第五十七話 救出
私とカナは鉄格子を挟んで抱きしめ合い、再会を果たした。
しかし、私たちが約束を交わしたその時……それをさえぎるかのようにして、背後から私たち以外の声が話しかけてきた。
「ほっほーぉ? アナタ方が……ワタクシの安眠を妨げる……邪魔者ですかぁ?」
ジルがランタンのシャッターを上げて声の主を照らす。
……声の主は奴隷商ワルザックだった。
その後ろに、カナの檻を運んでいた筋骨隆々な召使いたちもいる。
にやにやといやらしい笑みを浮かべて、ワルザックが言う。
「感動の再会……ですかねぇー? ですが、そうは行きませんよぉー!」
ワルザックは腰の鞭を手に取って構えると、床を一叩きした。
「男爵から聞きましたよぉ? アナタ方は『剣聖』に『聖女』……これは『珍品』だ! アナタ方は高く売れそうですよぉー!」
もう私たちを売ったつもりになって、舌なめずりをするワルザック。
「そこの魔族女と一緒に売って差し上げますよぉー! さあオマエ達、やれぇーぃ!」
後ろの召使いに命令すると、彼らが前に出てきて構えをとる。
鍛え抜かれた筋肉と素手である事から、おそらく格闘家。故郷のジーヤと同じ戦闘スタイルだ。この世界では相当な自信がないとこのスタイルを取らないから、かなり厄介な相手だといえる。
「アリサさん、あの男は私たちの事を『売る』……なんて言ってましたわね?」
「……そうね」
「でしたら、ここから先は正当防衛ですわ。好きなだけやっておしまいなさい!」
「わかった。……ここからは、私のヒーロータイムの始まりよ!」
私は刃引きの剣を出し、ジルはランタンを置いて錫杖を取り出した。
踏み込んでくるかと思い、身構えて攻撃を待っていると、召使いたちは腰に装備していたものを掴んで、手前にかざして叫んだ。
「「獣王……変身!」」
「えっ……獣王変身!?」
あれは、『変身方体』!
ただでさえ屈強な大男、それも腕自慢の格闘家が『魔導具』で獣人に変身する。状況は更に不利になった。
召使い二人の体が輝きを放ち、みるみる獣へと変わっていく。
あの光に当たると、弾き飛ばされてしまう……それを今、ジルに説明している暇はない。私はジルの前に手を伸ばし、前に出ないよう静止した。
やがて光が消えると、禍々しい獣が姿を現す。
「牛トロス獣人!」
「馬ベロス獣人!」
召使いだった二人の獣人が叫び、格闘家の構えをとり直した。
ただでさえ大きかった彼らがさらに一回り大きくなり、筋肉もより膨れ上がる。
その上、それぞれ変身した獣の能力まで手に入れてしまっている。
以前戦ったシュナイデンたちの獣人化とは、格が違う。
「ジル、これは一筋縄ではいかないわね」
「そうですわね……」
私とジルは気を引き締めるため、それぞれの得物を構え直した。
§ § § §
二体の獣人は、それぞれ私とジルに駆け込んで初撃を放った。
馬ベロス獣人は私に、牛トロス獣人はジルに。
私と対峙する馬ベロス獣人は、いわゆるケルベロス……三つの頭を持つ魔物の獣人。ケルベロスなら本来三つ首の犬だけど、それぞれの頭が馬なので、『馬ベロス』という事らしい。頭が三つもあって、どの頭で考えてるのか不思議に思う。
ジルが戦っているのは、牛トロス獣人。首が二つある牛だ。こちらもオルトロス、二首の魔犬の牛版。やはり、どの頭で考えているのかは不明。
私に馬ベロスの拳が迫る。格闘家だからこその素早い拳撃で、猛攻という言葉が相応しい右、左、右、左の連続攻撃を繰り出してくる。
激しい連撃の隙を見つけてようやく魔法剣を叩き込むも、難なく腕で受け止められてしまう。ただでさえ硬い筋肉に覆われている丸太のような腕が、獣人化によって更に硬く太くなっていた。
刃引きとはいえ、鉄の剣が何も装備していない腕に止められてしまった事への驚き。手応えもまるで鋼鉄だった。そんな私の動揺を逃さず、馬の顔が一斉ににやりと不敵に笑い、またも攻め手は獣人へと戻ってしまう。
視界の端でジルも苦戦していた。オルトロスの初撃を避け、ジルの反撃となったものの、直線的過ぎるジルの錫杖はどれも軽く躱されていた。何度突いても、それがひらひらと避けられてしまう。
「はっ! はっ! はっ!!」
気合を込めて、ジルが何度も突き込んでいく。しかし、ジルの突きではいまいち決定打に欠けている。救いはジルの攻撃が非常に速く、獣並の動きを手に入れた獣人であっても、反撃する隙がない事。
一方、私は馬ベロスに苦戦していた。
繰り出せば繰り出す程、加速していく馬ベロスの拳。受けるので精一杯な私に、更なる一撃が飛んでくる。嫌な気配を感じ後ろに飛び退くと、馬ベロスは片足立ちになっていた。
拳の連打を見せて、拳しかないと錯覚させた上で、彼は不意打ちでの膝蹴りを織り交ぜてきた。もし、勘で避けていなかったら、あの高く上げられた膝に顎を打ち抜かれていただろう。
「この膝を避けた奴は、五年振りだ。忌々しいあの剣聖のジジイを思いだすぜ」
剣聖のジジイ? ……彼は、剣聖マスター・シャープと戦った事がある?
