第五十四話 奴隷
翌朝、私とジルは男爵の屋敷へと向かった。
衛兵や男爵本人の奴隷売買について聞くため。
私の疑念を感じ取ったかのような今にも降り出しそうな曇天の下、二人で宿を出て、人もまばらで活気のない大通りを進む。すると、東西南北からの大通りが交差している街の中央広場で、何か市のようなものが開かれていた。
水の枯渇した噴水を中心に据えた広場には、衛兵を始めとする鎧姿の兵士たち、それと、血色も恰幅もいい商人風の……おそらく本当に商人なんだと思う、立派な服を着た人たちが集まっている。
彼らに共通しているのは、この街の市民と違って裕福そうである事。格差社会なんて言葉を生まれ変わる前にも聞いた事があるけど、正にその格差社会が顔色や着衣に現れている。
彼らが興奮して見つめているのは、昨日まではなかった、いくつもの『檻』
人がすっぽり入る程の大きさの『檻』が所狭しと設置されていて、その中には首を鎖で繋がれた人たち……奴隷が閉じ込められていた。
満足に食事を与えられていないのか、どの奴隷も酷くやせ細っていて、肉体労働や戦闘のための奴隷ですら、そうなる前は逞しくついていたであろう筋肉がほとんど削げ落ちてしまっている。
女性の奴隷はもっと酷く、やせ過ぎで立つ事もままならない人までいた。おそらく、相当酷い事をされてきたんだろう、どの奴隷も体中に鞭や打撲の跡がある。
そんな奴隷たちが、一様に汚く破けた文字通りのぼろをまとわされて、檻の中から怨みの込もった目で、ぎらぎらと観衆を睨みつけていた。
「奴隷市……ですわね……。タイミングが良いのか、悪いのか……」
ジルがすっと伸びた美しい眉を片方だけつり上げて、嫌悪感をあらわにしていた。いつもなら、ですわと丁寧語で断定するはずの口調が、その語尾を濁してしまっている。私もこの光景に得もいわれぬ不快さを感じた。
「そうね……。よりによって、なんでこんな……」
私も何を言っていいか、何を言っているのか自分自身で分からなくなっていた。
頭が混乱する。
「こんな所、さっさと通り抜けてしまいましょう……」
「うん……」
一刻も早くここを通り過ぎ、男爵に言ってこんな事をやめさせよう……そう思って、足を急がせた時、大きな声が広場中に響いた。
§ § § §
「あー、ハイハイ。お集まりの皆様、ご静粛に!」
噴水の前に設えられた演台に、背が低く小太りの男が立っていて、大声はその男から発せられていた。
「ワタクシは奴隷商のワルザック。『ゾディアック』帝国の奴隷商売人でしてねぇー」
――『ゾディアック』帝国。その国の名前を聞いて、急いでいたはずの私の足は、ぴたりと止まってしまった。ジルも私と同様で、その場に立ち尽くして、ワルザックと名乗った奴隷商を凝視している。
「本日は、お集まりの皆様に良質な奴隷をお届けするべく、月に一度の市を開いた次第で御座居ましてぇー……。今回最初の目玉は、これ! 先日占領したサジェス国民に御座居ます」
ワルザックは左手を大げさに振って、ひときわ大きな檻を指し示す。
「はっはっはっは……サジェス国民は馬鹿で捕まえ易いのがよろしいです」
笑いながら、奴隷たちを煽り散らすワルザック。
その心ない言葉を聞き、ジルが拳を握りしめてワルザックを強く睨みつけている。普段の彼女なら絶対にしないであろう、歯ぎしりまで聞こえてきた。
ジルはサジェスを拠点に布教をしていた。信者たちの名前を全員分憶えてしまう程、彼女にとってサジェスの国民は大事な存在だ。その人たちをこんな風に扱って、こんなに酷い言葉を投げつけるなんて。
ジルの悔しさが、隣りにいる私にまで伝わってきた。
「さあ、サジェス国民三匹セットで、お値段は銀貨五枚から! さあ、五枚、五枚は居ませんかぁー?」
