第八話 女神
あれから数日。謹慎はまだ明けていない。
――けれど、週に一度の礼拝だけは外出する事を許された。
ここにも一週間があり、安息日と呼ばれる……日本でいう日曜日は誰もが休める日がある。
この国では、創世の女神様を奉る『女神教』という宗教があり、国民全員が入信しており、週に一度の安息日には、誰もが教会に赴いて女神様に祈りを捧げるのが慣わしとなっていた。
当然、私も『女神教』の信者だ。それも敬虔な部類の。
だって、実際に女神様に逢っているし、その女神様から第二の人生を貰ったんだから。居るものを信じるな、と言われてもそれはちょっと無理かな……というもの。女神様には感謝している。
誰もが同じ宗教だから、あまり沢山の人が被らないように、時間をずらして礼拝に来る。そのため、教会の周りは人がまばらだ。
私が教会へと足を運ぶと、司祭様がやって来て挨拶をしてくれる。
「アリサ様も礼拝ですかな?」
「はい」
「アリサ様は幼いながら、実に熱心でいらっしゃる。将来有望ですな」
司祭様とは、毎週同じ会話を交わしてる気がするな……。
司祭様のお話もそこそこに、礼拝堂に向かう。
教会、というだけあって、日本――というか前の世界の教会によく似ている。
広い礼拝堂の中央が通路になっていて、左右に沢山の長椅子が整然と並んでいる。奥には祭壇があり、さらに奥の壁に大きな像が立つ。
違いといえば、像が救世主や聖母様ではなく、女神様という事だ。
そういえば『模して創った』って女神様も言っていたっけ。こういう所も真似をしているのかもしれない。
司祭様やシスターが優しい笑顔で見守る中、女神像の前で両膝を突き、胸の前で手を組んでお祈りを始める。
何を祈ればいいの分からないから、いつも私はこう祈っている。
――女神様、生まれ変わらせてくれてありがとうございます。私は元気でやっています。
あとは、お祈りの姿勢だけしてぼけーっとしている。
§ § § §
普段なら呆けている間に礼拝が終わるのだけれど、今日は様子が違った。
黙想で瞑っている瞼に光を感じる。
目を開き、光の方に頭を向けるとそこには……。
「――アリサさん。お久しぶりです」
石像の上に、その像とそっくりな人物。
女神様が宙に浮かんでいた。
「アリサさん、聞こえますか? 今、私はあなたの心の中に直接話しかけています――」
あまりの事に気が動転して、私は思わず立ち上がる。
驚き過ぎて、女神様に対して怒鳴ってしまう。
「女神様! 今、普通に話しかけてますよね!?」
大声を上げた後、しまったと思って周囲を見渡すと、司祭とシスターが「何事か」といった表情で私を見ている。
しかし、彼らは女神様の方を見ていない。もし見えていたら大騒ぎになっているはず。……つまり、女神様は私にしか見えていない、という事らしい。
そうなってしまうと、アホの子と思われたかもしれない。
司祭様と目が合うと、貴族のご令嬢相手に失礼は出来ないといった表情で、大げさに目を逸らされた。その目は無言のまま『何も見ていませんよ』と語っている。
笑顔を崩さない、と有名なシスターも引きつった笑顔を見せていた。
私は声をいつもよりやや小さくして、見上げながら女神様に尋ねる。
「女神様、一体何しに……いえ、一体どうなさったんですか?」
「あなたの様子を見に来ました。転生後のチュートリアルという奴です」
「チュートリアル?」
あまり聞き憶えのない言葉。
多分、前に言っていたRPGの用語だろう。
きょとんとした表情で呆ける私に女神様は十五分もかけて、懇切丁寧に言葉の意味を教えてくれた。
「……それで、アリサさん。この世界には慣れましたか?」
「はい。おかげさまで」
「何か分からない事はありませんか? 困っている事があれば言って下さい」
「赤ちゃんからやり直せたおかげで、分からない事や困った事はないです」
「――ですか。それなら安心しました」
「……あ」
私は、以前からずっと聞こうと思っていた事を思い出した。
思い出すのに時間がかかったのは、女神様が急に現れて驚いたからだ。
早速、それを聞く事に……いや、問い詰める事にした。
「……そういえば女神様、どうしても分からない事があります」
「何ですか。何でも聞いて下さい」
「あの、私の名前――なんですけど。前と同じアリサなのは、何故……」
「ええと……それは前と同じにすればアリサさんが困らないかなと思って、最初からアリサと名前を付ける家に転生させる事に決めていました」
「あ……ありがとうございます」
本当に、ありがとうございますでいいのかな?
