第二十三話 老騎士
騎士学校に帰還してから第三課題までの間、サバイバル試験の疲れを取るためという理由で、私たちに三日間の休みが与えられた。四日後には卒業式なので、実質一日で最後の試験を終わらせてしまうつもりなのだろう。
この三日間、私は鍛錬の日課にアルバイトにと慌ただしく過ごした。
卒業後の当座の生活費も必要だしね。
一年目との違いといえば、朝の日課にほぼ全女生徒が付き合ってくれるようになった事。腕立て腹筋の後、私は千本、他の皆は体力に合わせて三百本。なんと、後輩の子たちも日課に付き合ってくれている。
お姉様、お姉様と慕われてしまう事にはもう諦めもついた。まあ、年下の後輩から言われるなら、たいして不自然じゃないし……ね?
「九百九十八、九百九十九……千っ!」
「二百九十八……二百九十九……三百ぅっ……!」
今日も日課が終わった。
「私たちは三百でも大変なのに、毎日千本もなんて……流石です、お姉様」
ただ、この世辞を言われるところまでが日課になってしまった。
彼女たちは大抵の男子には圧勝、正騎士の三人に敵わないまでも、彼らといい勝負が出来るようになっていた。
あれ、スプリンゲンさんたちって上位に数えられる騎士じゃなかったっけ?
……細かい事を考えるのは、やめよう。
国の防衛が強固になるのはいい事だから、多分。
§ § § §
休養期間である三日間も終わり、第三課題の日。
今日が本当の最終試験だ。
生徒は全員、雨天演習場と呼ばれる施設に集められた。
雨天演習場は、一言でいえば体育館。その名の通り、雨の日でも模擬戦や試験試合が出来るように建てられた施設だ。
特に雨が降っている訳ではないけれど、何故かここに集合だった。
「諸君! 今日が、本当の意味での最後となる。この試験を突破すれば、明日は卒業式と騎士叙勲式が行われる。……三年間、ご苦労だった!」
それまでざわついていた生徒達は、アーサー教官の『最後』という言葉と共に、ぴたっと無駄話をやめ、教官を見つめた。
「さて、最終課題だが……」
一斉に生唾を飲む音が聞こえる。
それに合わせて教官は体育館……じゃなくて、演習場の一角に手を差し向けた。
その先には、よぼよぼという言葉がぴったりなお爺さんが立っていた。
腰は曲がり、杖で辛うじて立っているようなご老人。
白髪が沢山混じった金髪に、たっぷりと蓄えた真っ白な眉、同様に白く左右に分かれた髭。首にはマフラーを三重に巻き、薔薇色の道着に、人生の長さを物語るようなすり減らした木靴。
いかにも、お爺さんといった感じのお爺さんだ。
「彼と戦って貰う。お歳こそ召しているが、彼は本物の剣士だ。最後の勉強になるだろう!」
強い語調で課題を発表する教官。
しかし、生徒たちはくすくすと笑い、口々に茶化し始めた。
「あんなの、余裕だぜ」
「死にかけの爺さんと戦えだなんて、教官は俺たちを馬鹿にしてんのか」
「怪我させないようにしないとな」
「こんなお爺さんを打たないといけないなんて可哀想」
「こりゃ、全員合格だな」
緊張で静まり返っていた演習場は、糸が切れたように笑いと嘲りが木霊する。私と、この課題を出した教官と、何故か緊張したままの正騎士三人を除いて。
私と正騎士、それに教官だけが老人の放つ眼光に気付いていた。
§ § § §
生徒の笑いが収まった後、試験が始まる。
最初の受験者はヴァイサ。シュナイデンの腰巾着の一人だ。
名を呼ばれて起立し、お爺さんの下へと歩み寄った。
「ヘッ……こんなの簡単すぎるぜ。一秒で方を付けてやる」
これから負ける怪人のようなセリフを吐いた後、適当に剣を構えるヴァイサ。
始めの掛け声と共に、にやにや笑いながらお爺さんとの間合いを詰める。
「まずは、スキルを使えるだけ使うがよい。それまで待ってやろう」
初めてお爺さんが口を開いた。
正式試合のようにスキル宣言を待ってくれるという。
