第二十五話 月光
「聖女様、どうして……!」
「どうしてもこうしても、ありませんわ! 行く先々で盗賊を雇って貴女を殺そうとしたのに、ことごとく倒してしまって……! あれで素直に死んでいれば良かったものを!!」
「えっ……?」
盗賊を雇った……?
あの賊たちは聖女様じゃなくて、最初から私を狙っていた?
そして、それを差し向けたのは……聖女様?
「じゃあ、いつも街で用事があるって言っていたのは……」
「お察しの通りですわ。あいつらを雇いに行っておりましたの」
錫杖を握り直して、振り上げる。
「ですが……あいつらが役に立たなかったおかげで、この私が直接手を下さなければならなくなりましたわ!」
私の脳天めがけて、何度も穂先を突き立てる。
そのたびに私は首を左右に振って避け、鈍い音が地面に響く。
業を煮やした彼女が、狙いを定めて全力で振りかぶった隙を狙い、私は寝ている状態から起き上がろうとした。
そして、立ち上がるより一瞬早く、聖女様の鋭い錫杖の先が振り下ろされる。
私は膝立ちまでしか体を戻せていない。その姿勢のまま、咄嗟に魔法剣を創り出して錫杖を受け止めた。
金属と金属が激しく打ち合う音がする。
「それが、本当の《剣創世》の威力ですのね……。この私の一撃を受け止めるなんて……」
「お褒めに預かり……」
受け止めた剣で押し返そうとするも、錫杖が重い……いや、聖女様の力が強い。
毎日鍛えている私よりも腕力がある。本当にこれが、こんな細腕から繰り出される力なの?
それでも――。
「ありがとうございますっ!!」
気合一閃。その力をそらして錫杖を弾き返した。
よろめく聖女様。
その一瞬の隙に、私は勢いをつけて跳ね起きる。
「……なんて馬鹿力なんですか。聖女の名が泣きますよ?」
「私も、『剣聖』の力を侮っておりましたわ」
「なんで、私の命なんか……」
「狙ったのか――ですの? それは貴女が『剣聖』だから、ですわ」
剣聖だから狙った?
あの三千の兵のように、私を殺して称号を得ようと……?
「何か考えていらっしゃるようですけど、はずれ……ですわ。聖職者の私が、剣士の称号を奪い取っても一文の得にもなりませんもの」
「じゃあ、なんで……」
「『剣聖』は女神教のシンボルの一つですの。『剣聖』である貴女が敬虔な信徒として女神教にいる。……それだけで、女神教の広告塔になり得るのですわ」
聖女様は、まるで獲物を狙う蛇のごとく私を睨みつけた。
「その広告塔の貴女がいる限り、『竜神教』を広める邪魔になる……という訳ですわ。ですから、死んで戴きます……!」
「じゃあ、『竜神教』の広告塔にもなるから、こんな事やめて!」
「問答無用……ですわ!」
「そんなあ……」
問答無用の言葉と同時に、その姿と同じく美しいフォームで、何度も突きを放つ聖女様。
私はそれを必死に避け、受け流す。
一撃一撃が正確で重たいけれど、虚実のないその直線的な突きは、辛うじて防ぎきる事が出来た。
「もう、いいかげんやめましょうよ……」
「そうですわね。このままでは埒があきませんわ」
「でしょ――」
返事をしようとしたその瞬間、激しい衝撃が私を襲った。
何が起きたのか分からず、私は横方向に吹っ飛ばされていた。
十メートル以上も飛んだ後、回転しながら胸を、背を、地面に何度も打ちつけられていく。
痛みに耐え……剣を支えに起き上がると、そこには異様な光景が広がっていた。
……聖女様の体の様子がおかしい。
錫杖は打ち捨てられ、替わりに右腕が異常な程に肥大化している。
それは、肥大化……なんて可愛いものじゃなかった。
巨大化。その右腕は明らかに聖女様の体の数倍の大きさになっていた。
そして、その右腕は月光に照らされて白銀色に輝き、びっしりと鱗が生えたそれに、鋭く巨大な鉤爪が顔を見せている。トカゲのような異形の腕――その大きさはトカゲというよりも、もはや竜。
その異常なまでに膨れ上がった右腕を振り回し、私を殴りつけてくる。
右から、返して左から、もう一度右から、激しい勢いで何度も迫ってくる巨大な爪を避けながら、私は尋ねた。
「それも、『竜神様』の奇跡って奴ですか……? 魔法で『竜神様』の力を借りてる、とか」
「その通りですわ……と、申し上げたい所ですが、違いますわ。……これこそが私の真の姿。私こそが『竜神』そのものですわ……!」
彼女の目が見開かれ、人のそれだった瞳が爬虫類のものへと変わる。
「轟竜……変身……!」
その神秘的なまでに整った口から小さく、しかし力強く言葉が紡がれると、いくつもの淡く白い光の玉が彼女の周りを取り囲んでいく。可視化されるまで凝縮された魔力の塊。それらが体の中へと取り込まれると、変化が始まる。
みるみるうちに彼女の姿が怪物へと変貌していく。
右腕の次は左腕。その左腕が盛り上がって巨大化。
そして、信じられない程大きくなった両腕を地面に叩きつける。
すると、両腕から力瘤の盛り上がりが流れ込むようにして、肩が、胸が、想像を絶する大きさへと膨張する。蛇腹状になった胸が打つ鼓動は、前後に大きく凶々しく動き、生物としての格の違いを私に見せつける。
そして、胸を境に上から下へ、下から上へと、巨大な爬虫類の姿になっていく。
首が伸び、角が生え、顎も長くなり、鋭い牙が並んで、紛う事なき竜の顔貌に。
――唯一、その色だけが変わらない瞳が私を強く睨みつける。
二本の脚も、両腕と同様に大樹のような大きさになり、踏み込むと凄まじい轟音が地面に鳴り響いた。
既に怪物のそれとなった腰の後ろからは尻尾が飛び出し、どこまでも後ろへと長く伸びていく。そうして出来上がった太く長い尻尾で地面を叩くと、背中から巨大な一対の翼が勢いよく現れ、大きく羽ばたいた。
最後に、鼓膜が破れんばかりの大音声で一声咆哮を上げると、彼女は竜そのものへと変身を完了した。
その全身を彩る鱗は、頭上の月のような白銀色。
白銀……『ジルヴァーナ』……まさかあの名前が、そういう意味だったなんて。
全長は、数十メートル……いや、もっと。百メートル近くあるかも知れない。
あまりの大きさに、距離感やスケール感が狂ってしまい、頭が理解を拒んでいる。ちっぽけな人間一人ではどうする事も出来ない、山のような巨体。
それに、『真竜』――飛竜のようなまがいものではなく、本物の竜。
伝説の姿を初めて見た感動よりも、その伝説が今、私に向けて殺意を剥き出しにしている恐怖の方が勝ってしまう。
私の足が武者震いではなく、怖れで小刻みに震えている。
「嘘……。冗談……でしょ?」
「残念ですけど、冗談ではありませんわ。では、改めて死んで貰いますわ……『剣聖の姫君』!」
その巨大な体と同様に、低く大きく威厳のあるものに変わったその声で、聖女様――白銀の竜は、私に逃れようのない絶望の一言を言い放った。