第五十一話 反乱
馬車はようやくヘッダに到着した。
街の入り口にある城門をくぐると、衛兵が窓から見える私の顔を見て、鎧の上からでも分かるほど震え上がって武器を取り落してしまう。
どこかで見た鎧だと思ったら、例の模擬戦のカットマン兵だった。
その事に気付いたジルも、くすくすと笑っている。
彼女は《千里眼》の魔法で先の戦闘を見ていたため、それを知っていた。
「何がおかしいのだ?」
「いいえ、何でも有りませんわ」
侍従長の問いにジルがはぐらかす。
その態度に侍従長は不機嫌になって、愚痴を零す。
「……全く、これだから冒険者は礼儀がなってないと言うのだ」
男爵の顔パスで街の中へ馬車が入っていくと、窓から街並みが見えてくる。ヘッダは中央街にしては活気がない。人もまばらで、皆、これまで退治した野盗のようにやせ細っていた。
中央都市というのは、王都とはいかないまでも人が沢山いて、露店なんかも出ているのが普通だけど……。ここは露店の一つもなく、どころか普通の店舗も閉まっている店ばかりで、生活感が全くない。
まるで貧民窟のよう。
ゴレンジ領との隣接街、最西端のエーゴスの方がゴレンジとの交流がある分、まだ活気があった。
「ねえ、ジル……」
ジルに聞こうとしても、彼女は何も告げずに首を左右に振った。
§ § § §
暗い雰囲気のまま、男爵の屋敷に到着する。
私とジル、メイドと侍従長、最後にカットマン男爵が馬車から降りた。
それを見計らったように、植え込みの陰からぞろぞろと人が現われる。屋敷の中からも使用人と思わしき格好の人たちが、主人を出迎える雰囲気ではない険しい表情で出てきた。
「カットマン男爵、覚悟ぉーっ!!」
現れた賊……いや、これは間違いなくヘッダ市民。
その中の若い男性が叫ぶと、男爵に向かって市民たち、使用人たちが一斉に襲いかかってくる。
「俺の娘を返せぇー!」
「わしの可愛い孫を返せ!」
「僕の嫁を返せ!」
「妹を返せぇ!!」
市民が口々に叫ぶ。
使用人も、もうあんたの下で働くのは嫌だとか、安い給料でこき使うなとか言って、手に手に身近な武器を持って、男爵を襲おうとしている。
包丁や麺棒、ほうきに農具、冒険者らしき面々は今にも壊れそうな武器。
どれもまともな武器とは呼べないけど、それだけ皆が男爵に苦しめられているという証だ。
「ジ……ジル、どうしよう……?」
「まずは、全員黙らせてからですわ。例えどのような領主でも、領主への反逆は犯罪ですもの。……片はその後付けましょう?」
「わかった」
これは間違いなく男爵の方が悪。
でも、雇われたからには義理も通さないといけないし、市民たちは男爵を殺すつもりでかかってきている。
男爵を問い詰めるよりも、まずはジルの言った通り市民を止めないと。
「《剣創世・刃引きの剣》! ……いくらなんでも、今回は『甘ちゃん』なんて言わないでしょ?」
「勿論ですわ!」
「とりあえず、私のヒーロータイムの始まりよ……!」
男爵へと一直線に走ってくる市民を、二人で次々と殴って気絶させていく。
今までの野盗……おそらく、野盗ではなく男爵に怨みを持った市民だろうけど、彼らみたいに数人単位ではない。どころか、使用人も含めると、数十人はいた。
やはり、護衛対象を庇いながらの戦闘は大変で、私が叩き漏らした市民を、ジルが男爵に届かないようにサポートしてくれている。
半分程倒したところで、今回も『おかわり』がやってくる。近隣の市民が騒ぎを聞きつけて、男爵屋敷の門番を人数に任せて殴り倒し、門を破って流れ込んできたのだ。
「きりがないわね」
「ですわね」
「ここは、ジルの『必殺魔法』で……」
「殺さず大量に気絶だけさせるなんて、そんな都合のいい魔法はありませんわ。……それこそ、『必殺』になってしまいますわよ!」
「ちぇーっ」
尚も続く市民たちの暴動を、加減をしながら伸した上で減らしていく。
流石に今回は四肢を刺したりはしてないけど、ジルもどんどん叩いている。
§ § § §
「あっ……!」
やってしまった。
複数人からの同時攻撃を受けるために、咄嗟に左手で出した『刃付き』の魔法剣で、一人斬り返してしまう。
反撃を受けた男性の腹がぱっくりと裂けて、鮮血が飛び散る。
「ジル! お願い、《治癒》を!」
「承知ですわ!」
負傷した男へと駆け寄ろうとするジル。
