第十四話 失心
私は、拾った剣を杖替わりにして、動かなくなった足を引きずっていた。
早く、早く――。男爵様の下へ。
それ以外、何も考える事が出来ない程に疲弊して、ただまっすぐ歩くだけだった。途中、何度も転び、剣を支えに起き上がり、また足をもつらせて転ぶ。
数えきれない程繰り返して、あの立派な屋敷へとたどり着いた。
私が到着すると、男爵様の召使いが何人も出てきて、倒れそうな私を抱き止めてくれた。召使いたちに支えられながら、執務室の扉を叩く。
入って早々、私は最後の力で声を振り絞った。
喉は枯れていて、もう大きな声は出せない。
「男爵様……ご依頼は、失敗……しました……」
私は、一言だけ告げて意識を手放す。
視界は真っ暗になり、そのままどちらへとも分からず倒れてしまった――。
§ § § §
それは、私が倒れる五日程前にさかのぼる。
Cランク冒険者たちがいなくなった日から数日が経って、平和になったナックゴンの村で、私は冒険者を続けていた。
依頼についても、受付のお姉さんと話しあった結果……低ランク冒険者の仕事を取ってしまわない程度で、常設の依頼なら受けてもいいという事になった。
常設の依頼は、薬草の採取に始まり、野犬やオオカミの駆除、それに孤児院の留守番が主。ドブさらいの依頼を受けようとしたら、剣聖様にそんな事はさせられません、と怒られてしまった。
流石にドブさらいをする『剣聖』はイメージが悪過ぎるらしい。
宿はギルドの宿泊スペースを格安で使わせて貰える事になり、少しだけ宿代が浮いたものの、食費も考えると常設依頼を毎日受けて収支はぎりぎりだった。
野犬たちは狩りすぎるとネズミやイタチといった害獣が増えてしまうから、必要以上には狩ってはいけない。薬草も教わった方法で取っても、次に同じ場所に生えてくるまで一週間はかかってしまうので、そんなに沢山は刈り取れない。
そして孤児院も、教会から派遣されている管理人のシスターが休む日だけの依頼なので、短い間隔で受ける事は出来なかった。
当然、生活費は宿代と食費だけではないので、消耗品費や雑費のせいで少しずつ財布の中身は目減りしていった。
そんな折、嬉しそうな顔をして受付のお姉さんが、私に話しかけてきた。
「アリサ様!」
「呼び捨てか、『さん』付けでお願いします……」
まあ……『お姉様』と付けられないだけ、ましだけど。
いつもより、お姉さんの声のトーンが明るい。
「アリサさん! 指名依頼ですよ、指名依頼!」
既視感を感じる。指名依頼……なんだか嫌な予感がする……。
「領主様直々のご依頼ですよ。報酬はなんと金貨十枚!」
金貨十枚! 日本円にして、なんと十万円。
王子から貰って使えずにいるお金と同額だ。
それだけあれば、しばらくは生活に困らない。
「どうですか? 受けませんか?」
興奮しているお姉さんに、落ちついてとお願いして依頼内容を尋ねた。
「ああ、依頼内容……でしたね。なんだか、近々隣の領との模擬戦をやるので、それに参加して欲しいというお話です」
模擬戦参加で金貨十枚……? いくらなんでも太っ腹過ぎる。
トーナメント制で何回も戦う必要があったり、強い騎士や魔物と戦わされる?
王子の『色々と計らってくれ』で、報酬が特別に上がってるとか?
それでも、金貨十枚は魅力で、私は二つ返事で了承した。
§ § § §
依頼を持ってきた男爵の使いの馬車に乗って、二日。
久しぶりに、領主ゴレンジ男爵の住まう中央街ゴレンに到着する。
相変わらず人通りの多い大通りを抜けて、豪華な屋敷の前で馬車は停まる。
そして、王子と同じように、沢山の召使いと正式な礼をする男爵に迎えられた。
……うん?
確か『王子に雇われただけの冒険者』だったはずの私に、正式な礼?
「お待ちしておりましたぞ、『剣聖』様」
あ……、男爵様にも『剣聖』だって事がばれてたのね……。
「まったく、あの時はただの冒険者などと水臭い。剣聖様と存じておりましたならば、相応のおもてなしを致したものを……」
「いえ、そういう特別扱いは結構です……」
「そうおっしゃらず。剣聖様を粗略に扱ったとあっては、家名に傷がつきます」
「……そういうものなんですか?」
結局、丁重にもてなされ、王子と同等の厚遇を受ける事になってしまった。
あくまでも私は『冒険者』なんだから、そんなに丁寧にしなくてもいいのに。
§ § § §
まずは男爵様の執務室へと通され、依頼の内容を聞いた。
「剣聖様には、三日後に行われる隣領、カットマン男爵領との模擬戦に参加して戴きたく存じます」
「はい」
「先日も申し上げました通り、北方のゾディアック帝国の動きが怪しくなって来ておりますので……我が国の北方領全体で軍事力の底上げをしよう、という話になりまして」
確かにそんな話があった。ゾディアック帝国の監視がどうのって。
「そこで、一騎当千たる剣聖様にお願いしようかと」
「一騎当千なんて大げさです! 見ての通り、私はかよわい女の子なんですよ!」
「ですが、『剣聖』でいらっしゃるんでしょう?」
「そ……そうですけど……」
それを言われてしまうと、ぐうの音も出ない。
男爵様は話を続けた。
「我が軍の歩兵部隊は一千、敵軍の歩兵は二千の模擬戦の予定でありましたが、一騎当千の剣聖様がいらっしゃるなら、千足す千で二千。カットマンめの軍に匹敵する戦力に……」
「ならないです。今、単純計算しませんでした?」
「そこは剣聖様ですから、千人分、何とかなりませんか……」
「なりません! ……でも、軍勢の一人として参加するだけなら……」
やはり、金貨十枚は魅力だった。負け戦に乗るのが愚かな行為なのは分かっているけど、背に腹はどうやっても代えられない。
結局、誘惑に負けて依頼を受ける方向に。
「有難うございます! これで、あのカットマンめに……」
「どう考えても、勝てませんってば!」
それから、勝っても負けても金貨十枚。
……という約束を取りつけ、私は依頼を受諾した。