私にとって都合が良過ぎる事に、あまり変わりはないんだけど。
「それに、私も名前を憶え直さなくて済みますし……」
「今、さらっとご自分の都合だって言いましたよね?」
「いえ、そ……そんな事ありませんよ。純粋に……そう、純粋にアリサさんのためです」
女神様はちらりと私を見て、念を押した。
「……本当ですよ?」
女神様の額に汗が伝う。
あ、駄目な人……人というか、駄目な女神なんだ。この女神様。
死因を笑われた時から、そうじゃないかなあ……と薄々は感じていたけれど。
「ほ……他に聞きたい事はありませんか?」
「じゃあ、貴族の家に生まれた事は? ひょっとして、依怙贔屓してませんか?」
「それは純粋にあなたの運です。先程、アリサと名付ける家に転生させると言ったでしょう?」
「はい」
「その名付けをしようとしていた家に適当に転生させたので、きっとガチャ運が良かったのでしょう」
「ガチャ運……」
呆れてしまった。
デパートの屋上とかにある戦隊のオモチャ入りカプセル販売機の感覚で、生まれる家が決められたとか、呆れてものも言えない。
ぽかーんと口を開けっぱなしの私を見て、きっと司祭様達も「おかしな子になった」と思っているだろう。
後で弁解できるかな? ……うん、無理だな……。
「だって、あなたは転生特典を何も受け取らなかったのですよ。『いい家に生まれた』のは……私は何もしてませんけれど、きっと何かの特典なんです。多分」
「リュウケンジャーの最終回が特典なんじゃ……?」
「あんなの、特典とは言いません!」
「えー……」
「あんな事で満足する転生者は、あなたしかいませんよ。……先日の熊の一件も、一歩間違えたら死んでいたんですからね?」
熊の一件……って、何故その事を女神様が知っているんだろう?
「知っていますよ。女神は全ての人々を平等に観察……いえ、平等に見ているのです」
心を読まれて、思考に直接答えられてしまった。それに観察って……。
「平等に、見・て・い・ま・す・!」
少し照れた顔をしながら、コホンと咳払いをする女神様。
「それはそうと、アリサさん。あなた、魔法を憶えましたね?」
「はい。《剣創造》って言うんですけど……」
「それでは、その魔法に女神の祝福を与えましょう」
「祝福……ですか。祝福されると何か変わったりするんですか?」
特典みたいなものは要らないけれど、祝福で何が変わるのかは気になる。
この魔法は、私が『戦隊』を目指す足がかりだから。
「祝福を受けると……」
「受けると……?」
女神様が私を見つめる。
私も神妙な面持ちで女神様を見つめ返す。
一体、《剣創造》の魔法に何が起きるんだろう……?
「名前が格好よくなります!」
私はその場で盛大に転倒した。司祭様達もそんな私を見て仰天する。
「そうですね。私の『創世』の名にちなんで《剣創世》……ソード・ジェネシスなんてどうでしょう?」
勝手に話を進める女神様。
名前以外の説明が未だされていない。
「な……名前が変わるだけですか?」
「名前が変わるだけといって、馬鹿にしてはいけませんよ。この世界の魔法は明確なイメージがあるかどうかで成否が決まります」
「は……はぁ……」
「先日、魔族の少女と練習していた時、火や水の魔法が……ププッ……全く使えなかったでしょう。あれには笑わせて戴き……コホン」
また笑われた。
「あれは、あなたが火や水を明確にイメージ出来ていなかったのが原因なのです」
「あ……そうだったんですか」
「私の名を冠した事で、いつでも私の顔をイメージして魔法が使えます。イメージしやすくなるでしょう?」
「すっ……ごく迷惑です、それ。戻して下さい!」
「駄目です。もう、《剣創世》で固定しちゃいました。次からは《剣創世》と唱えないと、剣は出てきませんよ?」
「お……横暴だ……」
「横暴ではありません。女神の祝福です」
そんな祝福、前の世界でも聞いた事がない。
「それと、あなた自身にも祝福を」
「えっと……それってどんな祝福なんですか?」
これって、絶対に期待出来ない奴だ。
元から贔屓をして貰う気は全然ないけど。
「私がアリサさんを面白可笑しく観察……いえ、他の人より多めに見守ってあげる事が出来ます」
「今、面白可笑しく観察って」
「言ってません」
「言いましたよね?」
少しの間、沈黙がこの場を支配した。女神様の額に冷や汗が流れる。
そして女神様は咳払いをしてごまかすと話を続けた。
「言ってません。世界の住人には見るだけで何もしてはいけない、というのが神のルールですから……何もしてあげる事は出来ませんけど」
すると女神様は、次第に姿が薄くなって行く。
「いつでも、あなたの事を空から見守っていますからね。では、よき人生を――」
女神様は消えてしまった。
話している間中、見上げる形になっていて、その間ずっとパンツが丸見えだったから、今更いい話風にまとめられても格好がつかないと思うんだけど。
(ちょっと……! そういう事は先に言って下さい!)
消えてしまった女神様の恥ずかしそうな声が、今度は本当に心の中に直接響いてきた。
§ § § §
やっぱりというべきか、当然というべきか。
司祭様とシスターから冷やかな目で見られたのは言うまでもなかった。
「アリサ様、大丈夫ですか?」
司祭様から、何ともいえない微妙な表情でこう聞かれてしまった。
これはきっと『頭、大丈夫ですか?』という意味だろう。
笑顔を崩さない事で有名なシスターからも、とうとう目を背けられてしまった。
私は居心地が悪くなって逃げるようにして城に帰った。
来週から礼拝に行き辛くなるよ――女神様のばか。