しかし、それを止める声があった。
「ええい、男爵様のお召し物に返り血が飛んだではないか! この無能どもめ!」
声の主は侍従長キバジシだ。
「そんな平民の命よりも男爵様のお召し物だ! 平民の汚らしい血でこんなに汚れてしまって、どうしてくれる!? お前たち冒険者のみすぼらしい服と違って、男爵様のお召し物は非常に高価なのだ! 弁償しろ!!」
地団駄を踏みながら、ヒステリックに叫ぶ侍従長。その細い体のどこからこんな大きな声が出るのか不思議になる程の怒声。
男爵も憤慨しているようで、二人の顔は真っ赤だ。
私がその声に困惑しながら市民の武器を受け止めていると、ジルの治療が完了する。ジルは治った男を当て身で再度気絶させると、すっくと力を込めて立ち上がった。
「お黙りなさい……!」
張り上げるような声ではないものの、よく通る、美しくも大きな声。
その声を聞いて男爵も侍従長も、暴動を起こしていた市民たちも、そして私までも……皆、ジルに釘付けになって動きを止めた。
それはまるで真竜の咆哮。誰もが人間という種として感じる、絶対的な恐怖で固まってしまっていた。
全員が注目する中、ジルが再び口を開く。
「平民の命より服が大事? よく、その口で言えましたわね……その服を買う金が、どこから出てるとお思いですか。まぎれもなく、そこに居る平民たちの血税でしょう!」
「だ……だが、平民が税を払うのは当然で……それに男爵様のお召し物は、そこな平民の命よりも高いのだ。……無論、お前たちのその粗末な服よりもだ」
ジルに気圧されながらも、必死に取り繕う侍従長。
いちべつし、尚もジルは続ける。
「私たちの服? 彼女の服はミスリル製の特注品。男爵のものよりも、何百、何千倍も高価ですわ!」
全員の視線が私に集中する。とんだとばっちりだ。
一瞬青ざめたものの、すぐにキバジシは震える声で言い返す。
「ミスリル……? そ、そんなはずがなかろう! 一介の冒険者がそんな、男爵様も手の届かない高価なものを持っているはずが……あるものか!」
「一介の冒険者……ですか。では、一介の冒険者ではない……としたら?」
「……何?」
うろたえるキバジシ。
ジルは声の調子を変え、強い言葉を叩きつける。
「彼女こそ、かのレッドヴァルト辺境伯令嬢。自らも伯爵の称号を持ち、王太子殿下の婚約者!」
私の肩書がすらすらとジルの口から紡がれていく。
ただ、王子の婚約者というのには、小声で反論した。
「……いや、ちょっと王子の婚約者っていうのは、ないでしょ……。あれ、お断りしたんだからさ……」
「……しっ……構いませんのよ、その方が箔がつくでしょう? 王太子だって、まだ貴女の事を婚約者だと思っていますわ。絶対……」
ジルも小声で言い返した後、語調を戻し、口上を続ける。
「そして、先の合戦で三千人斬りを果たした、最強の剣士!」
カットマン男爵もキバジシもその事実を聞いて、何度も私の顔を見返す。
彼らはあの模擬戦に参加していなかったけれど、報告だけはしっかり届いていたようだ。それと、三千人『斬り』の部分に引っかかったから、一応小声で訂正しておく。
「……ジル、斬ってない。私、斬ってない。全員、気絶させたよ……?」
「……もうっ、途中で切らないで下さいまし。黙ってお聞きなさいな……」
「……わかった……」
納得は行かないけど、黙る事にした。
そして、ジルの声が今までよりも、更に大きくなった。
「伝説の真竜をも倒したドラゴンスレイヤーにして、武力において国王と同等の権限を持つ、今代の剣聖――」
一息置いて、高らかに宣言する。
「彼女こそが、『剣聖の姫君』アリサ・レッドヴァルトですわ!」
ジルは私の体を引っぱり、全員に見えるようにマントを裏返した。
無理に引っぱられたせいで首が締まる。
「……ちょっと……ジル、苦しいっ……」
「……少しは我慢して下さいな……」
私を諭すひそひそ声から、もう一度大声に戻ってジルが言い放つ。
「このマントに輝く、王家の紋章が見えませんの!」
確かに、マントの裏地に何か刺繍がしてあったけど……これって、王家の紋章だったの……?
紋章を見た全員が途端に膝を突き、恐れおののいた。
男爵にいたっては、女神様への最敬礼である両膝を折った敬礼までしている。
「「「はっ……ははーっ!」」」
この瞬間、この事件の決着がついてしまった。