第二十九話 過去Ⅰ
――私の名は『ジル』
そう彼女から呼ばれた。
その新しい名を貰った時、胸がとても熱くなった。
「じゃあ、友達。いいでしょ? ……ね? ジル」
そう言われて握られた手も、まだ熱い。
§ § § §
自我に目醒めた時には、既に私は昏い洞窟の中に居た。
洞窟の最初の来訪者は、敵。
五つのちっぽけな生き物が、手に手にちっぽけな武器を携えて、私を威嚇していた。私の腕の一振りで、それらの命は消え去った。
後に出来上がったのは、その残り滓。
腐ってしまっても邪魔なので、一つ一つを口に咥えて洞窟の外へと運んだ。
その様な事が、何度かあった。
「邪悪な白銀竜よ、仲間達の仇、取らせて貰うぞ」
ちっぽけな生き物が言う。
どうやら私は、この二足の生き物達から『白銀竜』と呼ばれる存在らしい。
そして、生き物を殺す。外に捨てる。
襲い掛かって来なければ、私も何もしないと言うのに。
「白銀竜、この冒険者アッシュが相手だ」
冒険者と名乗る生き物も、幾度か私の下に現れた。
その度に殺し、捨てる。
そんな詰まらない日常に、ある日変化が訪れた。
私には見たい物を、距離を越えて知覚、観察する能力があった。
その能力に『同族』が反応する。
私と同じ、縦に長い体と翼、そして知性を持った生き物だ。
二足の生き物から、『竜』と呼ばれる存在。
彼または彼女達は、私と同じ能力を持ち、互いに知覚し合う事が出来た。
私はもう独りきりではない。それが私の心に安寧を与えた。
やがて、同族はこの世界の各所に次々と増えて行った。
同族が増える度、私の心は安らいだ。
§ § § §
二足の生き物、人間。
彼等が詠む暦。その暦で三千という年が過ぎた。
一つの年に幾つかの群れの人間が私を戮する為にやって来た。
全て殺して、全て捨てた。
私だけではなく、我等『竜』は人間如き塵芥に斃れる事などは有り得無い。
その大きさが、その力が、違うのだ。
しかし、更に千の『年』を重ねた時、その関係性が崩れ始めた。
最初は赤の竜だった。灼熱の溶岩滾る火山の頂に棲む彼が、何者かによって殺される。彼の命が消える瞬間を、知覚の能力で感じ取った。その瞬間、同族が増えた時に感じた安堵の一部が、私からごっそりと削り取られた。
赤の竜を殺した、その人間の名は『勇者』
遠い遠い世界から呼び出され、我等、竜や魔物を斃す為に現れた『異界』の者。
ちっぽけな人間のそれらが、異界を渡る際に神々によって強大な力を授けられ、その大いなる力を振るい我等に刃を向ける。
その『年』を皮切りに、次々と同族が消え去り、『勇者』が勝鬨を上げた。
氷河の地では、他の生き物の為に世界の氷河化を食い止めていた、白の竜が斃された。世界樹聳える森では、妖精達と平和に暮らしていた緑の竜が、妖精諸共殺害された。死者の眠りと誇りを守る黒曜の竜も打ち砕かれた。
そして、ちっぽけな人間を『友』とまで呼び、その『友』を魔物から守る為、自ら境界に立って侵攻を妨げていた黄金の竜までもが、『勇者』によって殺された。
その『勇者』は、『魔王』を討ち滅ぼす為に、この世界に呼ばれたらしい。
私の同族達は、その『魔王』のついでだと言う。
目的は、我等の棲家に眠る財宝と、斃した事による名声。それに、魔物を下した際に得る更なる力の上昇。
抑『魔王』等、この世界に存在しないと言うのに。
それを探して、ついで程度で私の同族を屠り続ける『勇者』に、私は初めて『怨讐』という感情を抱いた。
そして、遂には私を除く全ての竜が狩り殺された。
私に芽生えた『怒り』という感情が、私を洞窟の外へと誘った。
数日間世界を飛び続け、『勇者』を捜し、そして。
殺した。
たったの一咬みで、塵のように『勇者』は潰れた。
そう、同族達『竜』は、このちっぽけな塵と戦おうとはせず、其々が大切にする、火山、氷河の生き物、妖精、人間、死者の眠り。それらを庇って死んで行ったのだ。
人間は居もしない物を恐れ、身勝手で『勇者』を呼び、『勇者』は人間共の身勝手に応えて私の同族、『仲間』達を殺した。
勇者だった物の血と、絶望という名の後味だけが、私の口の中に残った。
§ § § §
その後も、次々と『勇者』が異界から召喚され、私の下へと送られた。
その度に『勇者』を殴り、蹴り、咬み殺した。
中にはしぶとく生き残る『勇者』もいたが、それらも炎の吐息で灰にした。
何十、何百の『勇者』を屠っただろう。虚しさと疲れを感じた私は、また洞窟の中に籠もる事にした。数多の『勇者』を狩って巡った数百年で、私の洞窟は唯一人の人間も知らぬ地となっていたからだ。
洞窟に帰り着いた私は、自我が芽生える前から存在していた多くの金銀の山を寝床に眠り、退屈凌ぎにその金銀の中に埋もれていた『魔導書』を読む。
人間を、そして『勇者』を自らの手を下さなくとも消し炭に変える魔法や、氷塊とする魔法、天より雷を降らせる魔法、様々な魔法を憶えた。籠もってしまった私には、もう必要の無い知識ばかりだったが、その中に面白い魔法を見付けた。
《人化の法》
魔物を人間に転ずる魔法だ。
人間に狙われる事が嫌ならば、人間になってしまえばいい。この魔法さえ使いこなせば、『竜』だからと恐れられずに済む様になるのだ。
早速、この魔法の研究をし、行使する。
他の魔法と同じで、この魔法も最初は化け方が不十分だったり、直ぐに人化が解けてしまったりと、失敗続きだったが、『竜』の私には時間は幾らでも有った。
十年も試行を繰り返すと、漸く人間に化け続ける事が出来る様になった。
手に入れた人間の体は、巨大な魔物である『竜』の身体を維持するよりも、圧倒的に少ない力で保つ事が出来た。存外に効率が良い。
「さあ、出掛けますわよ」
人間の大きさで持ち切れる程度の僅かばかりの金銀を持って、私は千年振りに洞窟の外へと足を踏み出した。