬を交互に叩く。
ジルも錫杖の柄尻でワルザックを何度も突いて痛めつけていた。
「グフォッ! グフォッ! グフォォーッ!!」
こいつがカナにそうしたように、私たちは気の済むまでワルザックを打ち据えた。
§ § § §
目の前にあるのは原形が分からなくなる程、剣と錫杖で叩かれた奴隷商のなれの果て。まるでぼろ雑巾のように見えるが、かろうじて息はしている。
まだ生きている証拠に、全身がぴくぴくと痙攣している。
ジルが奴隷商だったものの懐を探って鍵を取り出すと、カナの檻を開けた。
「カナっ……!」
「アリサ……!」
私たちに、もう鉄の檻なんて邪魔はない。
しっかりと二人で互いを抱きしめ、再会出来た事をその肌で感じる。
カナの温もりが私に、私の熱がカナへと浸透していく。
檻越しに流した涙とは違う、温かい涙が私たちの頬を伝った。
いつまでもこうしていたいと思えるような、懐かしい温もり。
私たちは涙が止まるまで、静かに泣きながら抱きしめ合っていた。
§ § § §
私たちが落ちつく頃合いをうかがって、傍で微笑んでいたジルが語りかける。
「もう……再会を喜ぶのはよろしいのですけど、ぼろぼろじゃありませんの……《治癒》」
カナの傷がみるみる癒えていく。
それまで虐げられてきた古傷こそは消えないものの、奴隷商に滅多打ちにされていた傷痕がなくなっていく。
「あ……MP切れ……。もう、限界……ですわ……」
ジルの魔力が枯渇して、気を失ってしまう。
腕だけでも真竜に戻る秘技は、相当な魔力を使ってしまうようだ。
私に寄りかかるようにして倒れ込むジル。そんなジルをそっと受け止め、私はありがとう……と小さく囁いた。
「……なあ、アリサ」
「何?」
「この聖職者サマ……ひょっとして、アリサの仲間か?」
「そうよ。凄く頼りになるんだから」
「ちぇーっ。アタシが最初の冒険者仲間じゃないのかー……」
残念といった表情で、カナが軽くすねた素振りを見せる。
最初かどうかにこだわるなんて、カナは可愛いな。
「いいじゃない。カナは最初の……大事な親友なんだから」
「まー、それもそっか。……そんな事より、さっさとこの聖職者サマを運んじまおーぜ?」
「そうね」
カナがジルの右肩に腕を回す。私は左肩を。
二人で肩を貸したような格好になった。
「よし、久しぶりの共同作業だ! いくぜ……アリサ!」
「うん!」
私たちは、幼い頃に二人で熊を引きずったあの日を思い出しながら、まだ真っ暗な夜道を一緒に歩いた。勿論、今回は二人でジルを担いで。
――目を細めて微笑んでいるような薄い月明かりが、私たちを照らしていた。