「ジジイの癖に、なめるなよっ!」
挑発されたと感じたのか、めちゃくちゃな駆け足で近付いて、力の限りの大上段で剣を振り上げるヴァイサ。――次の瞬間、ヴァイサが地面に仰向けで転がり、お爺さんがヴァイサの首の上に足を乗せていた。
「ワシの勝ち……で、いいかの?」
お爺さんはにんまりと笑って、勝利を宣言する。
「お主は、年上の者に対する敬意が足りんようじゃの」
軽くヴァイサをいちべつした後、次……と、残りの生徒たちに向かって手招きをするお爺さん。ヴァイサは、教官に起き上がらせて貰い、くそっと小さくぼやいて悔し涙を流した。
その後もヴァイサに続くように、次々と体格も力も差があるようなお爺さんに負けていく。ヴァイサの言った『一秒』は、お爺さんが発すべき言葉だった。
一人一秒、あっという間に勝負がついていく。皆がお爺さんの実力に気付いた時には、もう残りの生徒は半分以下になっていた。
その流れを変えるように前に出たのは、さん。
正騎士の一人で、三人の中で一番冷静に試合をする強者だ。
「よろしくお願いします」
「ふむ……久しぶりじゃの」
「お手柔らかにお願いします」
彼の頭を下げた礼に、久しぶりと答えるお爺さん。
知り合いなのかな?
この世界の挨拶は西洋式で、相当な事がないと頭を下げない。
それでハインゼルさんがこれだけ礼を尽くすという事はこのお爺さん、騎士団のお偉いさんあたりかな、と予想が出来る。
いつもの号令と共に始まるハインゼルさんの試験。
まず、彼がありったけのスキルを発動する。なんと四重がけ。
《剛腕》による筋力増強に加え、《加速》と《三連撃》で速度を増し、その上で《神速》まで使っている。
《神速》といえば、入学試験で見たあの反復横跳びを思い出しがちだけれど、彼の神速は本当に高速での回避スキル。模擬戦中に唱えて、私の本気の一撃すら躱した事がある、正に神速というに相応しい技だ。
それを、回避寸前ではなくあらかじめ使用し、わずかばかりの速度向上を図っている。上級騎士がそうまでする必要があるなんて、このお爺さんは一体……?
「行きます!」
「さあ、来い!」
先に動いたのはハインゼルさんだった。目にも留まらぬ三連撃が一瞬で打ち込まれる。それを、一切のスキルなしで全て受け止めきるお爺さん。
お爺さんが初めて鞘に手をかけた――今まで杖だと思われていたものは、実は剣。それまでお爺さんは、剣を抜く事なく生徒たちをいなしていた。
鞘から剣を抜き、居合の要領で刃を加速させて斬りかかる。
加速と神速のおかげで、かろうじてそれを避けるハインゼルさん。
身を翻し、三連撃を再宣言。同時に三回斬り込む彼だが、お爺さんはその全てを長剣で受け流す。
「《峰打ち》《重連三連撃》」
今度は、お爺さんがスキルを宣言した。
《峰打ち》は初めて聞くスキルだけど多分、名前の通りのスキルなんだと思う。《重連三連撃》は王子も使っていた、短い間隔での振りを三連続で叩き込む、剣で行う三点バーストのような技だ。
ハインゼルさんの額の上でコココンと軽快な音が鳴って、お爺さんに叩かれた彼は腰から倒れた。
「修行は怠っておらなんだようじゃな」
尻餅をついているハインゼルさんに、お爺さんは優しく呟いた。
起き上がり、ありがとうございましたと一礼して、ハインゼルさんは離れていった。
「さあ、次」
少しだけ『試合』の態になったのは、今のハインゼルさんと二人の正騎士だけ。あとは試合とは呼べない秒殺劇ばかりだった。
次々と生徒が減っていき、本当に卒業させる気があるのかと、負けた生徒たちの間からひそひそと囁きあう声まで聞こえるようになってきた。
結局その調子で、私以外の全員が負けてしまう。
「君で最後だ。アリサ・レッドヴァルト」
アーサー教官が私を呼ぶ。
さあ、私の出番だ。
……なんか凄く強いお爺さんだけど、私は勝てるのかな?