第七話 辺境
あれから一週間と少し、ようやく王国最北端、ゴレンジ男爵領に到着した。
目的地ナックゴンは、この領の北西に位置している。
まずは男爵の屋敷に顔を出すと言われ、領の中央にある町、ゴレンへと向かう。
領堺の街で宿を取って、さらに一日馬車を走らせると、辺境にしては開けた町に着いた。
町の大通りをまっすぐ抜けると、街のほぼ中央にゴレンジ男爵の住まう屋敷があった。貴族の館といえば誰もがイメージするような、木造ながら大きく立派な建物だった。庭も広く、その手入れも行き届いている。
石造りの古城と、そこから見下ろす城下町で構成されていた故郷、レッドヴァルトとは対をなすような外観だった。
広々とした庭を通り抜け、男爵家の本宅へとたどり着く。
王子と、護衛の騎士、それと私。
全員が馬車から降りて、贅沢な作りの扉の前で出迎えられる。
沢山の召使いたちが左右に整列して頭を下げているその奥から、ゴレンジ男爵が歩み出て、片足を後ろに引き、胸の下で腕を曲げるボウ・アンド・スクレープの姿勢で一礼した。
「王太子殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう。このような辺境まで……」
「堅苦しい挨拶はいい、まずは例の話を聞こうか」
例の話……おそらく、それが今回の目的だろう。
挨拶もそこそこに、私たちは屋敷の中へと招かれた。
§ § § §
貴賓室へと通され、王子に葡萄酒が供される。
毒がないか上級騎士が魔法で検査をした後に、王子が口をつける。
貴賓室は貴族らしい豪奢な内装に、気品のある白塗りのテーブル、きらびやかな装飾が施された二組の大きなソファが設えられていた。
片方には男爵が、もう片方には王子が座り、男爵の後ろには執事と数人のメイド、王子の後ろには私や騎士たちが起立して並んでいる。
「……で、あれからゾディアックの動きはどうなっている?」
王子が早速本題を切り出す。
ゾディアック帝国。以前、王子の口から聞いた事がある、王国の北に位置する軍事国家だ。『魔導具』という強力な魔法武器を製造する国で、シュナイデンの使っていた《火球》の杖や、獣人へと変わる変身方体などを造っているらしい。
「芳しくはありませんな」
男爵が答えた。
「サジェス国……この領のすぐ北の小国ですな。サジェスとは常に剣呑な雰囲気で、いつ戦争が始まってもおかしくないかと思われます。……また、サジェスにもこの国にも、例の『魔導具』が広まりつつあります」
「やはりか」
「はい。雇い入れた魔導師によると、一定の時が来るなり途端に使えなくなる細工が施してあるとか。広めるだけ広めてその利に甘えさせ、いざ戦争となれば使えなくなり混乱を招く……非常に巧妙な手口ですな」
「……まるで麻薬だな……」
男爵の報告に、王子が小さく独りごちる。
その顔は、今まで私の前では見せた事がない、苦悩に満ちた色をたたえていた。
「今後も、ゾディアックの監視を頼む」
「勿体なきお言葉。いつでもこのファイブレン・ゴレンジにお任せ下さいませ」
男爵は自らの胸の下に腕を添え、頭を下げて礼をした。
「……ところで、後ろに見かけない騎士がおりますが、『近衛』の新人の方ですかな?」
私と目が合い、疑問に思ったのか彼は王子に尋ねた。
「殿下が女騎士を随行させるのは珍しいですな。どのような騎士ですかな?」
「ああ、これは俺の婚約者だ」
男爵が椅子からずり落ち、激しく動揺している。
私も思わず、身を乗り出して強く否定したくなった。
でも、今は会見中だから失礼のないようにしないと……。私は激しく顔を引きつらせ、ぐっと握り拳を作ってこらえる。
「すまぬ、冗談だ。許せ」
男爵に聞こえないような小声で、冗談では終わらせたくないのだがな、とも言っていた。王子……まだ結婚の事、諦めてなかったんだ。
「まったく、殿下も御人が悪い……」
「ダグラス――騎士団長の奴が、ちょっとした所用で出ていてな。代わりに、腕利きの冒険者を雇ったという訳だ」
「冒険者……ですか」
「ああ、俺よりも腕が立つ。今後、この領を拠点にするから、色々と計らってやってくれ」
え……私が、この領を拠点に?
どういう事なんだろう。
「かしこまりました」
「では、そろそろ行くとするか。邪魔をしたな」
「いえ、いつでもお越し下さいませ」
王子が立つと、それに合わせて男爵も立ち、頭を下げて見送る。
私と騎士たちは王子の後ろに付き、王子と共に男爵の屋敷を出た。
§ § § §
男爵の屋敷を出て、さらに二日。
国内で最も北にある村――ナックゴンに到着する。
村の入り口で私が王子に促されて馬車を降りると、王子は私にこう告げた。
「ここで護衛は終了だ。ご苦労だった」
「えっ……帰りの護衛はどうするんですか?」
「なあに、迂回の一つでもするさ」
王子が意地の悪そうな顔で、楽しそうに微笑む。
「ここまで来れば、お前の名声も轟いてはいまい」
王子は一体、何を言っているんだろう?
何がなんだか分からないといった表情の私の頭に手を置いて、王子は続けた。
「ここなら『剣聖』ではなく、普通の『冒険者』として生きる事が出来よう」
ぽんと金貨の入った袋を手渡された。
依頼料、報酬というよりは、当座の生活費の手助けのつもりなのだろう。
王子は私の頭を乱暴になでて言った。
「名残は惜しいが……夢があるのだろう? ここからその夢を叶えるがいい」
まさか王子は、このためにこんな依頼を……。
「……まあ、冒険者に飽きたら、いつでも妃になりに来てくれて構わんのだぞ?」
王子は豪快に笑ってみせた後、軽く手を振って別れを告げた。
そのまま馬車に乗り込んで、たどって来た道を戻らせる。
私を置いてニ台の馬車は遠ざかり、小さくなっていく。
……少し寂しさのようなものを感じながら、私は消えゆく姿を見送っていた。




