第四十〇話 権勢
「俺様は『剣聖』レッド様だぞ、その席を譲れ!」
男は空席もあるというのに、むりやり他の冒険者をどけて座った。
「俺様が座りたい席が、俺様の席なんだよ。早く酒を持ってこい!」
また、武器屋では、剣聖の名を使って値切っていた。
「ほう、この剣はいい剣だな。いくらだ? ……金貨十枚? おいおい、俺様は『剣聖』レッドだぞ? 金貨五枚に負けろ!」
更にギルドの受付では、順番を無視して割り込んだ。
「俺様は『剣聖』だぞ? 『剣聖』様に順番を譲るのが、筋ってもんだろう」
剣聖の名を笠に、つけで飲み食いしたり。
「飲み代は今度払うと言ってるだろう! 『剣聖』を信用出来ないのか!?」
迷惑がっている冒険者たちに、嘘っぽい武勇伝を聞かせて自慢したり。
「前の街では、こんなにでかい飛竜がニ十匹も襲って来てな。それを、この剣でバッタバッタと薙ぎ倒したら、町民は喜び、皆口々に俺様を讃え、尊敬した。……お前らも俺様を尊敬していいんだぞ?」
流石の私でも、飛竜は一匹が限度だ。……多分。
それに二十匹も現れたら、この街にも警告の一つくらいは来ているはずだし。
ジルが小声でぼやく。
「アリサさんなんか、本物の真竜を倒しましたのに……!」
あれは運が良かっただけよ、ジル。
それに、自分が倒された事で張り合わないで。可哀想になるから。
……しかし、尊大で傲慢ではあるものの、金品を盗んだり、暴力を振るったりは一度もしていない。そのため、私は離れて他人の振りをしつつ、彼の振るまいを静観するしかなかった。
私のマントの裾をつまんで、ジルが小声で話しかけてくる。
「あんなデマを見過ごしてしまって、よろしいんですの?」
「仕方ないじゃない。犯罪とかはしてないんだから……」
「もう、本っ当にアリサさんったら」
お人好し、ジルはそう言いたいのだろうけど、今回だけはちょっと違った。
私が黙って見ていた理由は、恥ずかしいから他人の振りをしたいのと、日本人特有の事なかれ主義だった。こんな所で元とはいえ、日本人らしさが出てしまう。
本当に悪い事をしたなら、すぐに飛び出して止めるつもりだけど、けちな事ばかりで、止めるには今一つ微妙な感じだった。剣聖の称号を譲ってくれた、マスター・シャープのお爺さんには申し訳ないけど、もうちょっとだけ我慢しよう。
「Eランクの依頼は彼が持っているんだから、それが終わるまでの我慢よ」
「もうっ……!」
§ § § §
そうこうしている内に、二日が経ってしまった。
「……で、いつになったらゴブリン退治に行きますの?」
とうとう痺れを切らしたジルが、彼に尋ねた。
食べられると思っていたお肉を二日も我慢させられたのだから、当然といえば当然かも知れない。
「俺様が行きたいと思った時だ。指図するな!」
「ですけど、相手はゴブリンですわ。私たちがこうしている間にも、手遅れになる可能性がありますのよ? そうなってしまったら、どう責任を取るおつもりですの?」
「ああもう、煩い。分かった、分かった、行けばいいんだろ? 行けば」
ジルの説得により、彼は重い腰を上げてようやく隣村へと向かう。
まあ、荷物を持たされるのは私たち……なんだけどね。
§ § § §
歩いてわずか半日。
隣村のトルシャークは、土地が広くのどかな農村。ギルドの酒場スペースで提供される新鮮なサラダの材料は、ほとんどがこの村から運ばれている。
今まさにゴブリンが暴れている、といった気配こそ感じないけれど、いくつかの畑が荒らされていて、整然と並んでいるはずの野菜が所々はげ上がっていた。
「さあ、まずは依頼者である村長の家に向かいますわよ!」
「お前が仕切るな!」
男に文句を言われながら、村長宅を指差して誘導するジル。
それにしても、剣以外手ぶらの男の後ろに大荷物を背負わされた女の子が二人という構図は、控えめに言っても酷い絵面だった。まあ、私は普段から筋トレをしているから問題ないけど、ジルは少し大変そう。
「……ねえ、ジル。ジルは凄い真竜だから、これくらい楽勝じゃないの……?」
「……人間に変身する魔法は、万能ではありませんの。人間に変身したら、体力や頑丈さも人間並に落ちてしまいますのよ……」
ふと、疑問に思った事を小声で尋ねると、ジルはそう答えてくれた。
「……その分、MP消費が竜の時より少ないですから、大気中の『魔素』が少ないこの世界で生活するには、人間の姿は必須なんですわ……」
真竜であるジルにも、色々と事情があるんだな……と私は思った。
男の後ろで雑談をしながら歩いている間に、村長宅に到着する。
――早速、村長から詳しい依頼内容を聞くと、大体このような話だった。
ここ数日、ゴブリンどもに畑が荒らされているので、ゴブリンが増える前に退治して欲しい。
「数が少ない内に駆除するのが最善手ですわ。数匹でしたら畑荒らしや、家畜を盗む程度ですけど、二十、三十と増えると、人間を襲い出しますもの」
「そうね」
「だから、お前らが仕切るな」
私たちはゴブリンの巣がありそうな場所を探す事にした。