第三十〇話 過去Ⅱ
この千年、新しい同族、新しい『勇者』が次々と現れ、戦い、死んで行った。
竜が殺され、竜によって『勇者』が殺され。
殺し、殺され。まるでそれが人と竜の業だとでも言いたげに。
人化した私は争いには関せず、人の姿で旅を続けていた。
§ § § §
魔導書で憶えた魔法、《治癒》で治して見せると、彼等から驚かれ崇拝された。崇拝する心は、不思議と私の身体に取り込まれ、糧や力となっていた。
世界に遍く『魔素』と崇拝の心で、私はこの姿や生命を維持する事が出来た。
私や同胞を迫害して来た人間に多少の怨みは有ったが、崇拝され、生命の源となる力を得る分には、悪い気はしなかった。
それから、数百年。
竜と人との争いは激化し、最早、人にとって竜が、竜にとって人が『魔王』ではないのか。そう思えてしまう程に、竜も人も互いに憎しみ合っていた。
私は、竜に害された人を治し、人に傷付けられた竜を癒やした。
その旅の中、いつもとは違う出来事が私に訪れた。
悲鳴が聞こえ、空から人間の少女が降って来たのだ。
私が歩いていたのは山岳地帯。左右は切り立った崖の斜面だ。
足でも滑らせ、上から落ちてきたのだろう。
少女を受け止めると、崖の上から少女の姉であろう子供の声が聞こえた。
「リサっ! リサああっ!」
「大丈夫ですわ。気は失ってますけど」
「どなたか存じませんが、リサを……妹を助けて戴き、ありがとうございます……!」
少女の名前はリサ。
姉の名前はシズカと言った。
普段なら、怪我や病を癒やしたら、数日でその地を去っていたが、今回だけは違った。思いの外リサ達姉妹に懐かれてしまったのだ。
最初は、『偶々助けただけの人間』でしか無かった彼女等が、長い時間を共に過ごす事で、他の人間達に対する感情とは別の、暖かく柔らかな感情が私の中で生まれていた。
「はい、これで大丈夫ですわ」
「ありがとう、おねえちゃん!」
リサが慌てて転んでしまった時は、魔法で癒やした。
泣きそうなリサが、私の魔法で笑顔を取り戻す姿を見て、私も自然と笑顔になっていた。
「はい! おねえちゃん、これあげる!」
「うふふ……ありがとう」
「……おねえちゃんとわたしは、いっしょう、おともだちだからね!」
春には、小さな野草で作った花冠を贈られた。
小さい子供が不器用な手で一所懸命作ったであろう歪な花冠は、枯れるまで私の頭を飾り続けた。
「ねえ、おねえちゃん。おねえちゃんのおなまえって、なんていうの?」
時には、こんな事を聞かれもした。
少々返答に困ってしまう。私は只の白銀竜。名前は無いどころか、必要が無い。
「名前など、ありませんわ」
「じゃあ、わたしがつけてあげるね! ……うーんとねえ……おねえちゃんは、かみのけも、おめめもきれいなぎんいろだから……ジルヴァーナ! ジルヴァーナなんてどう?」
「うふふ……いい名前ですわね。では、次からはそう名乗らせて戴きますわ」
「いこう、ジルヴァーナおねえちゃん!」
初めて呼ばれた名前は、心が暖かく感じながらも、少し照れ臭くもあった。
私は、優しい姉妹の居るこの村で、ずっと暮らすのも悪くないと、そう思い始めていた。
§ § § §
そんな穏やかな日々を過ごして居たある日の事、私と姉妹は薬草を採りに、三人が初めて出逢ったあの崖の上へと向かっていた。
こう言った寒村では、小さな子供が労働力に使われるのも珍しくは無い。
薬草は何処でも需要があり、それが村の貴重な財源となっている。
「あっ、おねえちゃん! こっちにもあるよ!」
「待って、リサ。もうちょっとゆっくり……」
姉妹が仲良く薬草を摘んでいる姿を眺め、私は顔を綻ばせた。
そんな二人を見ていたら、何時の間にか私は崖の上の大木に凭れ掛かって、転寝をしてしまっていた。
次の瞬間、舟を漕ぐ私の耳に聞こえて来たのは、シズカの悲鳴。
「きゃあああっ! リ……リサぁっ!!」
微睡みから引き戻された私の眼に飛び込んで来たのは、崖の端からリサが落ちそうになっている光景。
――いけない!
咄嗟に駆け出し、リサの後を追って飛び降りる。
必死になってリサの腕を掴み、落ちながらも包み込む様に抱き締めた。
このままではリサ共々、底の街道へと激突し、無事では済まないだろう。
《人化の法》は、決して万能では無い。
竜の強靭さを保ったままで人に化けるなどと言う、都合の良い作りに出来ては居ないのだ。
私は翼を広げ、本来の竜の姿へと戻り、リサを抱えたまま無事に着地する。
余りに大き過ぎた私の身体は、崖の頂を越え、シズカの瞳に映ってしまった。
そのシズカと私の巨大な眼が合う。
「ひ……ひぃっ……! 化け物ぉっ……!」
シズカは尻餅を搗き、酷く怯える。
そして、背を見せて起き上がると、妹の事も忘れて村へと逃げ去った。
私は胸が締め付けられた。そんな感情を初めて感じていた。
崖の上に手で包んだリサをそっと置いてやると、リサも私の姿を見て涙を流す。
「ばけものっ……! ジルヴァーナおねえちゃんをどこにやったのよ!! ジルヴァーナおねえちゃんをかえせっ!!」
私を恐怖と憎悪が篭もった瞳で睨み付けるリサ。
私は生まれて初めて、『涙』と言う物を瞳から零した。
私が、その締め付けられるような感情に押し潰されて、その場で立ち竦んでいる間にリサも居なくなっていた。
気持ちを落ち着ける事が出来た時には、私の涙に連られたのか雨が降り出していた。それとも雨が降り始めたから正気に戻れたのだろうか、そんな事はどちらでも良い。
リサは、シズカは、濡れずに家へ帰り着く事が出来たのだろうか。
また人の姿へと戻り、土砂降りの雨の中、私は足取り重く村へと戻った。
帰って見ると、村の人々が総出で村の入り口を塞いでいる。
皆で出迎えて貰えたと勘違いした私は、笑顔を見せて駆け寄った。
その笑顔に誰の投げた物か、小石が当たる。
その小石を手始めとして、次々と私に向かって石が投げ付けられた。
「今まで、俺達を騙しやがって! この、醜い怪物め!」
「竜は村から出て行け!」
「私達を騙していたのね? ああ、恐ろしい!」
その石を投げる人々の中には、シズカの姿もあった。
「出っ……出て行け、化け物おぉっ!」
涙を流しながら、私に石を投げかけて来た。
苦しい。胸が、心が苦しい。何故、どうして、苦しいの?
初めての感情ばかりだ。誰か、誰か、助けて。リサ……お願い、助けて!
「リ……リサ……」
村人達の前に歩み出たリサ。きっと、彼女だけは私を……。
「……っ! 嘘つきっ!!」
その小さな体で力の限りに叫ぶリサ。
その一言は、私の中に芽生えていた暖かな想いを、粉々に打ち砕いた。
……私の体を濡らす物は、涙なのか、それもと雨なのか。
リサに、村人達に背を向けると、雨の中、村を去った。
私は、また当て処無い旅へと身を投じた。