第二話 新しい生活
――こうして私は、女神様の計らいで異世界に生まれ変わった。
生まれ変わった私は、中世のような世界でもう一度人生をやり直す事になった。
私が生まれた家は、大国の最も南西に位置する『辺境伯』という、世界史の授業で習った事がない爵位の貴族の家。
もしかしたら、異世界だけの爵位かも知れない。
学校で習った爵位は、確か『公侯伯子男』の順番。公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵だから、きっと『伯爵』に近い貴族なんじゃないかなと思う。
『辺境』って付いているから多分、辺境に左遷された伯爵だと思う。多分、子爵と同じくらい?
後日、その勘違いで大恥をかくとは知らず、適当にそう考えていた。
レッドヴァルト辺境伯の長女――アリサ・レッドヴァルト。
それが、今の私の名前。現在、六歳。
生まれ変わる前と同じ名前だ。
それに左遷された貴族とはいえ、税金でご飯が食べられるお貴族様。大きなお城住まいで、使用人も沢山いる。……なんだか、贔屓されているような気がする。私、贔屓ってあまり好きじゃないんだけど。
次に女神様に逢う時は、『ちょっと、依怙贔屓じゃないですか?』って問い詰めないと。
……とにかく人生を一からやり直せたおかげで、この国の言葉は無理なく憶える事が出来た。貴族だから何不自由ない暮らしも送れている。
それに、冴えない普通の日本人だった私が、モデルのような体型の凄い美人になっていた。
さらさらの金髪に、整った西洋人顔。六歳だというのに手足もスラリと伸びていて、鏡に映った姿は本当に自分かと疑ってしまう程。あまりの嬉しさに、鏡の前でくるくると踊った程。
感謝こそしても、怒るのは筋違いかも知れない。
それでも、この生活に甘えていたら『戦隊』――ここでは『冒険者』と言うらしい。『冒険者』になる事は出来ない。
この世界の平民は、お風呂も自由に入れないと聞かされた。お風呂には大量の水が必要で、その水自体が高価なのだとか。それに、この領にはあまりいないけど、他の領では日々の食事にも困っている平民が沢山居るという話。
『なんの準備もなく飛び込んだら、またすぐに死んでしまいますよ』
女神様がそう言っていたけれど、確かにそうかも。
どうやったら、水不足や飢えから人々を救えるかなんて知らない。でも、困っている人がいたら助けたい。
それが、『戦隊魂』だから。
きっといつか、困っている人々を助ける『戦隊』……いや、『冒険者』に絶対なってやる。
§ § § §
……お風呂といえば、この世界のお風呂は相当変わっている。
「お嬢様。お風呂の時間です」
メイドたちがやって来て、二人がかりで私の服を脱がせる。
着替えも、体を洗うのも使用人の仕事。日本の庶民だった私には、どうしても慣れる事が出来ない。
裸にされた後、私は顔を真っ赤にしながら浴室に入る。
この世界のお風呂は、日本みたいに体を洗ってから湯船に浸かる作法。でも湯船の形は、何故か洋式のバスタブ。異世界っていうのは、全く訳が分からない。
隅々まで体を洗われ、お湯をかけて貰って泡を流す。
「ねえ……コトゥハさん。このお風呂って、どうやって沸かしてるの?」
コトゥハというのは、私付きのメイドの一人だ。
私には、コトゥハとマコットという、二人のお付きのメイドがいる。
「はい、お嬢様。まずは《水創造》という魔法で、大量の綺麗な水を造ります。川の水は汚いですからね。……お風呂いっぱいの水を造るのに、三十分もの呪文詠唱が必要なんですよ」
「三十分!?」
「はい。少量の飲み水程度なら、一分もかかりませんけど……この量になると三十分です」
驚く私を横目に、コトゥハは説明を続けた。
「同じ呪文を続けて、何度も繰り返し詠唱します。三十分の詠唱にも耐え得る、高い忍耐力と魔力を持った魔法使いがやっています」
「気が遠くなるわね……。それを毎日?」
「毎日です。しかも旦那様と奥様、お嬢様の分で毎日三回です」
本当に気が遠くなる。
「そして、《水温上昇》の魔法で……」
「やっぱり、何十分もかかるの?」
「はい。こちらは沸騰させる訳ではありませんから、十二、三分程……ですね」
「……魔法というのも、あまり便利とは言い切れないわね」
私は、もっと凄いものを想像していた。
「派手にドカーンと悪者をやっつけたり、どんなものでもパッと出したり、巨大化して戦隊ロボになったり、なんでも出来る……って思ってたのに」
「センタイロボというものが何かは存じ上げませんが、得てして魔法とはそういうものですよ。……それより、早く入らないとお風邪を召しますよ?」
説明もそこそに、コトゥハに促されて、はぁいと返事をして湯船に浸かる。
とにかく、毎日大変な労力をかけて、お風呂を沸かしてくれる魔法使いさんに感謝しないと。
「……何十分も唱えないといけないんだ……」
湯船の中で、口までお湯に浸かりながら私は独りごちた。
そうしてお風呂から上がると、メイド達に体を拭かれ、服を着せられる。入る前に着ていた部屋着とは違う、別の部屋着だ。
貴族様はどこもこうなのか、それとも異世界の貴族様だけがこうなのか。事あるごとに、何度も着替えさせられる。入浴の前と後、当然寝る前は、入浴後の部屋着とは別の寝巻き。
朝食、昼食、夕食、食堂へ行くたびに別の服に三度も着替えさせられ、庭に出るにも外出着、来客があればドレス。