「そういやお前、今代の『剣聖』なんだってなぁ?」
その一言と同時に、一瞬で間合いを詰めてくる馬ベロス。また、彼の激しい連撃が始まる。避ける事しか許さない、猛烈な攻撃だ。
「『剣聖』の力はその程度かぁ! 少しは意地を見せてみろ!!」
左右の止まらないコンビネーションをしかけながら、挑発の言葉を投げつけてくる馬ベロス。このままでは、本当に私は負けて、奴隷として売られてしまう。そうなってしまうと、カナを助ける事も出来ない。
だから……負ける訳にはいかない。
「負けるかぁっ……!」
私は左手に剣を創り出す。刃引きで創っている暇はない。
瞬間で出来上がったものなので、切れ味はお粗末。でも、それでいい。
左の剣で拳撃を受け止める。……思った通り、頑丈になっている獣人に刃は通らない。つまり、刃が付いていても加減をする必要がないって事。
私は二本の剣で、二つの拳を次々と受けていく。稀に繰り出される膝蹴りは、スピードヴォルト――片手を障害物、今回は獣人の膝……に手を突き、飛び越えるパルクールの技――で、跳んで避ける。
得物が二対ニになった事で、私の方が少しだけ速く動けるようになった。防御一辺倒だった戦いに少しずつ私の攻撃が混ざり、やがて互角の攻め合いになって、最後は私だけが一方的に打つようになる。
「てええいやあああぁぁぁーっ!!!」
裂帛の気合を込めて左右の剣を振るう。何十回も馬ベロスの急所に突きを叩き込むと、とうとう馬ベロスは膝から崩れ落ち、そのまま倉庫の床へと沈んだ。
ジルの方はというと……。
未だ一発も突きが当てられない状態。
どころか、私と馬ベロスの戦いの真逆の状態に。
ジルの速さに慣れた牛トロスが、反撃を開始していた。
少しずつジルの攻撃の隙間を縫って、牛トロスの拳が出るようになった。ジルも負けてはおらず、それらの全てを避けながら、乱れ突きの手は止めようとしない。
そして、ついに牛トロスの攻撃がジルに当たってしまう。
鋼のように硬い拳がジルの頬をわずかにかすり、頬の皮が切れて血がにじむ。
ジルの完璧に整った美貌に、血の筋が一点の曇りを与えてしまう。
「『聖女』とやらの……パワーを見せて貰おうか!」
形勢が傾いたと思った牛トロスは、馬ベロスが私にそうしたようにジルへの挑発を投げかける。これが、牛トロスの敗因となった。
「調子に乗るんじゃ……ありませんわ!」
業を煮やしたジルが、とうとう奥の手を出した。
腕が巨大な竜のそれに変化し、壁や天井を豆腐のように薙ぎ払いながら、牛トロスを一撃で叩き伏せた。
「ふんっ! 獣人化でしたら、私の方が一枚上手ですわ……!」
ずるい……!
これに勝てる人間なんて、普通いないよね?
……それでも、とにかく私たちの勝利だ。