こんな広場でオークションを始めてしまっているワルザック。きっと彼の乗っている演台は『調子』という名前の台だろう。
すると、五枚、六枚、八枚……と、兵士や商人たちから声が上がり始める。
「ハイ! 銀貨三十五枚! これ以上はいませんかぁー? いませんね、ハイ。落札!」
サジェスの人たちが、銀貨三十五枚……わずか三万五千円の値段で売られてしまった。
買ったのは、背こそ高いもののワルザックと同程度に太った商人。オールバックに王様のようなビロードのマント、全ての指に宝石の指輪といった見るからに成金商人という風体の男だった。
「もう一発食らっていただきますよぉー! お次は、コレです!」
次々と奴隷たちがオークションにかけられていく。
私が飛び出そうとすると、ジルが私の肩を掴んで止めた。
「ここで暴れたら、悪党だけでなく……ただ、ここに居合わせただけの市民まで蹴散らす事になりますわ。アリサさんは、彼らを皆殺しにしてまであれを止めるおつもりですか……?」
噛みしめた唇の端から血を垂らし、悔しさを我慢しているジル。
罪のない市民まで巻き添えにして戦っても……それは正義とは言えない。私も拳を握りしめ、ただ耐える事しか出来なかった。
私たちはやり場のない怒りと屈辱を感じながら、そこに立ち尽くしていた。
§ § § §
「……さあ! 本日最後の目玉商品ですよぉー!」
ワルザックがひときわ大きな声を張り上げて、最後の『商品』を紹介し始めた。
わざわざ壇上へと、その『商品』が捕らえられている檻を屈強な召使いたちに運ばせ、檻の鍵を開ける。
その鉄格子の中から出てきたのは、他の奴隷よりも更にやせた、褐色の肌の少女。
頭巾と言っても差し支えがないような、頭と肩だけを隠すローブ。それ以外は全裸で、隠すべき場所がどこもかしこもあらわになってしまっている。兵士も商人も、男たちはその裸体に目が釘付けになっていた。
ワルザックが頭巾を脱がすと、そこに現れたのは、元がなんの色だったかも分からない程に薄汚れた髪で、頬はやせこけ、目は落ちくぼみ、唇が干からびた少女。こうなる前はさぞ可愛かっただろうと思わせる整った顔立ちをしていた。
どれだけ長い間、食事も与えられず、体すら拭いて貰えていなかったんだろう。
まるでそうであるのが当たり前かのように、体中には殴られた痣や鞭で打たれた跡があり、そして、臍の下あたりには痛々しい奴隷の紋章が大きく刻まれている。
首には鎖。その鎖は、他の奴隷よりも強固な鋼が使われていた。
そして、髪の左右には、飾りのようなもの……いや、根元から折られた角の跡。
「魔族奴隷ですわ……」
「魔族奴隷?」
「そうですわ。あれは魔族奴隷。魔族を大人数で捕縛して、角を折る事で力を削ぎ、奴隷としたものですわ」
「それって……」
「ええ、『魔導具』に使われた角の持ち主……その、成れの果てですわ……」
ジルは嫌悪感に口元を押さえながら、続けて言う。
「酷いですわね……魔族には魔法か、魔法の武器しか効かないというのに、わざわざそういうもの 使ってまで、ああやって痛めつけていたんでしょうね……」
正視に耐えなくなって、さらし者にされている魔族の少女から目をそらすジル。
私は何故かその少女の事が気になって、少女のありさまを凝視してしまう。
故郷に残した親友に姿を重ねたのかも知れない。
……すると人混みの中、やや遠目ながらも、少女の首元に小さな何かが光ったのが見えた。
――まさか!
思わず飛び出し、人垣をかき分けて檻へと近付く。
そして、見えたのは……キメラの首飾り。
やっぱり……間違いない。
「カナっ……!!」
私は、喉が破れんばかりに叫ぶ。
カナだ! あれはカナだ! 私の親友のカナだ!
どうして……どうして、こんな事に……!
「……アリ……サ……?」
カナはそのくぼんだ瞳で私を見つめ、枯れた唇で弱々しく私の名を呼んだ。