元いた日本でも、部屋着とよそ行きは違うし、寝る時はパジャマになる。それでも、日本だって流石にこんなに沢山は着替えない。まるで着せ替え人形にでもなった気分。これでも貴族の中では贅沢をしていない方って話だから、びっくりする。
部屋に戻ると、寝巻きに着替えさせられ、ベッドへ入る。
「お嬢様、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
今日の仕事が終わったコトゥハとマコットが、部屋を静かに出ていく。
§ § § §
あれから少しずつお嬢様生活にも慣れてきて、私は何かが足りない事に気付いた。
そう、剣だ。
生まれ変わる前の私は、剣道をやっていた。毎日千本の素振りと、打ち込み稽古。剣道は一日練習を怠ると、取り戻すのに三日が必要と言われている。
新しい環境に慣れるのに必死だったそれまでとは違い、日課を忘れている事に気付いてしまった私は、どうにも落ちつく事が出来なかった。
竹刀を握りたい。でも竹刀なんて、この世界にはどこにもない。……そこで、適当なものがないか、城中を探してみる事にした。
倉庫に本物の剣はあったけど、流石に六歳の私には少し重過ぎた。掃除係のモップを借りてみたけど、振り回すなんて汚いと怒られた。厨房の包丁は短過ぎた。
そんな折、使用人の一人が私を呼び止めた。
「何をなさっているのですか? お嬢様」
「ジーヤさん……」
ジーヤ・イヴキ・ゴロワ。レッドヴァルト家の執事であり、使用人頭。
清潔そうに整えられた白髪に、彼の人生を物語るように刻まれた深い皺。白い髭を上品にたくわえ、モノトーンの礼服を崩す事なく着こなした執事と呼ぶに相応しい老紳士。
「私の事はどうぞ、ジーヤと呼び捨てに。使用人で御座いますゆえ」
「でも、年上の人を呼び捨てにするのって、悪い気もするし……」
「お気になさらず。それよりも、このような場所で一体何を?」
確かに、厨房は『このような場所』だと思う。適当な言い訳でごまかそうとも思ったけど、嘘をついても仕方がないから正直に言う事にした。
「剣が欲しいの」
「剣……でございますか?」
「うん。剣」
「仮にも辺境伯家のご令嬢であらせられるお嬢様が、持つべきものでは御座いませんな。……ところで、剣を何にお使いに?」
「どうしても、剣の修行がしたいの。素振りだけで構わないから」
「旦那様に叱られますぞ?」
「でも……どうしても……!」
私はジーヤを見つめ、本気だという事を目で訴える。
ジーヤはコホンと軽く咳払いをして、背の後ろで手を組みながらこう言った。
「では、少しだけ。少しだけジーヤは何も見なかった、という事にしましょう」
更にジーヤは小さく笑顔を作って続ける。
「この厨房からは、城の裏手に出られます。裏手には『赤の森』が広がっておりますゆえ、その落ち枝を剣がわりとされるのがよろしいでしょう。木の剣ならば、お嬢様にも振るう事が出来ましょう」
「ジーヤさん……」
嬉しさのあまり、私の目から涙が零れた。
ありがとう、ジーヤさん。
「ですが、これだけはお約束下さい。絶対に森の奥には行かないと」
森の奥という言葉と共に、ジーヤの顔が険しくなる。
「森の入り口であれば魔物は出て来ませんが、奥には怖ろしい魔物が沢山おります。絶対に森の奥には入ってはなりません。よろしいですね?」
「うん!」
今の私はおそらく、生まれ変わってからの六年間で、一度もした事がないような笑顔をしているのだろう。つられて、ジーヤの顔も綻んだ。
とても嬉しそうな顔だ。
「……しかし、お嬢様は、先々代にそっくりですな」
「先々代? ひいお爺様?」
「はい」
先々代とは、私が生まれる前に亡くなった曽祖父の事だ。ジーヤは上を向くと、遠い目をして曽祖父との思い出を語ってくれた。
「先々代も、六歳の頃に剣術の修行を始められました」
「へー」
「あの頃は私もまだ十二で、よく先々代に剣の修行だと言っては森に連れて行かれ、泥だらけになって帰っては大旦那様……先々代の更に先代ですな……から、二人してこっぴどく叱られたものです……」
見た事も、逢った事もない曽祖父。
でも、その英雄譚は父や家庭教師、そしてジーヤから何度も聞かされていた。
なんでも、『赤の森』の南から攻め込んできた『魔族』の軍勢を退けたとか、人間に害をなさないよう和平協定を結ばせたとか、そういうお話。
我が家の家名、レッドヴァルトも功績をあげたこの『森』にちなんで、辺境伯の爵位と共に当時の国王陛下から賜ったとか。
「お嬢様は、幼き頃の先々代にそっくりです。やんちゃな所も、剣好きな所も」
「ひいお爺様に……」
「さあ、お行き下さい。旦那様には内緒にしておきます。ですが……」
ジーヤは、もう一度険しい目つきになって言う。
「くれぐれも、暗くなる前にお戻りを」
「わかったわ。ジーヤさん」
「ですから、ジーヤで結構ですと……」
「わかったわ。ジーヤ!」
「それと、これをお使い下さい。落ち枝を素手で握っては手が荒れますので」
ジーヤはポケットから包帯を取り出して、私の手に巻いてくれた。
よく見ると、格闘家が手の保護に使うバンデージだった。現役って事? 見かけによらずジーヤも中々やんちゃだ。
「ありがとう、ジーヤ!!」
ジーヤに手を振り、私は厨房の奥を抜けて森へと向かった。